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わが兄弟よ、なんぢら各様(さまざま)の試練に遭ふとき、只管これを歓喜(よろこび)とせよ。そは汝らの信仰の験(ためし)は、忍耐を生ずと知ればなり。忍耐をもて全き活動(はたらき)をなさしめよ。これ汝らが全く、かつ備りて缼(か)くる處なからん爲なり。 -ヤコブ1:2~4-
試練(こころみ)に耐ふる者は幸福(さいはひ)なり。之を善しとせらるる時は、主のおのれを愛する者に約束し給ひし、生命(いのち)の冠冕(かんむり)を受くべければなり。 -同1:12-
私たちは、様々な形で信仰の試練に遭うことがある。でもそれは通るべき道なのだ。
主イエス・キリストでさえヨハネのバプテスマを受けた後で、御霊によって荒野に逐いやられ、40日の間サタンに試みられられ、勝利をされたのである。
ヨセフは、その兄弟に勝る者になると夢で告げられたが、嫉みを買ってエジプトに売られた。望みなきようになったかと言えばそうではなく、王の夢を解いて大宰相となり、飢饉の時に親・兄弟を迎え容れるようになる。神の預言は成就し、遠大な神の計画は実現された。-創世記37~50章-
ヨセフはうられて僕となりぬ かれらは足械(あしかせ)をもてヨセフの足をそこなひ くろかねの鏈(くさり)をもてその霊魂(たましひ)をつなげり 斯てそのことばの験(しるし)をうるまでに及ぶ ヱホバのみことば彼をこゝろみたまへり -詩篇105:17~19-