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サムソンすなはち驢馬(ろば)のあたらしき腮骨(あぎとぼね)ひとつを見出し 手をのべて之を取り其れをもて一千人を殺し 而して言ふ驢馬の腮骨をもて山をきづき山をつくる 驢馬の腮骨をもて我一千人を撃殺(うちころ)せりと かく言ひ終りてその手の腮骨をうちすて其の處をラマテレヒ(顎骨の高台の意)と名付けたり -士師記15:15~17-
イスラエルの子孫が主なる神の前に悪を行い、40年の間ぺリシテ人の手に渡された時代に、主は憐れみ一人の士師(さばきづかさ)を起こされた。即ちマノアと妻との間に子を授け、神のナザレ人(神に身を献げし者)とされ、その頭には剃刀を当ててはならないと命じられた。そして生まれた子を両親はサムソン(小さな太陽の意)と名付けた。
サムソンは、ぺリシテ人を撃つ使命を感じていた。長じて後、神の御霊が彼に臨み、襲い来る獅子を打ち殺したり、超人的な力を発揮した。
彼の行動に困惑したユダの人々が、彼を捕縛してぺリシテ人に引き渡そうとした時、神の御霊が彼に臨んだ。彼が力を込めると縄が切れた。見ると地面に新しい驢馬の腮骨が落ちていた。彼はそれを拾い上げ、手に取って武器とし、ぺリシテ人を一千人打ち倒し、死骸の山を築いた。
我らもまた嘗ては世に在って無きが如き驢馬の腮骨のような者であったが、主に見出され御手に握られて用いられる身となった。神の御霊を受けた我らも神に身を献げるならば、霊にあってナザレ人である。貴き御霊の器となり、失せゆく霊魂の獲得者となるのだ。
聖霊なんぢらの上に臨むとき、汝ら能力(ちから)をうけん、而してエルサレム、ユダヤ全国、サマリヤ、及び地の極(はて)まで我が証人とならん。-使徒行伝1:8-
エホバこれを付さずば爭か一人にて千人を逐ひ 二人にて萬人を破ることを得ん -申命記2:30-
ろばのあぎとぼね
1 人に捨てられて塵の中に
埋もれてありしろばの骨も
主に見出されて引き上げられ
力あるみ手の中にぞある
折り返し
ろばのあぎとぼね そは我がこと
ろばのあぎとぼね そは我がこと
主よ手に握りて用い給え
悪魔に勝利を得るときまで
リバイバル聖歌130番