道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2014年07月

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主イエス・キリストは祈りについてこう教えてくださいました。


偽善者の如くあらざれ

なんぢら祈るとき、偽善者の如くあらざれ。彼らは人に顕さんとて、会堂や大路の角に立ちて祈ることを好む。かれらは既にその報いを得たり。なんぢは祈るとき、己が部屋に入り、戸を閉じて、隠れたるに在ます汝の父にいのれ。さらば隠れたるに見給ふなんぢの父は報い給はん。 -マタイ6:5,6-


異邦人の如くあらざれ

また祈るとき、異邦人のごとく徒らに言(ことば)を反復(くりかへ)すな。彼らは言多きによりて聴かれんと思ふなり。さらば彼らに效(なら)ふな、汝らの父は求めぬ前に、なんぢらの必要なる物を知りたまふ。-同 7,8-


祈りの時は、神のみを前に置くことが大切で、人の目を意識したりせぬことです。

教会での異言の祈りは、会衆が何人いても関りなく、自分と神とが一対一になって、霊と真をもって祈ることができます。


エルカナの妻ハンナが、エホバの宮で、子の与えられんことを祈った祈りは、心の苦しみと涙を流した祈りでした。祭司エリは、彼女が心の中で物を言って唇が動くのみだったので、酒に酔っていると思い、声をかけたのですが、ハンナは「私を邪な女と見ないでください。憂いと悲しみの多いゆえに今まで神に語っていたのです」と言いました。


これを聞いたエリは「安んじて去れ、願わくはイスラエルの神、汝の求むる願ひを許したまはんことを」と言いました。 ハンナは祭司の言葉を信じて家に帰ったのですが、食事をし、その顔はふたたび哀(かなし)げにならなかったと・・・。そして、神が夫婦を顧みて下さったので、男の子を授かり、その名をサムエル(エホバに聴かる)と名付けたとあります。

祈りが聴かれると、先ず心に平安が来、確信が与えられます。そして現実に願った祈りの答えが来ます。


主の祈り

この故に汝らは斯く祈れ。

「天にいます我らの父よ、願くは、御名の崇められん事を。御國の來らんことを。御意の天のごとく、地にも行はれん事を。我らの日用の糧を今日もあたへ給へ。我らに負債(おひめ)ある者を我らの免(ゆる)したる如く、我らの負債をも免し給へ。我らを嘗試(こゝろみ)に遇せず、悪より救ひ出したまへ」  -同 9~12-


主イエス・キリストは、祈るべきことの要旨を的確な言葉をもって教えてくださいました。「主の祈り」は、多くのクリスチャンが諳んじている祈りですが、真心を込めて祈ることが大切だと思います。




            a-ライラック


試練に耐ふる者は幸福なり、之を善しとせらるる時は、主のおのれを愛する者に約束し給ひし、生命の冠冕(かんむり)を受くベければなり。-ヤコブ1:12-


先日、新聞を読んでいて驚いたことがあります。日本では2014年3月期で、報酬1億円以上の人が273人いたそうですが、その上位10人の名前が載っていて、その中に嘗て主の御前で聖霊待望をしたA氏の名前があったので、一瞬目が点になりました。
同姓同名ということもあるかなと思い、救われた人たちの記録票を取り出して調べると、名刺が出てきて正しくその人でした。


早30年以上前になりますが、循環器の病院に入院したことがあり、その時まだ歳若いA兄と病院の大部屋で同室になりました。互いに病気の話しを交わす中で、救いの証をして、聖霊を受ける様に勧めて祈り、受霊されたのです。


A兄は、入院患者の中で困っている人を見ると、「〇号室にこういう人がいるから祈ってあげて欲しい」と言われ、祈りに行き何人かの人が聖霊を受けました。
病院の中でしたので、洗礼まではいかなかったのですが、受霊に至りました。


A兄は、脱サラをして新規に事業を始めた矢先に、思いもよらぬ病気で倒れたのでショックであったようです。と同時に、一日も早く全快して仕事を継続しなければならぬと言っていました。


その後退院し、どこでどうしておられるかなと思いつつも、年月が流れましたが、このたび、既に大成されていたことを知り、遅まきながら心からお慶びの言葉を申し上げる次第です。


どれほど一途に事業の進展のために切磋琢磨されたことか、考えも及びませんが、時代の流れを先取りして、率先して身を粉にして働き続けた結果、このようになられたと思います。


もう一つ、聖霊を受けるということは、「智慧聡明の霊、謀略才能の霊、知識の霊、エホバを畏るゝの霊」を受けることだと聖書(イザヤ11:2)は言っており、人の知ると知らざるとにかかわらず、主は、聖霊を受けた人たちを助け、神の祝福として善き賜物を与えてくださると聖書は教えています。

人の辿る道はそれぞれですし、富める人もいれば、貧しい人もいます。神は応分に取り計らって下さると思います。


人生は永く、道は遠いです。

「人は水と霊とによりて生まれずば、神の国に入ること能はず」ですから、今一つ洗礼のお勧めをする機会を得、証が堅うせられたいと願う次第です。


凡ての善き賜物と凡ての全き賜物とは、上より、もろもろの光の父より降るなり。父は變ることなく、また回転の影もなき者なり。その造り給へる物の中にて我らを初穂のごとき者たらんしめんとて、御旨のままに、真理の言をもて我らを生み給へり。
 -ヤコブ1:17,18-

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人われにむかひて(いざ)エホバのいへにゆかんといへるとき我よろこべり・・・エルサレムのために平安をいのれエルサレムを愛するものは榮ゆべし -詩篇122:1,6-


我らは、今日も主の御前に集い、貴き聖名を讃め称える幸いを得て感謝する。

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十字架の死を前にして、主イエスはゲッセマネの園で、弟子たちに共に祈らん事を請われた。だが弟子たちは一人だに共に祈ることができなかった。十字架の道を歩むのは主イエス・キリストお一人だけだったからである。


『わが祈る間、ここに坐せよ』  
『汝ら此処に留まりて目を覚ましをれ』  『シモンよ、なんぢ眠るか、一時も目を覚ましをること能はぬか。なんぢら誘惑(まどはし)に陥らぬやう目を覚まし、かつ祈れ。實に心は熱すれども肉體よはきなり』  『今は眠りて休め、足れり、時きたれり』と。 -マルコ14:32~42-


主は、我らが目を覚まして、主の心を心として福音のために祈り、水と霊を宣伝える事を願っておられる。


今は末の世! 時の徴を見よ! 主の御再臨は近い! 我ら目を覚まして眠るべきにあらず!!


なんぢら時を知る故に、いよいよ然なすべし。今は眠りより覚むべき時なり。始めて信ぜし時よりも今は我らの救近ければなり。夜ふけて日近づきぬ。然れば我ら暗黒
(くらき)の業をすてて光明(ひかり)の甲を著るべし・・・ただ汝ら主イエス・キリストを衣よ。 -ロマ13:11~14-

目を覚まし、堅く信仰に立ち、雄々しく、かつ剛かれ。一切のこと愛をもて行へ。-コリント前16:13,14-


なんぢらエホバに記念したまはんことを求るものよ自らやすむなかれ エホバ、エルサレムをたてゝ
全地に譽をえしめ給までは息(やす)め奉るなかれ -イザヤ62:6,7-


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お知らせ
 御霊の声に 証-37 道央イエス之御霊教会の 設立感謝祭祝福祭 を載せました。                            http://dooh-imk.info の関連リンク

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