道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2014年08月

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 北海道庁赤れんが庁舎の正門前に「札幌市北3条広場」(通称 アカプラ)と名付けられた歩行者専用スペースができました。市民や観光客に楽しんでもらおうとイベントが行われています。

札幌市の中心街である大通地区と、札幌駅周辺地区の2極点を結ぶ駅前通りは、地下歩行空間「チ・カ・ホ」ができたことにより、人の流れが夏冬共に地下に行っていますが、やはり都市の活性化のためには、地上の通行量も多くする必要があると思います。アカプラは中間点にあり、好位置にあります。

「札幌市駅前通地区活性化委員会」の主催により8月29~31日の3日間、アカプラで「フラワーカーペット」が開催されました。 人形劇家の 沢 則行兄弟(フランス教会)が、ベルギーのブリュッセルで開かれているフラワーカーペットを札幌でも開いたらどうかと提案し、賛同を得て実行されました。


前日に6色、8万本のバラが用意され、初日に300人以上のボランティアが地面のビニールに描かれた下絵に沿ってバラの花びらを撒き、カーペットができ上りました。

管理人も誘われて観覧しましたが、実に見事に完成されていました。(写真1,2 クリック

道庁赤れんが庁舎をバックにして記念撮影が行われ、最後に、総勢60人が出演する勇壮なオーケストラ付の人形劇がありました。(写真3)これは、来年2月の「札幌雪まつり」でも行われるとのことです。


人形を操った人たちの中に、沢兄弟が教会に導いてきて、救いを受けた兄弟姉妹方がおられ、またボランティアや応援で参加した兄弟姉妹方にも会場で会えて感謝でした。ハレルヤ!


   
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今日の聖言:

「目には目を、歯には歯を」と云へることあるを汝ら聞けり。されど我は汝らに告ぐ、悪しき者に抵抗(てむか)ふな、人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。汝を訴えへて下衣を取らんとする者には、上衣をも取らせよ。人もし汝に一里ゆくことを強ひなば、共に二里ゆけ。なんぢに請ふ者にあたへ、借らんとする者を拒むな。


「なんぢの隣を愛し、なんぢの仇を憎むべし」と云へることあるを汝等きけり。されど我は汝らに告ぐ、汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ。これ天にいます汝らの父の子とならん爲なり。天の父はその日を悪しき者のうへにも、善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも、正しからぬ者にも降らせ給ふなり。なんぢら己を愛する者を愛すとも何の報ひをか得べき、取税人も然するにあらずや。兄弟にのみ挨拶すとも何の勝ることかある、異邦人も然するにあらずや。然らば汝らの天の父の全きが如く、汝らも全かれ。
-マタイ5:38~48-


山上の垂訓として知られる主イエス・キリストの聖言です。

主の心は何と広いのかと思います。普通の人ならば持ちえない心を主は持っておられます。そして、文字通り実行なさったのです。


罪人をも愛する主の愛、その愛の中に我らは生きています。

一言一句を噛みしめて読み、一歩でも主に近づきたいと願う者です。






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されば兄弟よ、われ神のもろもろの慈悲によりて汝らに勧む、己が身を神の悦びたまふ潔き活ける供物として献げよ、これ霊の祭なり。またこの世に效ふな、神の御意の善にして悦ぶべく、かつ全きことを辨へ知らんために心を更へて新にせよ。-ロマ12:1,2-

伝道者・牧師は、献身して神に仕える者となるが、兄弟姉妹方も、自らを神に献げて新しくなり、神の喜び給う者となると良いと思う。


水と霊とによって神の国に生まれた我らは、最早世に属すものではなく、神に属すものとなったのである。 アブラハムは、独り子イサクを燔祭として献げよと命じられたとき、躊躇することなく、御言に従い、その子を連れてモリヤ山に行った。神はその信仰を喜び、代わりに燔祭の羔を備えてくださり、彼および子々孫々に至るまで祝福を約束してくださったのである。


パウロは、若き弟子テモテに手紙を送り、
「なんぢ真理の言を正しく教へ、恥づる所なき労働人(はたらきびと)となりて神の前に練達せる者とならんことを励め」と諭し、又

「大なる家の中には金銀の器あるのみならず、木また土の器もあり、貴きに用ふるもあり、また賤しきに用ふるものあり、人もし賤しきものを離れて自己(みづから)を潔よくせば、貴きに用ひらるる器となり、浄められて主の用に適ひ、凡ての善き業に備へらるべし。汝わかき時の欲を避け、主を清き心にて呼び求むる者とともに義と信仰と愛と平和とを追求めよ。」と勧めている。-テモテ後2:20~22-


我らの周囲には世の物が多くあるが、妥協することなく、主に従うことに関しては潔くあらねばならない。初代監督村井じゅん師が、自ら「従うことは、天下一品」と言われたことを模範とすべきである。


またある人いう 『主よ、われなんぢに従はん、然れど先づ家の者に別を告ぐることを許し給へ』 イエス言いひたまふ 『手を鋤につけてのち、後を顧みる者は、神の國に適うふ者にあらず』
-ルカ9:61,62-  


  ♪ 主に従う道は 花咲き香り

  御霊の木の実は 豊かにみのる

  その道すじに 油したたり

  ハレルヤ ハレルヤ 御霊の声す  ♪

            霊讃歌149番 4節

                  
            金沢教会 
               金沢イエス之御霊教会


なんぢ御言を宣伝へよ、機
(をり)を得るも機を得ざるも常に勵め -テモテ後4:2-


今週は、色々なことがありました。皆主イエス・キリストの為せる業であって、証であると信じます。

先週末に、金沢教会の笹井功先生の召天の報に接し、11日の前夜祭、12日の告別式に出席すべく、10日の合同喜霊祭・日曜聖会を終え、ブログを完成する時間もなく、夕刻千歳空港を出発しました。折しも台風11号が北陸地方に接近中でしたが、主に守られて無事に小松空港に着陸し、金沢に入りました。

翌日、金沢教会の前夜祭に出席。講壇には「神の聖徒の死はそのみまへにて貴とし」-詩篇116:15- の聖言が掲げられ、翼をかたどった白い生花に囲まれた先生の遺影は、一見優しそうですが眼光が鋭く、「彼は死ぬれども、信仰によりて今なほ語る」と、福音のために生きた先生を霊に由って感じました。この写真は、先生が伝道に行かれたハルピンで新聞社のカメラマンが撮影したものだとのことです。


先生は広島から献身し、新潟に遣わされ、金沢に腰を据えて千代子先生と共に神の教会建設の為に労され、51年間の伝道生涯を通して、多くの霊魂が救われ、実を結び、神の栄光を表しているのは素晴らしいことと思います。立派な会堂が与えられ、神の御霊の臨在が満ち充ちていました。

そしてまた先生は世界各地の伝道にも行かれましたし、大聖会にも集われました。数々の証を聴き、これより後も金沢教会に更なる恵みと祝福の在らんことを祈った次第です。


帰ってみれば、道央教会にも神の豊かな働きがあり、小樽港からロシア人が導かれて「水と霊」を受けて救われ、又お祈りに来られる方あり、訪問する所あり、神の働きにただ感謝するのみです。

15日には、ITでヴォーカルの新作テキストを作成し、好評発売中のT兄姉が新居に移転されたので、聖別祭・祝福祭が行われ、これからの更なる発展を祈りました。


次いで画伯のE兄姉宅に導かれ、神癒祈祷をしました。9月中旬に札幌時計台ギャラリーで個展が開かれますが、会場側からA, B二室を使って下さいと言われたので、沢山描いて並べますとのこと。とても祝福されていると思い、主の恵みに感謝しました。


その後、夜になってH兄姉の透析クリニックで、北海道巡業で来道中の贔屓のお相撲さん〇〇関を招いて、患者さん方を慰問するサイン会があり、それに引き続いて食事会がありましたが、私たちも招かれましたので、関取や付き人方と一緒に過ごす楽しい時間が与えられました。祈っておりましたら、主は活き働き給うて、聖霊待望の機を与えて下さいました。


主の恵みと祝福に終始した1週間であったことを感謝しています。
ハレルヤ!


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          合同喜霊祭の聖言               講壇の花

長老たちの一人われに向かひて言ふ『この白き衣を著たるは如何なる者にして何處より來りしか』   我いふ『わが主よ、なんぢ知れり  かれ言ふ『かれらは大なる患難より出できたり、羔羊の血に己が衣を洗ひて白くしたる者なり。この故に神の御座の前にありて晝も夜もその聖所にて神に事ふ。御座に坐したまふ者は彼らの上に幕屋を張り給ふべし。 彼らは重ねて飢えず、重ねて渇かず、日も熱も彼らを侵すことなし。 御座の前にいます羔羊は、彼らを牧して生命(いのち)水の泉にみちびき、神は彼らの目より凡ての涙を拭ひ給ふべければなり』 -ヨハネ黙示録7:13~18



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詩篇第35篇  ダビデのうた

1 エホバよ ねがはくは我とあらそふ者とあらそひ 我とたゝかふものと戦ひたまへ 2 (たて)と大盾とをとりてわが援(たすけ)にいでたちたまへ 3 (ほこ)をぬきいだしたまひて われにおひせまるものの途をふさぎ 且つわが霊魂(たましひ)にわれはなんぢの救なりといひたまへ 4 願くはわが霊魂をたづぬるものの恥をえていやしめられ 我をそこなはんと謀るものの退けられて 惶(あは)てふためかんことを 5 ねがはくはかれらが風のまへなる粃糠(もみがら)のごとくなり エホバの使者(つかひ)におひやられんことを・・・


キリストを信ずる者には、この世に属する者との間に霊の戦いがあります。真の神の子らは、霊に属す者であり、サタンの子らは肉に属す者であって、互いに相容れないものであります。

ガラテヤ書4:29には、アブラハムを巡って、妻サラと婢女(はしため)ハガル、イサク(自主の女の子)とイシマエル(婢女の子)のことを引いて


「其のとき、肉によりて生れし者、御霊によりて生れし者を責めしごとく今なほ然り」
とあります。


ダビデも同様に、サウル王との間に戦いがありました。サウル王は、若者ダビデに王位を奪われると恐れをなして、ダビデの命を狙いました。逃げまくるダビデ、この詩はその時に書かれたものでしょう。

またこの詩は、イエス・キリストの受難の預言とも読み取れます。


19 
虚偽(いつはり)をもてわれに仇するもののわが故によろこぶことを容したまふなかれ 故なくして我をにくむ者のたがひに眴(めくば)せすることなからしめたまへ・・・

24 わが神エホバよ なんぢの義にしたがひて我をさばきたまへ わが事によりて彼らに歓喜(よろこび)をえしめたまふなかれ 25 かれらにその心裡(こころのうち)にてあゝこゝちよきかな 視よこれわが願ひしところなりといはしめたまふなかれ 又かれらを呑つくせりといはしめたまふなかれ


ダビデの祈りを込めた詩は続きます。


27 
わが義をよみする者をばよろこび謳はしめ 大なるかなエホバその僕のさいはひを悦びたまふと恒にいはしめたまへ 28 わが舌は終日(ひねもす)なんぢの義となんぢの譽とをかたらん


ダビデに敵した人々は、皆のちに神の審きに遭いました。神は正しき目をもって信ずる者に目を注いでおられます。


愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ、録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり我これを報いん』とあり。『もし汝の仇飢ゑなば之に食はせ、渇かば之に飲ませよ、なんぢ斯するは熱き火を彼の頭に積むなり』 悪に勝たるることなく、善をもて悪に勝て。 
-ロマ12:19~21-


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お知らせ 
8月3日

 「御霊の声」FC2ブログに 心臓発作で教会一筋へ を載せました。

        http://dooh-imk.info 関連リンク



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