道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2014年10月

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汝の糧食(くいもの)を水の上に投げよ 多くの日の後に汝ふたゝび之を得ん -伝道之書11:1-

風を伺う者は種播くことを得ず 雲を望む者は刈ることを得ず -4節-

汝朝(あした)に種を播け 夕べにも手を歇(やすむ)るなかれ 其はその實る者の此れなるか彼なるか又は二者(ふたつ)ともに美(よく)なるや 汝これを知らざればなり -6節-

伝道之書11章には、種蒔きのことが記されている。

私たちにとって福音の種播きをすることは大切なこと。私たちが今日救われているとするならば、それは他の誰かが福音を伝えてくれたからである。同じように次の人に福音を伝える役割が私たちにはある。

今日の写真は、セダム。教会の庭に生えている多肉草である。

どこからか知らぬうちに胞子が風に運ばれてきて、庭に根付いて殖え広がった。雑草の居場所がない程、ただいま増殖中! 小さな植物ではあるが、その生命力は計り知れない。

イエス・キリストの福音は、死より復活する永遠の生命である。「水と霊」という形で、この福音は私たちに託された。次の人が救われるように福音を伝えよう。

若きA先生が、道央教会で行っている小樽港でのロシア人伝道を体験しようと遥々遠方からやって来られた。開拓伝道をしてみて、矢張り結論として必要なことは、「水と霊」の福音を宣伝えることが第1義だと思い、積極的に伝道をしている教会を訪ねて、実際にどのように伝道を行っているのか見て、知って、味わいたいと思われてのことであった。

当日は、生憎と救われる選びの民はおらず、空振りに終わったが、その夜の集会でA先生は、得るところが多かったと語られ、翌日喜んで帰って行かれた。

また言ひたまふ『神の國は、或人、たねを地に播くが如し、日夜起臥しするほどに、種はえ出でて育てども、その故をしらず。地はおのづから實を結ぶものにして、初めには苗、つぎに穂、ついに穂の中に充ち足れる穀なる。實、熟れば直ちに鎌を入る、収穫時(かりいれどき)の到れるなり』
 -マルコ4:26~29-

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なんじらの中たれか百匹の羊を有(も)たんに、若しその一匹を失はば、九十九匹を野におき、往きて失せたる者を見出すまでは尋ねざらんや。遂に見出さば、喜びて之を己が肩にかけ、家に帰りて其の友と隣人とを呼び集めて言はん「我とともに喜べ、失せたる我が羊を見いだせり」 -ルカ15:3~6-

暫く消息が分からず、案じていた兄弟姉妹のご一家が、一枚の記録票を頼りに探していくうちに見つかり、教会に来られるとの返事を戴いた。

主イエス様は、一匹の羊を探し求めておられる。先に救われた私たちもまた、主と偕に羊を尋ね求めて行くのが、主の御意である。

今週は、中学生の姉妹が、同じ学年の生徒を二人教会に導き、水と霊のバプテスマが為されて救われた。親の手に頼らず地下鉄に乗って連れてきた。近くもう一人を導いて来るという嬉しい証である。。

今日は、礼拝のあと、一人の姉妹が親戚の人のために、身代わり洗礼を受けた。

失われた霊魂(たましい)が、こうして一人々々救われてくるのは幸いである。

まことに誠に汝らに告ぐ、我は羊の門なり。すべて我より前(さき)に來りし者は、盗人なり、強盗なり、羊は之に聴かざりき。我は門なり、おほよそ我によりて入る者は救はれ、かつ出入りをなし、草を得べし。・・・わが来たるは羊に生命(いのち)を得しめ、かつ豊かに得しめん爲なり。 
-ヨハネ10:7~10-

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人々その教えに驚きあへり。その言(ことば)権威ありたるに因る。・・・これ如何なる言ぞ、権威と能力(ちから)とをもて命ずれば、穢れし悪鬼すら出で去る。 -ルカ:7:31~37-

ヨハネによってバプテスマを受けた主イエス・キリストは、聖霊に満たされ、御霊の能力をもて伝道を開始された。主の教えは、学者のごとくではなく、権威ある者のごとく語られ、神の御業が為されたのである。 そして主は弟子たちを世に遣わして伝道を為さしめ、主イエス・キリストの御名の持つ力を顕わし給うた。

七十人よろこび帰りて言ふ『主よ、汝の名によりて悪鬼すら我らに服す』 イエス彼らに言ひ給ふ『われ天より閃く電光(いなづま)のごとくサタンの落ちしを見たり。 視よ、われ汝らに蛇・蠍(さそり)を踏み、仇の凡ての力を抑ふる権威を授けたれば、汝らを害ふもの絶えてなからん。然れど霊の汝らに服するを喜ぶな、汝らの名の天に録されたるを喜べ』 -ルカ10:17~20-

更に主は、昇天に際して、『我は天に手も地にても一切の権を與へられたり。然ればなんじら往きて、もろもろの國人を弟子となし、父と子と聖霊との名によりてバプテスマを施し、わが汝らに命ぜし凡ての事を守るべきを教へよ。視よ、我は世の終まで常に汝らと偕に在るなり』-マタイ26:18~20- と言い給うた。

使徒たちは、主のご命令に従って福音を宣伝えた。主は御霊となって彼らの内に住み給い、彼らは皆御霊に満たされ、権威と能力を与えられて怖れることなく福音を語って行ったのである。

末の世の今日、主は日本にイエス之御霊教団教会を興して、初代キリスト教会と等しく権威と能力を与え、「水と霊」の真の全き福音を宣伝えることを委ねられておられるのである。この使命の故に感謝する!

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先週の台風18号に続き、今週も台風19号が日本列島を襲うとの報道。各地の諸教会の安否は如何にと思い、祈らされることです。主が守り給うように!  
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  お知らせ 御霊の声に 証ー40「母の預言」を載せました。
           http://dooh-imk.info より

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兄弟よ、召を蒙れる汝らを見よ。肉によれる智き者おほからず、能力(ちから)ある者おほからず、貴きもの多からず。されど神は智き者を辱しめんとて世の愚かな者を選び、強き者を辱しめんとて弱き者を選び、有る者を亡さんとて世の卑しきもの、輕んぜらるる者、すなはち無きが如き者を選び給へり。これ神の前に人の誇る事なからん爲なり。汝らは神に頼りてキリスト・イエスに在りて、彼は神に立てられて汝らの智慧と義と聖と救贖(あがなひ)とに爲り給へり。これ『誇る者は主に頼りて誇るべし』と録されたる如くならん爲なり。 -コリント前1:26~31-

士師記の6~8章にギデオンの事が記されている。
ミデアン人を怖れて酒榨(さかぶね)の中で麦を打っていたギデオンに神の使いが現れて「剛勇丈夫(ますらたけを)よ」と呼びかけ、「汝この汝の力をもて行き ミデアン人の手よりイスラエルを拯ひいだすべし 我汝を遣すにあらずや」と言われた。

彼は「わが家はマナセのうちの最も弱きもの 我はわが家の最も卑賤(いやしき)ものなり」と答えたが、主は「我かならず汝とともに在ん汝は一人を撃つがごとくにミデアン人を撃つことを得ん」と約束し給うた。

ギデオンは、彼と語るお方が神である証拠を幾つもの徴をもって示して戴いたのである。人は弱い者であって、明確に神の業を見せて頂かなければ、信じようとしないものである。その徴の一つに、羊の毛を禾場(うちば)に置き、これのみ夜露に濡れて、地面が乾いているならば徴としようと言ったところ、果たしてそうなった。では、次の日には羊の毛は乾いていて、地面が濡れていたら徴としようと言ったら、これもそうなった。こうして彼は確信を持たせて戴いたのである。

ギデオンの許に集まった民は3万2千人であった。主なる神は言われた。民の数は多すぎる。恐らくは民は神に向かって誇り、我らの手によって勝利したのだと言うだろう。だから命の惜しい者は帰り去らせよと。2万2千人が帰り、残ったのは1万人であった。

神はまたギデオンに言われた。民の数はまだ多い、水辺に連れて行き水を飲ませよ。膝を折って水を飲む者は帰し、手を口に当てゝ犬のように水を舐める者を別けよと。その数は300人であった。我ら真のキリスト者も神の篩に掛けられた選民である。

こうして神に選ばれた勇者は3組に分けられ、手に手にラッパと、燈火の入った空壜(からつぼ)を持って敵の陣営を襲い、ラッパを吹き、空壜を割って燈火を掲げ、「此れエホバのためなり ギデオンのためなり」と叫んで攻め入った。この戦いの結果、ミデアン人の軍勢は逃げ走り、イスラエルの人々は大勝利を得たのである。

「神もし我らの味方ならば、誰か我らに敵せんや」である。我らの主なる神は、「疲れたる者には、力をあたえ、勢いなきものには強きをまし加え給う」お方である。-ロマ8:31-、-イザヤ40:29-

我らの福音のための戦いは激しい。世との戦い、肉との戦い、妨げる者との戦い、敵サタンとの戦い、そのどれにも勝利しなければならない。主の御名のために!

もろもろの國に宣つたへよ 戦争の準備を為し 勇士をはげまし 軍人をことごとくちかより來らしめよ  汝等の鋤を剣に打かへ 汝らの鎌を槍に打かへよ 弱き者も我は強しと言へ 周囲の國々の民よ 汝ら急ぎ上りて集まれ エホバの勇士を彼処に降したまへ -ヨエル3:9~11-

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