汝の糧食(くいもの)を水の上に投げよ 多くの日の後に汝ふたゝび之を得ん -伝道之書11:1-
風を伺う者は種播くことを得ず 雲を望む者は刈ることを得ず -4節-
汝朝(あした)に種を播け 夕べにも手を歇(やすむ)るなかれ 其はその實る者の此れなるか彼なるか又は二者(ふたつ)ともに美(よく)なるや 汝これを知らざればなり -6節-
伝道之書11章には、種蒔きのことが記されている。
私たちにとって福音の種播きをすることは大切なこと。私たちが今日救われているとするならば、それは他の誰かが福音を伝えてくれたからである。同じように次の人に福音を伝える役割が私たちにはある。
今日の写真は、セダム。教会の庭に生えている多肉草である。
どこからか知らぬうちに胞子が風に運ばれてきて、庭に根付いて殖え広がった。雑草の居場所がない程、ただいま増殖中! 小さな植物ではあるが、その生命力は計り知れない。
イエス・キリストの福音は、死より復活する永遠の生命である。「水と霊」という形で、この福音は私たちに託された。次の人が救われるように福音を伝えよう。
若きA先生が、道央教会で行っている小樽港でのロシア人伝道を体験しようと遥々遠方からやって来られた。開拓伝道をしてみて、矢張り結論として必要なことは、「水と霊」の福音を宣伝えることが第1義だと思い、積極的に伝道をしている教会を訪ねて、実際にどのように伝道を行っているのか見て、知って、味わいたいと思われてのことであった。
当日は、生憎と救われる選びの民はおらず、空振りに終わったが、その夜の集会でA先生は、得るところが多かったと語られ、翌日喜んで帰って行かれた。
また言ひたまふ『神の國は、或人、たねを地に播くが如し、日夜起臥しするほどに、種はえ出でて育てども、その故をしらず。地はおのづから實を結ぶものにして、初めには苗、つぎに穂、ついに穂の中に充ち足れる穀なる。實、熟れば直ちに鎌を入る、収穫時(かりいれどき)の到れるなり』 -マルコ4:26~29-