道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2015年01月

          2008-桜島

                 桜 島  2008年撮影


なんぢの作為(わざを)エホバに託(まか)せよ さらば汝の謀(はか)るところ 必ず成るべし -箴言6:3-

このたび、1月28日と29日に鹿児島で開催された九州大聖会の聖言(みことば)である。

大聖会は、噴煙たなびく桜島を前にした鹿児島サンロイヤルホテルを会場にして開かれ、開始後、バスで鹿児島イエス之御霊教会に行き、聖餐式が行われた。その後ホテルに戻って聖会が続けられた。

さて、この聖言から教えられるのは、何事もイエス様が働き易いように、御手にお任せすることが大切だということ。人の思いが先立つと、主は働きづらくて、事が無為に終わる故に、祈って後は、神の御手に凡てお任せすると云うことである。

私たちの道央教会でも最初の会堂建設の時に経験したのだが、同じ聖言が与えられたので紙に書いて掲げ、お祈りをした。

設計図を書いて、それを持って工務店やマイホームセンターを回り見積もりを取ったのだが、建築費の凡その見当はついたものの、肝心の費用は与えられずにいた。

それが、主の御手に凡て委ねて大聖会に行ってお祈りをして帰ってくると、融資をしてくれる業者が備えられていて、とんとん拍子に話が進み、会堂が建設された証がある。

主はナザレの人々に「これヨセフの子ならずや」と言われたが、その実、神の独り子であられた如く、人の思いと神の念とは、天と地ほどの隔たりがあるのである。


        2015-01-25 冬の前庭


イエス言ひたまふ『何故われを尋ねたるか、我はわが父の家に居るべきを知らぬか。』 -ルカ2:49-
      
イスラエルには年に三度の祭がある。過越しの祭、五旬祭、収蔵(とりいれ)の祭である。男子たる者は皆、年に三度、主の前に出よと命じられていた。-出エジプト23:14~17-

主イエスの両親であるヨセフとマリアは、過越しの祭には年毎に捧げ物を携えてエルサレムに行き、七日の間、酵(たね)なしパンを食べ、礼拝をささげていた。

主イエスが12歳のとき、過越しの祭に両親と共にエルサレムに上り、祭を終えて帰るとき、イエスは一人エルサレムに留まった。両親はそれに気付かず、当然の如く同行の人たちの中に居るものと思っていたが、夕方になっていないことに気付き、迷子になったと思い、親族、知人の間を尋ね歩いたが見つからず、遂にエルサレムに戻り、三日後に神殿にいるイエスを見つけ出した。

時に、イエスは神殿の学者らと共に坐して、話を聞いたり、質問をしていた。彼らはイエスの賢さと答えとに驚いていたのである。

我はなんじの証詞をふかくおもふが故に わがすべての師にまさりて智慧おほし 我はなんじの訓諭(さとし)をまもるがゆえに 老いたる者にまさりて事をわきまふるなり -詩篇119:99,100-

母マリアは、イエスに「児よ、何故かかる事をわれらに為しぞ、視よ、汝の父と我とは憂いて尋ねたり」と言った。するとイエスは言われた。『何故われを尋ねたるか、我はわが父の家に居るべきを知らぬか』と。

主イエスにとって、家とはナザレにある住居ではなく、エルサレムにある神の神殿であった。



 あかし


私が江別で開拓伝道をしていた30歳位の頃、関東大聖会に出席して、いよいよ帰るという日に監督村井じゅん先生に伝道の祝福を祈って下さるようにお願いした。すると応接間に案内された。そこには数名の先輩の牧師がいて、監督に別れの挨拶をしていた。

私の番になったので、お祈りを請うと、監督はやおら両手を私の頭に按いて、大きな声で異言を以ってお祈りし、「・・・懼るるなかれ、慄くなかれ、視よ、我は世の終まで常に汝と偕にあるなり・・・」と主イエス・キリストの御名によって祈ってくださった。

その時、私が受けた聖霊による感動と啓示は終生忘れることができないものであった。私は、江別の教会から大聖会のために東京教会に出てきたと思っていたのだが、霊の実在ではそうではなくて、東京のイエス之御霊教会教団本部から、江別に遣わされている牧師なのだという事実に触れることができたのである。正に東京教会は、牧師にとって、霊の実家なのである。

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やはり若い時のことだが、関東大聖会に出席した初日、電車を降りて荷物を抱えて荻窪駅を出るとにわか雨が降っていた。暫く待っていたが止みそうもない。教会までは徒歩で7,8分の道だ。私は旅行鞄を傘代わりに頭の上に載せて教会まで走った。

玄関に飛び込むと、なんとそこには監督村井じゅん先生がおられるではないか。先生も空模様を気にして玄関に出てこられた様子であった。

雨で濡れた私をみて先生は「電話をかけてくだされば、駅までお迎えに行きましたものを・・・」と言われ、2階に向かって声をかけなさると、何と、奥様の寿和子先生(後の2代監督スワ先生)が、数枚のタオルを手に階段を降りてこられたのである。そして監督先生は私の洋服の前を、寿和子先生は後ろを拭って下さったのだった。

若い私は、ただ勿体なくて恐縮するばかりだったが、イエス・キリストの「汝らの中に大ならんと思う者は、汝らの役者(えきしゃ)となり、首(かしら)たらんと思う者は汝らの僕となるべし」-マタイ20:25以下-の御言葉を文字通り行った村井先生ご夫妻の行為を今も思い返して、忘れることはできない。

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お知らせ

  FC2ブログ 「御霊の声」に 証-44 大聖会の準備 を載せました。




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復活された主イエス・キリストは、弟子たちに「聖霊なんぢらの上に臨むとき、汝ら能力(ちから)をうけん、而してエルサレム、サマリヤ、及び地の極(はて)まで我が証人とならん」と言い終えると彼らの見ているうちに天にあげられ、雲に覆われてかれらの目に見えなくなった。

その昇り行き給うとき、彼らが天を見つめていると、傍らに白い衣を着た二人の人が立って言った。「ガリラヤの人々よ、何ゆへ天を仰ぎて立つか、汝らを離れて天に挙げられ給ひし此のイエスは、汝らが天に昇りゆくを見たるその如く復(また)きたり給はん」と。-使徒1:8~11-

主イエス・キリストが再び来られることを「再臨(さいりん)」(the second coming)と言う。

その日は、悪を行う者にとっては、罪に定められる日になるが、神の子たちにとっては、栄光体とされて復活する日であり、天に携挙される歓喜の日である。

再臨については、主イエス・キリスト自らマタイ伝24、25章で語られているが、再臨の兆(しるし)として、偽キリスト・偽預言者の出現、それによる惑い、戦争、飢饉、地震、患難、不法の増すにより人の愛が冷やかになること、憎しみなどを挙げておられる。今やこれらの出来事が地上のあらゆる所で起きており、再臨が近いことを思わしめられる。

茲で、「御國のこの福音は、もろもろの國人に証をなさんとめに全世界に宣伝へられん、而して後、終は至るべし。」の御言が燦と輝き、水と霊の福音を委ねられている我らの伝道心を奮い立たせてくれる! -24:14-

主イエスが預言をされてから2000年は経つ。ある人は「本当に再臨はあるのか」と疑って言う。然しペテロは預言して言った「主の御前には一日は千年のごとく、千年は一日のごとし。主その約束を果たすに遅きは、或人の遅しと思ふが如きにあらず、ただ一人の亡ぶるをも望み給はず、凡ての人の悔改めに至らんことを望みて、汝らを永く忍び給ふなり。」と。-ペテロ後3:8,9-

ソドムが滅んだ時、アブラハムはそこに住む甥のロトと家族の救いを主に求めた。50人から始めて、「ソドムの邑(まち)に若しも10人の義人がいたら滅ぼさないでくださいますか」と、主は「我10人のために滅ぼさじ」と答えられた。 -創世記18:22~33-

再臨はいつあるのか? 誰も知らない。御使いも知らず、子も知らず、ただ父のみ知り給う。盗人が来るように、何時とは教えないが、突然来ると主は言い給う。その準備はできているだろうか? 喜んで新郎を迎えることができるように、灯火が燃え続けるように油を持つ事、即ち聖霊の油を持つことが大切だと主は言われた。 -マタイ25:1~13-

まだであれば用意をしよう。主は、いと優しく救いの保証を与えてくださる。

これらの事を証する者いひ給うふ「然り、われ速やかに到らん。アァメン、主イエスよ、来たりたまへ。 
-ヨハネ黙示録22:20-

              005 雀


汝等ただキリストの福音に相応しく日を過ごせ、然らば我が往きて汝らを見るも、離れいて汝らの事をきくも、汝らが霊を一つにして堅く立ち、心を一つにして福音の信仰のために共に戦ひ、凡ての事において逆ふ者に驚かされぬを知ることを得ん。その驚かされぬは、彼らには亡びの兆(しるし)、なんぢらには救ひの兆にて此は神より出づるなり。 -ピリピ1:27,28- 

水と霊とによって救われた者は主イエス・キリストの証人となった。それに相応しい生き方がある。それは常に主イエス・キリストを念頭に置き、主の喜び給うことを行い、偕に歩むこと。そうすれば、主もまた偕に在して、祝福し、守り、強めて、福音宣教のために用いてくださるのだ。

私たちの周囲にいる人たちの総てが、福音に対して理解を持ち、善意ある行動をとってくれるとは限らない。なぜなら、それらの人はサタンの支配下にあり、罪の世の中に置かれているからである。場合によっては信仰の戦いも生じよう。しかし、その戦いにはいつも萬軍の主イエス・キリストが偕に在って戦ってくださり、私たちに勝利を与えてくださるのだ。

戦いが厳しく、困難であればあるほど神の働きは大きく、与えられる証も勝利の喜びも大きいのである。

ペテロとヨハネが生まれながらの跛者(あしなへ)を主イエス・キリストの名によりて歩ましめた時、祭司らは二人を捕えて公開の場で詰問したが、二人は如何なる脅かしにも屈せず、堂々と主イエスを証したのである。 -使徒行伝3,4章-
 
神は御意(みこころ)を成さんために汝らの衷にはたらき、汝等をして志望(こころざし)をたて、業を行はしめ給へばなり。なんぢら呟かず、疑わずして凡ての事をおこなへ。是なんぢら責むべき處なく率直(すなほ)にして此の曲がれる邪悪(よこしま)なる時代に在りて神の瑕(きず)なき子とならん爲なり。汝らは生命(いのち)の言(ことば)を保ちて、世の光のごとく此の時代に輝く。 -同2:13~15-

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あかし

年末に、〇〇教会(今はない)で二十何年か前に水と霊を受けたという姉妹が教会に来られた。ずっと教会に行っておらず、こちらに移ってきてから十年は経つと仰る。

その間、信仰に迷い、偶像教を勧められて入信し、言われるままに聖書も霊讃歌もみな棄てて、その宗教をやってみたが行き詰まり、矛盾を感じて止めたという。

いろいろと辛い思いをして悩み、ふっと我に返ったとき、ここに教会があるのを思い出して訪ねてきたとのこと。

会堂に招き入れていろいろ話を交わしていると、「こんなに長い間教会を離れ、お祈りをしたこともないので、神様に見捨てられたのではないかと思っています」 と言われるので、「大丈夫ですよ、聖霊を受けているんでしょ。だったら直ぐお祈りができますよ」 と言って、手を按いて祈ったら、すぐに異言が出てきて、滔々と祈りはじめ、暫く止まらなかった。

聖書に 「なんぢら信仰に居るや否や、自ら試み、自ら験(ため)しみよ。汝等みづから知らざらんや、若し棄てらるる者ならずば、イエス・キリストの汝らの中に在す事を」 -コリント後13:5- とあるように、異言が出てくることは、聖霊が内住しておられる証であり、聖霊御自身が 「大丈夫、私はいつもこうしてあなたの中にいますよ」と異言をもって語って下さることである。

私たちが水と霊とを受けてさえいれば、その後に於いて例え主の事を忘れたとしても、主は私たちの事を忘れず、内住していて下さるのである。なんとありがたいことか。この故に私たちは主を忘れるがごとき愚かな者とならず、常に主を崇めて行くべきだと思う。

さて、この日姉妹が教会に来られたのは、妹さんの身代わり洗礼を受けるためであった。亡くなり方が可哀そうだったので、ぜひ受けたいと思って来られたのである。イエス様は、こういう思いを姉妹に与えて教会に導いてくださったのだった。

そこで、副牧師たちも総出で洗礼式の準備をして、いざ身代わり洗礼!と席を立とうとしたら、姉妹が急に 「頭が痛いです」 と言う。「どの辺ですか?」と尋ねると、後頭部だという。

瞬間、サタンが救いの邪魔をしに来たな!と察知したので、講壇の油をとって姉妹の痛める処に塗り、「主イエス・キリストの名によって癒ゆべし」と言った。同時に心の中で「サタンよ、去れ!」と命じたのである。そして、姉妹に「どうですか?」と尋ねると、「良くなりました」という返事であった。

直ちに洗礼式場に行き、副牧師の手によって主イエス・キリストの御名による全身浸礼の身代わり洗礼を行い、牧師が身代わり洗足式を行い、頌栄・祝祷をもって終わったのである。

年が明けて、姉妹は新年礼拝に友人を導いて来た。それから毎週安息日礼拝に集っているので、大感謝である。 ハレルヤ!
                            1月12日に追記しました。
  

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聖書は、礼拝日について正しくは何と教えているのか?

最初に出てくるのは創世記2章1,2節で、こう記されている。

神七日を祝して之を神聖(きよめ)たまへり 其は神 其の創造(つくり)為したまへる工(わざ)を盡(ことごと)く竣(をへ)て是の日に安息(やす)みたまひたればなり

神は、創世記の1章に記されている創造の六日間をもって、天地のあらゆる物をお創りになり、これを善しとされ、七日目にお休みになられた。

この聖言にあるように、七日目の日は神によって祝福された日であり、神聖(きよめ)られた日なのである。

七日目とは、現在の土曜日にあたり、ヘブル語でシャバトと云った。 エノクも、ノアも、アブラハムも、信仰者たちは、みな七日目の安息日を憶えて、神に感謝と讃美と祈りを献げていたことと思う。

次に安息日が聖書に出てくるのは出エジプト記16章23節以下である。ここでは天からマナが降ったことが記されている。即ち一日に一人一オメルずつマナを拾うのだが、安息日の前日である六日目にはいつもの倍の二オメルずつを拾った。時にモーセは会衆に神の言葉をこう伝えた。

明日はエホバの聖安息日にして休息なり・・・ 六日の間 汝等これを斂(あつ)むべし 第七日は安息日なればその日には有るらざるべし・・・。 ここで聖安息日と主なる神が言われたことに目を留めよう。

そして、3番目は モーセの十戒の第4条に出てくる 「安息日を憶えてこれを清潔(きよく)すべし 六日の間労(はたら)きて汝の一切(すべて)の業を為すべし・・・エホバ安息日を祝いて聖日としたまふ」である。 -出エジプト20:8~11-

同じく十戒が与えられ場面を記した申命記5:12以下を読むと、安息日を守る理由として、「汝誌(おぼ)ゆべし汝かつてエジプトの地に奴隷たりしに汝の神エホバ強き手と伸べたる腕とをもて其処より汝を導き出したまへり是をもて汝の神エホバなんぢに安息日を守れと命じたまふなり」と記されている。

エジプトとは「この世」の型であり、出エジプトとは、私たちにとっては罪の世から、罪の奴隷から解放されて安息を得ることを意味する。

主イエス・キリストは、安息日に会堂に行き、神の聖言を語り、多くの不思議・徴を行い、病める者、悩める者を癒された。誠に「それ人の子は安息日の主たるなり」と言われた如くである。

初代教会の使徒たちも、行く先々町で安息日に会堂に入り、主の福音を宣伝え、また家の教会に集まり、主の聖餐に与ったのである。

現代のキリスト教会では、日曜日を安息日を称え、日曜礼拝を行うをもって正当なり、というが、これはダニエル書7:24,25の預言を読むと一人の王がいて、「かれ至高者(いとたかきもの)に敵して言を出しかつ至高者の聖徒を悩まさん彼また時と法(おきて)を変えんことを望まん」とある。かれとはローマ帝国のコンスタンチヌス大帝であって、時と法を変えたとは、即ち時について云えば、安息日を廃して、日曜休業令を発布し、法について云えば、偶像を造るべからず、拝すべからずの律法の大2条を廃して、十字架像やマリヤ信仰などを行ったことである。それが現在のカトリック教会の姿であり、多くのプロテスタントの教会が追従しているところである。

しかし、安息日が永遠の未来に亘ってに七日目であることは、イザヤ書66:22~24を読めば、新天新地の時代に、安息日ごとによろづの人わが前にきたりて崇拝(をがみ)をなさん と記されているのを見れば明白である。

イエス之御霊教会教団にある我らは、旧約の律法によって安息日を守るのではなく、恵みと祝福を求めて守るのである。その基となる聖言はこれである。

もし安息日になんぢの歩行(あゆみ)をとゞめ我が聖日になんぢの好むわざをおこなはず安息日をとなへて楽日(たのしみ)の日となしエホバの聖日をとなへて尊むべき日となし之をたふとみて己が道をおこなはずおのが好むわざをなさずおのが言(ことば)をかたらずばその時なんぢエホバを楽しむべしエホバなんぢを地のたかき處にのらしめなんぢが先祖ヤコブの産業をもてやしなひ給はんこはエホバ口(みくち)より語りたまへるなり -イザヤ58:13,14-

      
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お礼とお詫び、年末から年始にかけて大勢の方がアクセスしてくださいました。ありがとうございます。
一方、管理人は5日間連続で主の御用があり、気に掛けつつもPCの前に座ることができませんでした。お許しください!
本日も来客あり、その後、集会に出て、帰ってきてから1月3日の講壇の御用をまとめました。
今年もとに角導かれるまま取り組もうと思いますので、宜しくお願い致します。ハレルヤ!                                                                                                       -管理人-

    2015-  2015-花



ハレルヤ! 2015年を迎えて新春のお慶びを申しあげます


   年の初めを 寿ぎて
     我らともども 祝わなん
      主もまた共に あれまして
       幸(さきわ)い給う この御殿
(みとの)
               
                   -霊讃歌85番1節-



ヱホバは全世界を徧く見そなはし 己にむかひて心を全うする者のために 力を顕(あらは)したまふ
                         -歴代志略下16:9上半句-


主なる神は、いつの時代にもご自身に向い心を全うする人を求めておられる。

ノアがそうだった。義人であり、その世の全き人だった。ノアは神と偕に歩んだ。それ故に洪水のときに神は箱舟に入れて、彼と家族を救って下さった。

アブラハムもそうである。世継ぎがいなかったが、必ず与えるという神の御言を信じ、年100歳の時に与えられた。”信仰の父 ”と呼ばれるに相応しい。

ダビデもそう。羊飼いエッサイの末っ子、誰もイスラエルの王になる人だとは思わなかった。神が選び、膏を注がれて王となった。

上記の聖言の主人公は、ダビデから数えて5代目のアサ王について、預言者ハナ二が語った言葉である。


アサ王が即位すると、すぐに始めたのは、偶像を取り除くこと。真の神の目に適わぬものは悉く毀し、焼き払った。すると神の祝福を得て太平の世が訪れた。

10年を過ぎて、エチオピアの大軍が攻め寄せてきたときは、神に向かって呼ばわり助けを求めた。すると神は戦いに勝たしめ大勝利を得た。 預言者アザリヤは、アサ王を祝し、神と偕にあれば、神も偕に在ますと言って祝福した。

王は心を尽し、精神を尽して先祖の神を求めた故に、神より祝福され、治世の35年もで太平が続いたのである。

所が、36年目に北朝イスラエルの王バアシヤが国境を侵し、ラマを建てた時は、アサ王はスリヤに助けを請い、神の家と王の家から金銀を取り出して贈り、スリヤとバアシヤとの間に結ばれていた約を破らせ、両国で境で戦いが始まったので、バアシヤはラマを建てることをあきらめ、手を引いた。そこで、アサはラマに行き、バアシヤが残して行った資材を丸ごとぶんどって二つの町を建てたのである。

預言者ハナ二がアサ王の許に来て言った。スリヤ王に依り頼んで、神に依り頼まなかったによって、スリヤの軍勢は王の手から脱した。エチオピアの大軍と戦った時は、神に依り頼んだから勝ったではないか、「ヱホバは全世界を徧く見そなはし己にむかひて心を全うする者のために力を顕したまふこの事において汝は愚なる事をなせり故に此後は汝に戦争(いくさ)あるべしと。」

若き日のアサ王は、純粋に神を信じ、神に全く依り頼んだから大軍に勝てた。然し年老いた時は、神に依り頼まず、己の知恵が先立ち、巧妙な手立てを尽くすようになり、人に依り頼んだ。あまつさえ神の宮にある金銀までも心のままに贈り物として扱うようになった。これらは神の喜ばぬことであった。

”初心忘るべからず。”

今年も、神が私たちに与えて下さった信仰を堅く守り、神の喜び給う事を行って行きたい。

もし始めの確信を終まで堅く保たば、我らはキリストに與る者となるなり。
-へブル3:14-



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