ぺテロとパウロ
『君等よ、われ救はれん為に何をなすべきか』 二人は言ふ 『主イエスを信ぜよ、然らば汝も汝の家族も救はれん』 -使徒行伝16:30,31-
パウロは第2次伝道でシラスを伴い、マケドニアのピリピに導かれた。祈り場である川岸に行こうとしたところ、占いの霊に憑かれた奴隷女に出会った。この女は占いをして主人たちに利益を与えていたのである。
占い師や易者、呪文師、口寄せ、霊媒、死者に問うこと、日本にあるユタなどは、サタン来のものであって、真の神の忌み嫌うことである故に、信者たる者は為すべきでなく、神に対して全き信仰者でなければならない。-申命記18:10参照-
彼女は、二人を見て『この人たちは至高き神の僕にて、汝らに救の道を教ふる者なり』と毎日言うので、パウロは憂いて、振り向きざまに、その霊に言った。『主イエス・キリストの名によりて汝に、この女より出でんことを命ず』と。 霊はただちに出た。
ところが、その主人たちが利益を得る道がなくなったので、二人を捕えて役人に引渡し、取り調べを受けて、鞭打たれ牢獄に繋がれた。
二人は、その夜獄中で神に祈り讃美をしていると、大地震が起きて牢屋の基が振い動き、戸が開き、囚人の縄目が皆解けた。看守は、囚人が皆逃げ去ったと思い、自殺しようとすると、パウロが大声で『自害をするな、我らは皆ここにいると叫んだ。』
その時、看守は懼れを抱いて二人を連れ出し、『君たちよ、われ救われん為に何を為すべきか』と問うたのである。
彼は、目の前で神が二人を助け出すために大なる御業を為さったのを見た。同時に自分が罪人であると悟ったのである。
あゝ、この罪から如何にしたら救われるのか?
二人は言った。『主イエスを信ぜよ、然らば汝も汝の家族も救はれん』 然り! 主イエスを信じて水と霊のバプテスマを受けることである。
そして、二人は神の言を看守と全家族に語った。看守は即時に二人を引取って全家族みな直ちにバプテスマを受け、自宅に連れ行って食事をし、全家とともに神を信じて喜んだ。
全家とともに喜ぶとは、即ち全家族が救われるということである。イエス之御霊教会では家族信者が多い。それは取りも直さず、家族に福音を伝え、皆が救われて、一つ心になり、ともに教会に通い、愛と希望と信仰を一つにし、平和と喜びと感謝を共にすることを願うからである。この世の使命が果たされれば、行く所は同じ天国である。
救いを受けるには、難しい勉強はいらない、努力もいらない、ここに書いてあるように、イエス・キリストを信じて、水と霊とのバプテスマを受け、教会に通い、聖書を霊の糧として読み、主に従って歩むだけ。育て給うは神である。
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今週も教会では救いの御業がなされた。一人の姉妹が水と霊を受けて救われた。この方は精神的な病を持っていたのだが、洗礼を受け、洗足式を受けるやいなや、悪しき霊が去り、さっぱりしましたと喜ばれたのである。
また一人の姉妹は、身代わり洗礼をしてくださいと言われ、2月の寒中ではあるが、実に8名もの故人のために身代わり洗礼を受けたのである。寒さで震えることもなく、実に見事でした。ハレルヤ!
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お知らせ
沢 則行兄弟(フランス教会)方が携われた、さっぽろ雪まつりの「雪の国のアリス」は、「BSフジテレビ」によって記録・編集・作成され、放送されました。
http://www.bsfuji.tv/itteki/archives/24.html
また次の舞台として、3月14,15に札幌市教育文化会館で開催される 「オホーツク」-終わりの楽園- に出演されるとのことです。
2015年02月
結 婚 式
『この故に人は父母を離れ、その妻に合ひて二人のもの一體となるべし』
この奥義は大(おおい)なり、わが言ふ所はキリストと教會とを指せるなり。
-エペソ5:22,23-
2月18日に、四国で若き先生方の結婚式が行われました。
その前途ある伝道生涯のためにお祈りをしました。
御両家、両教会共に世界伝道に用いられています。
若き先生方も、主から備えられた道程に随って、世界伝道へと羽博いて行くことでしょう。
お二人へ聖書の御言葉を贈りました。
家と資材(たから)とは 先祖より承嗣(うけつ)ぐもの
賢き妻は エホバより賜ふものなり
箴言19:14
聖書には、エペソ書5章22~33節に、夫と妻の関係は、キリストと教会の関係を表しているとして、パウロは「教会の奥義」と題して、こう書いています。
妻たる者よ、主に服(したが)ふごとく己の夫に服へ、キリストは自ら體の救主にして教会の首(かしら)なるごとく、夫は妻の首なればなり。教会のキリストに服ふごとく、妻も凡てのこと夫に服へ。
夫たる者よ、キリストの教会を愛し、之がために己を捨て給ひしごとく汝らも妻を愛せよ。キリストの己を捨て給ひしは、水の洗をもて言(ことば)によりて教会を潔め、これを聖なる者として、汚點(しみ)なく皺(しわ)なく、凡て斯のごとき類なく、潔き瑕(きず)なき尊き教会を、おのれの前に建てん爲なり。斯のごとく夫はその妻を己の體のごとく愛すべし、妻を愛するは己を愛するなり。己の身を憎む者は曾てあることなし。皆これを育て養ふ、キリストの教会に於けるも亦かくのごとし。我らは彼の體の肢(えだ)なり。
『この故に人は父母を離れ、その妻に合ひて二人のもの一體となるべし』 この奥義は大なり、わが言ふ所はキリストと教会とを指せるなり。 汝等おのおの己のごとく其の妻を愛せよ、妻も亦その夫を敬ふべし。
私たちは、キリストが私たちのために生命を捨てて罪の中から救って下さったことを知り、かつ信じています。
神は愛なり ヨハネ第一書4:16
私たちも世の何物にも勝って、キリストを愛して服うものでありたいと思います。
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お知らせ 御霊の声 証-45 指導者主御自身 を載せましたので、ご覧ください。
ホームページ・関連リンク から入れます。 http://dooh-imk.info
ご質問などございましたら、ホームページのお問い合わせフォームをご利用ください
(ご本人だけにお知らせするようになっていますので、ご安心ください。)
2月23日追記
証 の 幕 屋
ラス・エス・サフサフェ山とホテル 1989年/撮影
(シナイ山は、この山の後ろ側にある)
我らの先祖たちは荒野にて証の幕屋を有(も)てり。モーセに語り給ひし者の、彼が見し式(かた)に循(したが)ひて造れと命じ給ひしままなり。 -使徒行伝7:44-
モーセはシナイ山で、主なる神から幕屋を造れと命じられた。
この幕屋は「集会の幕屋」-出35:21・文語訳-と云い-、又「臨在の幕屋」-新共同訳-と呼ばれた。ステパノは之を「証の幕屋」と称した。
彼等わがために聖所(きよきところ)を作るべし 我かれらの中に住ん -出エジプト25:8-
汝山にて示されし式様(ひながた)にしたがひて之を作ることに心を用ひよ -同25:40-
神は、幕屋の全様を細部に至るまで悉くモーセに示された。そして、ユダの支派(わかれ)のベザレルとダンの支派のアホリアブを名指しで選び、神の霊を満たして工事の役に用いられた。モーセは、見たままを二人に告げて工事に当たらせた。彼等は寸分違わず作り上げたのである。
幕屋の中心に至聖所と聖所が設けられた。至聖所には、契約の箱が置かれ、その上のケルビムの間に神の臨在があった。また聖所には、香壇と、パンの机と、灯台が置かれ、祭司が交代で神に仕えた。
幕屋の前の庭には、祭司が手足を清める水の満ちた洗盤(たらい)が置かれ、更に手前には生贄を奉げる燔祭の壇が置かれた。
庭の周囲は、細布の幕を以って囲われ、入口は東に面して設けられ,刺繍が施された幔(とびら)が下がっていた。
至聖所と聖所とを囲う三方の壁は、アカシヤの木で作られ、内側は金で覆われていた。その金はイスラエルの民がエジプトを出る時に、エジプト人から得たものであって、幕屋作りのために献げたものであった。
幕屋の天井と外側は、幕で覆われていた。内側の見える幕にはケルビムが刺繍され、その上に山羊の毛の天幕が被せられ、更に赤染めの牡羊の皮の天幕で覆い、外側にじゅごんの皮の蓋いが設けられていた。
内側は正に天国を見る様で素晴らしく、外側は雨露を凌ぐに相応しかった。その間の幕は、主の贖いの羔羊の如く、また主の十字架の御血を見るが如く赤かったのである。
しかし、内側を見るには灯りが必要であった。故に聖所の北側の壁の所に、灯台が置かれた。油の燃える灯火によって、ケルビムも黄金の壁も見えたのである。聖霊の輝く處に真理が悉く啓示されるのである。
また、聖所の南側の壁の所には、パンの机が置かれ、日ごとに新しいパンが供えられた。同様に生命のパンなる神の御言葉を日ごとにいただくことが必要である。
そして、至聖所に近い所に香壇が置かれ、香の煙が立ち上っていた。これは祈りの型である。
至聖所と聖所との間には、仕切りの幕が下がっていた。これにはケルビムが刺繍されていた。年に一度大祭司が己と民の罪を贖うために入ることを許された。主イエス・キリストが十字架で死なれた時に、この幕が上から下に裂けて、主を信ずる者の誰もが至聖所に入る道が開かれたのである。
至聖所の契約の箱の中には、三つの品が入っていた。十戒を記した石の板2枚と、アロンの杖、マナ1オメルを入れた壺である。
契約の箱は、純金を以って覆われ、その上に二個のケルブが向かい合わせで置かれていた。その中間が贖罪所であって、神の栄光が輝いていたのである。
この証の幕屋は、教会の型である。
主イエス・キリストが言われたように天国に入る救いの門は「水と霊」である。他から入ることはできない。燔祭の壇である主イエス・キリストの十字架を信じ、洗盤で全身と足を洗い、聖所である教会に入って聖霊の光に照らされて真理を悟り、御言葉を糧として甘きを味わい、霊と真の祈りをささげ、開かれた至聖所である御国に入る日きたらば、喜びて主に見え、キリストの新婦とせれ、再臨の主と共に千年の間王たる身分を与えられるのである。
この幸いを得るために、是非とも水と霊とのバプテスマを受けられよ!