道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2015年04月

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神は曾て御子を立てて萬(よろず)の物の世嗣となし、また御子によりて諸般(もろもろ)の世界を造り給へり。御子は神の栄光のかがやき、神の本質の像(かた)にして、己が権能(ちから)の言(ことば)をもて萬の物を保ちたまふ。また罪の潔(きよめ)をなして、高き所にある稜威(みいつ)の右に坐し給へり。           -へブル1:2,3-

今日は、御用の中で導かれて御使いの話をした。以前或る姉妹から、夜の祈祷会に集うと、天使が牧師の横に立って、御用を聞いている姿を見たり、自分を迎えには来ないが、帰りには家の近くまで送ってくれるという証を聞いた。普通の人には見えないが、神が霊眼を開かせて下さる人には見えるのである。

聖書には、御使いの事が多く出てくるが、みな神の御栄えのために、また人を活かすために用いられているのであって、人が興味本位で云々するのは慎まねばならぬが、そのような証を聞くと主の恵みを感じ、慰めや励ましを受けるは自然の理であると思う。

主イエス・キリストとはいかなるお方であるかを明確に記しているのがへブル書だが、特に、第1章と第2章は、御子イエスと御使いとを対比して記している。

先ず、名前についてであるが、天使長の名はミカエル(神の如き者)、乙女マリアに現れたのはガブリエル(神の人)であるが、これだけでも凄いことだと思うのだが、主イエスの名は更に勝っていて、主が「聖なる父よ、我に賜ひたる汝の御名」-ヨハネ17:11-と言われたように、イエスと云うのは、父の名で、神そのものの御名なのである。

主イエス・キリストは、御子と呼ばれるが、天使は、そのように呼ばれていない。

また、主イエスに対して「神の凡ての使いは之を拝すべし」とあり、御使いたちは「神は、その使いたちを風をなし、炎となす」と用いられる立場にある。主は拝されるお方であり、御使いたちは主を拝し仕える者である。

御子はまた「神よ」と呼ばれ、「歓喜(よろこび)の油を、その友に勝って注がれた」お方であり、「聖霊によって身籠り、聖霊に満たされて御用をされた」お方である。

大きな違いは、御使いは霊であって肉体を持たないが、主イエスは霊であると同時に肉体を持って現れたお方であるということである。

即ち「御使いはみな事へまつる霊にして、救を嗣がんとする者のために職(つとめ)を執るべく遣わされた者にあらずや」とあるが、主は「言(ことば)は肉体となりて我らの中に宿りたまへり」というお方である。-ヨハネ1:14- 肉体を持って現れ給うた訳は、「子等はともに血肉を具(そな)ふれば、主もまた同じく之を具へ給ひしなり。これは死の権力(ちから)を有つもの、即ち悪魔を死によりて亡し、かつ死の懼れによりて生涯奴隷となりし者どもを解放ち給はんためなり。」と、我らの罪の贖いの為に十字架に懸り、肉を裂き、血を流して救いを完成するためであった。感謝の極みである。ハレルヤ。

今日はこの聖言を味わいながら、聖餐式に与ったことである。




           三国峠
                   大雪山系・三国峠付近


門よりすゝみゆけ進みゆけ 民の途をそなへ 土をもり土をもりて大路をまうけよ
石をとりのぞけ もろもろの民に旗をあげて示せ  -イザヤ62:10- 

この1週間、教会での礼拝の外に祝福祭あり、来客あり、巡回訪問伝道ありで忙しくさせて頂いた。
門より進みゆけ!と外に出るのも良きものである。

最初のお宅は、毎年度ごとに行われる祝福祭。もう何十年と続けておられる。生まれたばかりのお孫さんも社会人になっている。3世代のご家族が揃ってお元気で過ごせるよう、それぞれのお仕事が祝されるようお祈りをささげた。

教会に訪問者もあった。かなりの高齢で、心臓も肺も悪く、人生の重荷を背負って歩んできた方だった。旅人の接待を忘るな、或人これに由り、知らずして御使を舎したりとあるから、何よりも大切な救いのお話をし、水と霊の福音をお伝えすると、聖霊と洗礼を受けて下さった。宗教的な体験をしたのは初めてだと仰った。今日から新しい人生が始まりますよとお伝えした。

週の後半の木曜日と金曜日は、2日間かけて道東と道北に車で副牧師と巡回伝道に出かけた。

トンネル続きの高速自動車道を駆け抜け、6時間を経て道東に住む信者さんのお宅に到着し、主の恵みが豊かにあるのを拝見し、聖書を開き、讃美をささげ、祝福のお祈りをした。更に別の信者さんの事柄で車を走らせ現地に行ってお祈りして、夕刻十勝のホテルに向かったが、その途中の国道でキタ狐を見たが、エゾ鹿の群れに出会った。最初は2頭だったが、次々5頭とか10頭とかライトの中に現れるので、その都度急ブレーキをかけ、衝突を避けた。こんなに道路を塞ぐほど沢山いるとは驚いた。

翌日は、十勝で農業を営んでいる信者さん宅でお祈りの集いをもち、持って行った聖霊誌を差し上げた。帰り際に馬鈴薯や長芋など沢山お土産に頂いて感謝であった。

最後に、道北周りのコースで白樺林で美しい三国峠を経て層雲峡から旭川に入り、久しぶりに旭川教会を尋ねてA先生に会い、互いに安否を問い、お祈りを交わして帰札の途に就いた。北海道は広いなと思いつつ走行距離900キロ、運転時間15時間の長旅を終えて教会に着いた。ハレルヤ!





            祈り

 

われ此子のためにいのりしに ヱホバわが求めしものをあたへたまへり 此故にわれまたこれをヱホバにさゝげん 其一生のあひだ之をヱホバにさゝぐ                     
       -サムエル前1:27,28-

エルカナに二人の妻がいた。ハンナとぺニンナである。ぺニンナには子がいたが、ハンナにはいなかった。夫には愛されていたが、仇は勝ち誇ったかのように、ハンナに辛く当たったので、ハンナは泣いて食事もしなかった。

エルカナは年毎に礼拝のために家族を連れてシロに行った。

その年も行って供え物をささげて礼拝をしたが、夫が食事を終えて立ち上がり、家族も帰り支度をしているのに、ハンナは一人神の前で泣きながら祈っていた。そして心の中に誓って言った「萬軍のヱホバよ 若し誠に婢(しもめ)の悩をかへりみ 我を憶(おも)ひ 婢を忘れずして婢に男の子をあたへたまはゞ 我これを一生のあひだヱホバにさゝげ 剃髪刀(かみそり)其首(かうべ)にあつまじ」と。-11節-

ハンナが神の前に長く祈っていたので、その口に祭司エリが目をとめた。ハンナが心の中で祈っていたので唇は動いていたが、声は聞こえなかったからである。エリは彼女が酒に酔っているのだと思い、声をかけた。

ハンナは言った「私は憂いと悲しみの多きによって祈っていたです」と。エリは言った。「安んじて去れ 願くはイスラエルの神 汝の求むる願ひを許したまはんことを」と。 ハンナはその言葉を信じてシロ去ったが、間もなくして身ごもり、時満ちて男の子を授かった。神が祈りに応えて下さったことを感謝して、その子をサムエル(神に聞かる)と名付けた。

ハンナは、乳離れしたのち、サムエルを携えてシロに行き、祭司エリの前に立って言った。私は嘗てここで祈った女です。神は祈りに応えてこの子を授けてくださいました。その時誓った如くこの子を一生の間神にささげますと。

幼子サムエルは、祭司エリの許でエボデを着用して神に仕え、成長して行った。ハンナは小さな上着を作り、年毎に夫と共に年の祭物(そなへもの)ををささげるためにシロにのぼる時に持参した。

祭司エリは、その信仰を喜び、エルカナと妻ハンナを祝福して言った。「汝がヱホバにささげたる者のためにヱホバ此婦(をんな)よりして子(たね)を汝にあたへたまはんことをねがふ」と。 その後、神ヱホバがハンナを顧みられたので、ハンナは孕んで三人の男の子と二人の女の子を生み、祝福されたのだった。ハンナとは”恩恵”の意である。正しく恩恵を賜ったのである。

童子サムエルは神の前にあって成長し、神の声を聞き、召命にしたがい、エリに代わって後日イスラエルを導く祭司となった。

神に身も心もささげて仕えることは幸いである。主はその人を用いて、神の栄光を顕わす清い器としてくださる。そしてその人のみならず、周囲の人々にも祝福を齎すのである。

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私たちの救主イエス・キリストも神が受肉され、私たちの罪の贖いの為にご自身を惜しみなく与えて下さったお方である。イエス・キリストを信じて、備えて下さった水と霊とのバプテスマを受ける者は祝福を受けるのである。

それ神はその独子を賜ふ程に世を愛し給へり、すべて彼を信ずる者の亡びずして永遠(とこしへ)の生命(いのち)を得んためなり。 -ヨハネ3:16-

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            文語訳聖書 左(元訳=旧新共に明治訳) 右(現行)


我に従ひきたれ、然らば汝らを人を漁(すなど)る者となさん』 -マタイ4:19-

ガリラヤ湖の辺で主イエス・キリストは人々に神の御言葉を語られた。余りにも大勢押し迫ってきたので、主は傍らで網を洗っていた二人の漁人(すなどりびと)の舟に乗せてもらい、そこから人々に教えられた。語り終えると主は二人に「深処(ふかみ)に乗りいだし、網を下して漁れ」と言われた。その一人シモン・ペテロが答えて言った「君よ、われら終夜(よもすがら)、労したるに何をも得ざりき、然れど御言に随ひて網を下さん」。すると夥しい数の魚がかかり、網が裂けそうになったので、ペテロは他の一艘を助けに呼んで魚を引き上げると、二艘ともに沈みそうになったのである。

ペテロは驚いて、これは只の人ではないと思って言った。「主よ、我を去りたまへ。我は罪ある者なり」と。主は、この時に言われたのである。「我に従ひきたれ、然らば汝らを人を漁る者となさん」と。ペテロは直ちに兄弟アンデレと共に網を棄てゝ従った。もう一艘の舟のヤコブとヨハネの兄弟も主の御言葉に従い、父ゼベダイと舟を置いて直ちに従った。 -ルカ5:1~11-

主イエス・キリストは、神の御言葉を語る人を探し求めておられる。人類は今世界に70億人いるが聖書(分冊を含めて)を手にしたことのある人は30億人に過ぎないという。真の神イエス・キリストの名を聞いたことも、福音とは何かを知らない人が実に多くいるのである。

悩める者、病めるもの、苦しむ者が何と多いことが。神がいるならば、救って欲しいと願って人たちが周囲に大勢いるのに、福音を伝える人が少ないのだ。

主イエスは町々村々を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣伝え、病を癒し、患いを癒し、更に迷える牧(か)う者なき羊の如く悩み倒れる群衆を憐れんで 「収穫(かりいれ)は多く労働人(はたらきびと)は少なし。この故に収穫の主に労働人をその収穫場に遣わし給はんことを求めよ」と言われた。

ペテロの如く、ヤコブやヨハネの如く、テモテやテトスの如く、主が福音のために選ばれた者は、ハイ!と答えて潔く立ち上がるべき時だ。

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イエス之御霊教会教団の初代監督村井じゅん牧師は、人生問題で悩んで自殺をも考えていた21歳の時に、少年時代に自分を信仰に導いてくれた英国人テーラー夫人を訪ねて岡山へ行った。夫人は一時英国に帰国中、ウエルスの聖霊降臨の場で聖霊を受けていたのである。その日、夫人と従妹の三好と共に下津井に住む老姉妹の家庭集会に行った帰りの事、

時、大正7年(1918年)9月8日午後6時、岡山県児島湾小蒸気船の上で、突、「捨てよ」と天からの声を聞き、「ハイ」と答えると、聖霊が注がれて口からどっと異言が出てきて語らされた。

救われた村井牧師は、青山学院大学を中退し、岡山から神戸の丹波で伝道していた米人宣教師ソントンの許に行き、神学校の伝道部長として聖霊運動を始められたのである。

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また、2代目の監督になられたスワ牧師は、同じころ18歳の時に、テーラー夫人に出会い、教会に来るように誘われた。

ある日、自室に居ると「我窮(かぎり)なき愛をもて汝を愛す故にわれたえず汝をめぐむなり。汝は我に従え」という声を聞いた。周囲を見回したが、誰もいなかった。

テーラー夫人を訪ねて、その声のことを尋ねると、「それは聖書の御言葉ですよ。あなたは神に選ばれているのだから従いなさい」とエレミヤ記31:3を開いて教えてくださった。「ハイ」と神の御言葉に従った。

母親からは、キリスト教など信ずるなら勘当ですと言われたが、主に従ったのである。その後じゅん牧師と結婚するように導かれ、夫婦して主につかえられたのである。

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