道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2015年05月

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教団本部より回し状を頂きました。 冒頭にエステル書第4章13,14節の御言葉が記されているので、ご自分の聖書を開いてお読みくださるように御願いします。

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一読して、聖霊はあなたに何を語りましたか? 

あなたの心にこの御言葉はどのように響きましたか?

聖書の言葉は、神の御言葉です。そして聖霊は真理を正しくあなたの心に伝えます。
 
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ユダヤ人に危機が迫った。原因は何か? 

神に忠実なユダヤ人モルデカイは、悪大臣ハマンに跪かず拝さなかったために恨みを受けた。 ハマンは、モルデカイだけではなく彼の属するユダヤ人をことごとく抹殺しようと謀り、アハシュエロス王に取り入ってプル(くじ)で12月13日を実行の日と定め、王の名と印をもって詔書を作り、ペルシャの国中に伝えた。

モルデカイは非常に悲しみ、王妃であり娘であるエステルに事の次第を告げ、ユダヤ人の救われんことを王に懇願するように命を送った。その言葉が4章12,13節の聖句である。

だが、王妃といえども王の召しなくして近づくならば殺されるという法律がある。ただ一つ、その禁を犯しても、王が金圭を伸べれば生きることができた。そこで、エステルはモルデカイに使いを送り、私は死を覚悟して王に近づき懇願する故に、3日の間断食して私のために祈るようにと伝えた。

王はエステルに金圭を伸べてくれた。それのみならず、王は「汝の願いは何なるや、国の半ばにいたるとも与えん」と優しく言ってくれたのである。正に恩寵の証である。そして、そのことを通してハマンの悪巧みが明らかにされて、れダヤ人は救いを得、悪人は滅ぼされた。

王はキリストの型、エステルは花嫁なる教会の型、ハマンはサタンの型である。

教会には世の人々の救いを求めて水と霊の福音を宣伝える使命が委ねられている。黙していては伝わらない。勇気をもって大胆に証していこう。

なんじ死地に曳(ひか)れゆく者を拯(すく)へ 滅亡(ほろび)によろめきゆく者をすくはざる勿れ -箴言24:11-

視よ今は惠のとき、視よ今は救の日なり。 -コリント後6:2下-

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  ☆ 2015年度の大聖会の日程が発表されました。 関係分のみお知らせします。

       北 海 道 大 聖 会
             9月23日(水) 道央イエス之御霊教会
             9月24日(木) 京王プラザホテル札幌
多数の皆様のご出席をお待ちしています。祝福された大聖会になりますようにお祈りください。

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使徒パウロの第2回伝道は、当初シラスを伴い第1回伝道の跡を踏み、更にテモテの献身を加えて周辺地域に伝道する予定であったが、御霊の導きは然らず、マケドニアへ渡って伝道するように幻の中に示されたので、ピリピ、テサロニケを経廻って伝道をし、群れをを起こし、この地方の教会の基礎を築いた。

しかし、迫害に遭ったことからパウロは二人と離れ、アテネに進み、コリントに到った。 ここでパウロはアクラとプリスキラという夫婦に会った。二人は、皇帝クラウデオのユダヤ人のローマ退去の命令によりイタリアからこの地に来たのであった。 この時より夫婦はキリスト信者となる。

シラス等との再会後、コリントでのパウロの伝道は18ヵ月に及び、コリント教会ができた。 その後パウロは一旦アンテオケに帰ることに定め、アクラとプリスキラを伴ってコリントを出帆し、エペソに着き、ここに二人を留めて帰国し、第2回伝道を終えた。

さて、次の第3回伝道に向う途中、エペソでは、一つの出来事があった。

アポロというユダヤ人の伝道者がやってきたのである。聖書に通達していて、而も能弁家であった。彼は曩(さき)にイエス・キリストのことを教えられ、ヨハネのバプテスマを知るのみであったが、熱心に詳細にイエスの事を会堂で大胆に語り教えた。 アクラとプリスキラは彼の話を聞き、招いてなおも詳しく正確に神の道を解き明かしたのである。

アポロが、アカヤ、コリントに渡ろとしたので、エペソの兄弟たちは彼を励まし、コリント教会宛に彼を受け入れるように書き贈った。彼はかしこに行き、恵みによって信じた人たを助け、イエスが救い主であることを堂々と語ったのである。

さて、それから間もなくの事、聖書の記述に目をとめよう。

パウロ東の地方を経てエペソに到り、或る弟子たちに逢いて 『なんぢら信者となりしとき聖霊を受けしか』と言ひたれば、彼等いふ 『いな、我らは聖霊の有ることすら聞かず』  パウロ言ふ 『されば何によりてバプテスマを受けしか』 彼等言ふ 『ヨハネのバプテスマなり』 パウロ言ふ 『ヨハネは悔改めのバプテスマを授けて 己に後れて来るもの(即ちイエス)を信ずべきことを民に云へるなり』 彼等これを聞きて主イエスの名によりてバプテスマを受く。パウロ手を彼らの上に按きしとき聖霊その上に臨みたれば、彼ら異言を語り、かつ預言せり。この人々は凡て十二人ほどなり。 -使徒行伝19:1~7-

ここで云う或る弟子たちとは、アポロの伝道によって主を信じた者たちを指している。

パウロは先ず、「聖霊を受けしか」と尋ねた。答えは、「聖霊の有る事すら知らず」であった。それは、彼らを導いたアポロがヨハネのバプテスマのみしか知らず、聖霊のバプテスマのあることも、イエスの名によるバプテスマのことも知らなかったからである。アクラ夫婦が彼を招いて解き明かしたこととは、この点であったのではなかろうか。

バプテスマのヨハネの証にこうある。『我は汝らの悔改のために水にてバプテスマを施す。されど我より後にきたる者は、我よりも能力(ちから)あり、我はその鞋(くつ)をとるにも足らず、彼は聖霊と火とにて汝らにバプテスマを施さん。・・・』  -マタイ3:11-

アポロはまだこのことを知らなかったのである。

パウロはこれを明らかにし、主イエスの名によるバプテスマを施し、且つ主が聖霊のバプテスマを注いでくださるのを見て、救いの成就を確認したのである。



           P1020455 提灯花



ヱホバの使者(つかひ)は ヱホバをおそるゝ者のまはりに営をつらねて これを援(たす
                                       -詩篇34:7

ダビデは若き日にサウル王に追われて逃げまどっていた。

祭司アヒメレク許に逃れた時は、祭司以外は食べてはならぬ供えの聖きパンを与えられて生き延び、更に曾てダビデが打ち取ったゴリアテの剣をも得た。

主イエス・キリストは、安息日問題で聖なるパンを引用して「憐憫を好みて、犠牲を好まずとは如何なる意か」を説いておられる。 -マタイ11:1~8-

ダビデが次に逃げ込んだのはガテの王アキシだった。だが王の家臣たちが 「この人はダビデではないか? 歌にもサウルは千を殺したが、ダビデは万をころしたと謳われたダビデではないか?」 と騒いだので、ダビデはアキシをを恐れて、咄嗟に狂人のさまをし、門の扉に物を描き、涎(よだれ)を髭に垂らしたりしたので、アキシ王はダビデに謀られて本当に狂人だと思い込み、家に置いてはおけぬと即刻追い出したので、ダビデの命は助かった。

それから、ダビデはアドラムの洞穴に逃れると、それを聞き付けた兄弟や父の家の者が彼の許に来た。又悩める者や負債のある者、不満をもつ者が集まって、その数凡そ400人になり、ダビデはその頭となった。

後に、ダビデのためには命も惜しまぬ三勇士や、これに続く三十人衆という強者(つわもの)を得たダビデも、初めは弱者の群れの王だった。

同じく教会の中を見るに、大いなる者は少ない。主は強き者を召さずして、世の愚かな者、弱き者、卑しき者、軽んぜらるゝ者、すなわち無きがごとき者を選ばれた。それは、人が神の前に誇ることがないようにするためであり、主が我らの智慧と義と聖と救贖(あがない)とに為り給わんためである。 -コリント前1:26~31-

ダビデは、サウル王から命を狙われ続けたが、サウルの子ヨナタンが彼に味方してくれたので、危機を脱することができた。

後日、ダビデはこれらの事を思い返して歌をつくった。 -詩篇34篇-

この苦しむもの叫びたればヱホバこれをきゝそのすべての患難(なやみ)よりすくひだしたまへり ヱホバの使者(つかひ)はヱホバをおそるゝ者のまはりに営をつらねてこれを援く

ただしきものは患難(なやみ)おほし されどヱホバはみなその中よりたすけいだしたまふ

義人はいつまでも悩みの中に沈むことはない。必ずや勝利の日がやってくる!



            P1020403 チュウリップ


イエス答へて言ひ給ふ 『神を信ぜよ。誠に汝らに告ぐ、人もし此の山に「移りて海に入れ」と言ふとも、其の言ふところ必ず成るべしと信じて、心に疑はずば、その如く成るべし。この故に汝らに告ぐ、凡て祈りて願ふ事は、すでに得たりと信ぜよ、然らば得べし。』 
マルコ11:22~24

マルコ伝福音書11章には、主イエス・キリストが十二弟子と共にベタニヤに行かれた時に為さった御業が書かれている。

前日に、ロバの子の背に乗ってエルサレムに入場され、宮に入って凡ての物をご覧になり、夕暮れになってベタニヤへ行かれ、一夜明けてベタニヤを出られた時は、たいへん空腹を感じておられた。

ふと見ると、遥か向こうに無花果(いちじく)の樹があったので、果を得んとして行かれたが、葉ばかりで果は一つも付いていなかった。まだ時期が早かったからである。主は、その樹に向って 『今より後いつまでも、人なんぢの果を食はざれ』と言われた。弟子たちはその言葉を聞いた。

その日、主はエルサレムに行き、宮に入り、そこで商売をしている人たちを追出し、「此処は祈りの家ではないか」と言われた。夕べになって主は都を出られた。

次の日の朝、主と弟子たちが路を歩いていると、あの無花果の樹の傍を通った。すると弟子たちは無花果の樹が枯れているのを見た。ペテロは、主が二日前にこの樹に向って言われた言葉と思い出して、主に言った「ラビ見給へ、詛(のろ)ひ給ひし無花果の樹は枯れたり」と、その時主がペテロに答えて言われたのが最初の御言葉である。

人がもし山に向って「移りて海に入れ」と確信をもって言うならば、そのようになると主は言われた。

五つのパンと二匹の魚を取って五千人に分け与えた時も、嵐に向って「黙せ静まれ」と言われた時も、墓に向かって「ラザロよ、出で來たれ」と言われた時も、主は確信に満ちておられた。

主は、私たちが主に祈り求める時、全き信仰をもって祈り、聊かも疑わずに祈るならば必ず応えられると約束しておられる。既に得たり!と確信をもつことが大切である。

要点は、主イエス・キリストの名によって祈ること、聖書の御言葉の約束をそのまま信ずること、少しでも疑う気持ちがあったら、その思いは敵サタンが持ってきたものであるから、主イエスの名によって追出すことである。

私達は、人々が救われることを願って祈ろう。自分や周囲に病のある人がいたら主が癒やしてくださるように祈ろう。悩み事を抱えている人がいたらその問題が解決するように祈ろう。主は凡ての祈りを聴き応えてくださる。


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