道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2015年09月

            P1030130 63年前

 
ヨシュア既に年邁(すゝ)みて老いたりしが ヱホバかれに言(いひ)たまひけらく 汝は年邁みて老たるが 尚取るべき地の残れる者甚だおほし -ヨシュア記13:1-

今年は、9月21日が敬老の日になっています。道央教会でも、90歳を超えた兄弟姉妹方、80代、70代の兄弟姉妹が居られます。生まれた日より、また救いに与らせていただいた日より、ここまで導いて下さった主に感謝し、これかれも主に用いられて大切な信仰生活を歩ん行けますように祈りつつ、今日の御言葉を開きました。

モーセの死後、後を継いだヨシュアは、ヘテ人、アモリ人、カナン人、ぺリジ人、ヒビ人、ヱブス人と、31人の王の領地を攻め取りましたが、そこで一休みすることなく、まだまだ攻め取れよと、神はヨシュアを励ましました。

既に80代半ば になった高齢のヨシュアでしたが、神の御言葉に励まされて戦い、領地を拡げていきました。そして遂に広大な土地を得て、イスラエルの九支族とマナセの半ばとに籤引きで分け与えて、領地となさしめました。

私達も主イエス・キリストの福音の戦いに加わり、サタンの支配下にある人々を解放するために、「尚取るべき地の残れる者甚だ多し」と、勇み励んで進んでいきたいと思います。

時にヨシュアの許に、盟友カレブがやってきました。

二人は、40歳のとき、モーセの命を受けて、他の十人の支族長と共に、カナンの土地が窺いに行った者同士でした。

その時、彼らはエシコルの谷で一房の大きな葡萄の実を見つけ、枝ごと切って、ざくろや無花果と共に竿にかけ、二人で担ぎ、持ち帰りました。

十二人は、往復四十日をかけて業を終えて、モーセとイスラエルの民の許へ帰りましたが、そのうち十人が復命して、「誠にそこは乳と密の流れる善き地です。しかしそこに住む民は猛く、町は堅固で甚だ大きく、また巨人も住んでいました」と言いました。

これを聞いた民らに動揺が走り、「そのような危険な所には、行くわけにはいかない」と、不満を言い、不信仰な言葉を語り、神とモーセに反抗しました。

これに対してカレブとヨシュアは、「神が偕にいれば、必ず勝つことができ、この地を得ることができる」 と信仰を持って言いました。しかし、民らは十人の言った言葉に従い、不信仰に陥りました。

結局、イスラエルの民は神の怒りを蒙り、四十年の間荒野を放浪し、二十歳以上の者は荒野で死に絶え、ヨルダン川を渡って約束の地に入れたのは、彼らの子孫と、信仰を貫いたモーセの従者ヨシュアと、勇者カレブとのみでした。

そのカレブがヨシュアの許に来て言ったのです。

「その日モーセ誓ひて言ひけらく 汝の足の踐(ふみ)たる地は 必ず永く汝と汝の子孫の産業となるべし 汝まったく我が神ヱホバに從がひたればなりと ヱホバこの言(ことば)をモーセに語りたまひし時より己来(このかた) イスラエルが荒野に歩みたる此の四十五年の間 かく其(その)のたまひし如く我を生存(いきなが)らへさせたまへり 視よ我は今日すでに八十五歳なるが 今日もなほモーセの我を遣はしたりし日のごとく健剛(すこやか)なり 我が今の力はかの時の力のごとくにして出入し 戦闘(たたかひ)をなすに堪ふ 然れば彼日ヱホバの語りたまひし此山を我に與へよ…」と。 -ヨシュア記14:9~12-

ただ単に八十五歳まで長生きしたと言うのではなく、神が祝福を与えようとして生かしてくださったというのだす。このように高齢になっても、若い時と何ら変わることなく、民の前に出入りをし、戦いを為すことができる、神と人との前で役立つ人物なのだ。故にモーセが自分に約束した産業の地を、この手で戦って勝ち得たい。相手がどのような巨人であれ、自分は打ち勝って手にすることができる。そういう信仰があるのだ、と熱っぽくカレブはヨシュアに語ったのです。

ヨシュアは、カレブを祝福して、欲するところの山と町であるヘブロンを彼に与えました。

私たちもこの二人のように、愈々信仰を篤くし、主に従い、主に喜ばれる歩みをし、祝福の実を多く得、救霊のために励みたいと思います。 ハレルヤ!


されど我らの救主なる神の仁慈(なさけ)と人を愛したまふ愛との顕れしとき、我らの行ひし義の業にはよらで、唯その憐憫(あはれみ)により、更生(うまれかはり)の洗いと我らの救主イエス・キリストをもて、豊に注ぎたまふ聖霊による維新とによりて我らを救ひ給へり。これ我らが其の恩恵(めぐみ)によりて義とせられ、永遠(とこしへ)の生命(いのち)の望にしたがひて世嗣とならんためなり。 -テトス3:4~7-

なんぢらが斫出(きりいだ)されし磐(いは)と なんぢらの掘出されたる穴とをおもひ見よ  なんぢらの父アブラハム及びなんぢらを生たるサラをおもひ見よ  われ彼をその唯一人なりしときに召し これを祝してその子孫をまし加へたり -イザヤ51:1,2-

1952年(昭和27年)の夏のこと、水と霊の福音の炎が札幌に降りました。

その年の春、札幌UPC教会が伝道を開始しました。その伝道を助けるべく東京イエス之御霊教会の村井じゅん先生は、8月に2名の神学生を派遣し、そして9月には、この伝道の総まとめとして、先生自ら来札し、10日から14日まで5日間、「真のキリスト教特別伝道集会」が開かれ、筆者はその初日に導かれました。

その時、村井先生は、「当時私は21歳、世を儚んで死のうと思っている時に、大正7年9月8日午後6時、岡山県児島湾、小蒸気船の上で、突、「捨てよ!」との神の声を聞き、「ハイ」と答えると、聖霊が降り、口から異言が語らされ、受霊したことを知り、青山学院大学を中退して伝道界に入り、以後、聖霊運動に励むようになったのです」と証をされました。

翻って私はというに、生まれながらの心臓病と肺結核のため、人知れず悩みを抱えておりました。日本でいう神仏は眞の神ではないと感じていました。キリスト教のキの字も知らぬ者でしたが、村井先生の説教を聞き、漸く尋ね求めていた本物の神に会えた心地がして、自分もイエス・キリストによる救いを得たいと切望し、先生の勧めに從い「ハレルヤ・・・」と聖霊を求めて祈りました。間もなく異言に変わり、約束の聖霊を頂きました。そして、伝道集会の最終日に豊平川で主イエス・キリストの名による洗礼を受け、水と霊の救いが全うされました。正に運命的な出来事であり、感謝の極みです。

救われて1年目に「もし始の確信を終りまで堅く保たば、我らはキリストに與かる者となるなり」-へブル3:14- との御言葉が与えられて、決意を新たに致しました。その後、時が来て献身し、以来イエス之御霊教会の牧師として終生この道を歩ませて頂ける事は、無上の恵みであり、祝福これに勝るものはないと感謝しています。

あの日以来60余年を重ねましたが、主の恵みは絶えることなく続き、日々歌いつつ歩まん、称えつつ歩まんと、副牧師や聖徒方と共に歩んでいます。

今年は、献身者が日本聖書大学院に入学し、またこの9月23日,24日には北海道大聖会が、道央イエス之御霊教会及び京王プラザホテル札幌で開かれ、多くの先生方、聖徒方をお迎えすることになりました。主が大いに働き出で、私たちも心一杯主を称える素晴らしい大聖会となるように祈念しています。

先に村井じゅん先生、スワ先生ご夫妻を主が選び、水と霊の福音を委ね、イエス之御霊教会教団を興し、代々の監督先生がこれに続き、また多くの牧師先生を立て、世界伝道へと向かわせてくださることは、真に人より出るものにあらず神より出るものであり、その一翼を塵灰の如き私たちに担わせていただけることは感謝の極みです。ハレルヤ!

           ハレルヤ歌いて進む シオンの大路は楽し
             導き給えるイエスは 全能の神
             大いなる感謝もて 御前に平伏し
             新しきほめ歌 歌わばや 

                        霊讃歌138番 大感謝 1節

               

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