オリブ山
復活された主イエス・キリストが天に昇り給うたとき、弟子たちが天を見上げていると、二人の御使いが傍らに立って言いました。
『ガリラヤの人々よ、何ゆゑ天を仰ぎて立つか、汝らを離れて天に擧げられ給ひし此のイエスは、汝らが天に昇りゆくを見たるその如く復きたり給はん』と。 -使徒行伝1:11-
キリストの再臨は、私たちクリスチャンの希望であります.
その日には、「それ主は、號令(ごうれい)と御使の長(をさ)の聲(こゑ)と神のラッパと共に、みづから天より降り給はん。その時キリストにある死人まず甦へり、後に生きて在(のこ)れる我らは彼らと共に雲のうちに取り去られ、空中にて主を迎へ、斯ていつまでも主と偕に居るべし」と記された如くになるのです。 -テサロニケ前4:16,17-
水と霊とのバプテスマを受けて救われた者は、キリストによって罪赦され、聖霊により印せられた者である故に、天に移され、この日、目を以て救い主である主イエス・キリストを拝し、大いなる感謝と讃美をささげることができるのです。
しかし、一方、救いを等閑(なおざり)にして、キリストに敵し、不信を貫いた者にとっては、審きの日となり、一人だに逃れることはできません。
主は、再臨の日に就いて、ノアの日の洪水が突然人々を襲った事を例に挙げて、こう言われました。
「その日その時を知る者なし。天の使たちも知らず子も知らず、ただ父のみ知り給ふ。・・・その時ふたりの男、畑にをらんに、一人は取られ、一人は遺されん。二人の女、磨碾(うすひ)きをらんに、一人は取られ、一人は遺されん。されば目を覚ましをれ、汝らの主のきたるは、何れの日なるかを知らざればなり」 -マタイ24:40~42-
何時、新郎(はなむこ)なる主が来られても良いように目を覚まし、信仰の灯火が消えぬよう、聖霊の油を備えて置くことが大切です。 -同25:1~12-
た主その約束を果たすに遅きは、或人の遅しと思ふが如きにあらず、ただ一人の亡ぶるをも望み給はず、凡ての人の悔改に至らんことを望みて、汝らを永く忍び給ふなり。 -ペテロ後3:9-
と主は忍耐しておられます。故に速やかに主の救いを受けられますよう願うのです。
また救いは「異邦人の入り来りて数満つるに及ぶ時までなり」とあります。異邦人の救いは員数が定められていて、その員数が満ちた時に主が地上再臨をされ、イスラエル人が救われるとあります。ゆえに異邦人伝道をすることは主の再臨を促進する事であり、私たちの使命であります。 -ロマ11章-
御國のこの福音は、もろもろの人々に證をなさんため全世界に宣傳へられん。而して後、終りは至るべし。 -マタイ24:14-
視よ今は惠のとき、視よ今は救の日なり -コリント後6:2-