道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2015年12月

昨日はクリスマスでした。皆様も主の御聖誕を祝われたことと思います。

クリスマスに寄せてだと思いますが、このブログにも通常の金曜日の2倍程、大勢の訪問者が来られました。感謝です。

遠き地にいらっしゃる牧師先生からはクリスマスの御祝詞と共に、激励のメールを頂き、これまた大感謝でした。

クリスマスカードを送って下さった先生方、ありがとうございます。

これは皆、イエス様あってのことです。

私たちには誇ることは、一つもありません。
誇る者は主によりて誇るべし-コリント後10:17- 十字架のほかに誇る所あらざれ、-ガラテヤ6:14- とある通りです。

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今日は、今年最後の安息日礼拝を行ないました。そして一年を振り返って素晴らしい証が沢山あった年だと思い、感謝に堪えません。合わせて感謝祭を行ないました。

A兄弟の証の中で十一献金の祝福の証がありました。

昨年のクリスマスの頃に、車で外出した際、近郷の峠道で道路がアイスバーン状態の個所があり、徐行して通ろうとしましたが、スリップして運転不能となりました。あっと言う間に道路際の雪山に乗り上げ、滑り落ちて車が横転しました。

運転席が下になったので脱出できずにいた所、通りがかった車の人たちに助けられ、助手席側のドアから外に出されました。通報で救急車が駆けつけて来ましたが、体は無傷なので、とにかく家に帰ってきたのですが、車屋さんは、この車の修理代は100万円以上かかるというし、保険金なら70万円出るというので、高齢でもあるので(もう車はやめよう)と思い、保険金を選びました。

そして、与えられた保険金70万円の中から十一献金の7万円を神様にささげました。

すると、車屋さんから「保険金が7万円増えました」と言って、十一献金をした分のお金が与えられました。十一献金の恵みとはこういうことだと初めて知り「ありがたい事だ」と思い、そのまた十一献金をささげました。

一度は止めようと思った車ですが、普段の祈り場が郊外にある畠の中の小屋なのです。そこでは誰憚ることなく大声を出して祈れます。だが、そこへ行くには矢張り車が必要となので、祈っていましたら、神様の恵みによって、ちょうど良い軽自動車が与えられました。今は、これに乗って楽しく教会に集ったり、買い物に行ったりしています。ハレルヤ!

主は、十一献金をする方には、天の窓を開いて容るべきところなきまでに恵みを注ぐと約束されています。生活が神様によって保障されるのですからありがたいことです。

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汝ら常に主にありて喜べ、我また言ふ、なんぢら喜べ、凡ての人に汝らの寛容を知らしめよ、主は近し。何事も思ひ煩ふな、ただ事ごとに祈をなし、願をなし、感謝して汝らの求を神に告げよ。さらば凡て人の思にすぐる神の平安は汝らの心と思とをキリスト・イエスによりて守らん。-ピリピ4:4~7-




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視よ をとめ孕
(はら)みて子をうまん その名をインマヌエルと称ふべし                                                   -イザヤ7:14下-

ひとりの嬰児(みどりご)われらのために生れたり 我隮(われら)はひとりの子をあたへられたり 政事(まつりごと)はその肩にあり  その名は奇妙 また議士 また大能の神 とこしへのちゝ 平和の君ととなへられん その政事と平和とはましくはゝりて窮(かぎ)りなし 且ダビデの位にすわりてその國ををさめ いまよりのちとこしへに公平と正義とをもてこれを立て これを保ちたまはん 萬軍のヱホバの熱心これを成したまふべし                     -同9:6,7-

上記は、主イエス・キリストの聖誕に関わる旧約聖書の預言中の二句です。 この外にも預言があリます。

新約聖書中で、主イエス・キリストの聖誕に関する個所を順に列記すると、次のとおりです。

ルカ伝:1:26~38  御使いガブリエル、マリヤに現れて受胎告知をする。
マタイ伝1:18~25  御使い、ヨセフに現れて、マリヤの受胎をつげる。
ヨハネ伝1:1~18   受肉。言なる神が肉体となり、イエス・キリストとなる。
ルカ伝2:1~7     ダビデの町ベツレヘムで出生された。
ルカ伝2:8~20    主の使い、牧者に救い主キリストの誕生を告げる。
ルカ伝2:21       生後8日目に割礼を施し、イエスと命名。
ルカ伝2:22~38   エルサレムでの献児式、シメオンとアンナの祝福。
マタイ伝2:1~11    東の博士たち、ユダヤ人の王を拝そうとして来訪。
マタイ伝2:12~21   夢でみ告を受け、ヘロデ王の嬰児惨殺から逃れる。
マタイ伝23、ルカ伝2:39  ガリラヤのナザレに住み、成人する。

今年も、救い主イエス・キリストの聖誕をお祝いし、皆様の上に主の祝福と平安が豊かに在りますようお祈りいたします。

 「いと高き處には榮光、神にあれ。地には平和、主の悦び給ふ人にあれ」                                       -ルカ2:14-




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祭司の職は、神と人との間に立って、神の御旨を人に伝え、神が定めた律法(おきて)に從い捧げ物をもって人の罪を贖い、人をして神に深く結びつける役割を持っていました。

聖書の最初に出てくる大祭司は、メルキゼデクです。彼は、アブラムが戦いに勝利をして帰ったときにパンと酒を持出し、願わくは天地の主なる至高き神アブラムを祝福(めぐみ)たまへと言って祝しました。アブラムは感謝してその諸(すべて)の持物の什分の一を饋(おく)
ったとあります。 -創世記14:18~20-

次に登場するのは、アロンの大祭司です。アロンは、モーセの兄であり、神に選ばれた支族レビの出身で、その子孫は代々祭司の職を継ぎました。

メルキゼデクとアロンの両者を比べて記しているのがへブル書第7章です。

メルキゼデクに就いては、その名を釈けば第一に義の王、次にサレムの王、すなはち平和の王なり、父なく、母なく、系図なく、齢の始めなく、生命の終りなく、神の子の如くにして限りなく祭司たりと記されています。  

一方、アロンは人であり、弱みのある者、死ぬるが故にその職に留まるを得ず、子孫が後を継がざるを得なかったとあります。 結論としてメルキゼデクの方がアロンよりも遥かに上であると記しています。

そして次に出てくる大祭司は我らの主イエス・キリストであって、主イエス・キリストは 「メルキゼデクの位に等しき祭司たり」 と、その地位の高さにおいて、その職分の大きさにおいて、全きお方であり、完璧なお方であることを証言しています。

今、福音の中に生きる私たちは、この主イエス・キリストによって罪の中より救われ、神の子とされて、神の国の大路を歩むことができる者とされていることを大いに感謝したいと思います。

もう一つ、水と霊によって救われた私たちの身分は、主によって祭司とされて、多くの人々の救いのために祈り、且つ導く立場にあることを忘れてはならないと思います。

されど汝らは選ばれたる族(やから)、王なる祭司・清き國人・神に属ける民なり、これ
汝らを闇黒(くらき)より召して、己の妙なる光に入れ給いし者の譽を顕させん為なり。 -ペテロ前2:9-



御使はみな事(つか)へまつる霊にして、救を嗣(つ)がんとする者のために職(つとめ)を執るべく遣されたる者にあらずや 
-へブル1:14-

先週は、入退院をしたと記しましたが、実を申しますと肺炎でした。 然し、主は驚くべく奇しく癒してくださいました。今は全快して教会で主の御用に励んでおりますが、通された不思議な体験を一つ証し致します。

入院当初、担当の呼吸器科の医師から全治2週間の診断を受けました。私自身は主が必ず癒やしてくださると信じて平安でした。

最初は1日3回の抗生物質の点滴があり、軽快してからは投薬に代わるなど、色々な治療を受けましたが、その一つに「吸入」がありました。 毎日5回、6時、10時、14時、17時、20時に看護師さんが、携帯用の吸入器を病室に持ってきて、酸素のホースに繋ぎ、10分間吸入を受けました。

幸い、医師が驚く程良くなって大部屋に移りましたが、吸入は引き続き、ナースステーションに行って受けました。

退院まであと数日というある日、吸入の時間を前にしてベッドでうとうとと寝入ってしまいました。

すると、夢を見ました。正夢です!

「〇〇さん」と女性の声で私の名前が呼ばれたので、ふと見ると、淡いピンクの制服を着た看護師さんが、ベッドの傍らに立っています。

片手に白い小瓶を持ち、もう一方の手には淡いピンクの小瓶を持っていて一つずつ私に見せるのです。瓶の中程には、白いラベルに黒いドット文字が2行書かれて貼られています。どうやらこの瓶は、薬の瓶のようです。

無言ですが 「見ましたか?」 「見ました!」  私が、それを見終えると同時に、看護師さんは、瓶もろ共、ふっとかき消すように見えなくなりました。

はっとして、夢から覚めたのですが、私の右手はその後を追うように伸びていました。気を取り直して時計をみると、ちょうど吸入に行く時間でした。

そこで、ナースステーションに行き、「〇〇ですが、吸入を受けに来ました」 と声をかけ、所定の椅子に腰かけました。(この時、近くにいる看護師さんが応対してくれることになっています)

すると、「はい」と返事をして近づいてきた看護師さんを見て、私の目は点になりました。

その看護師さんは、何と、私が数分前に夢の中で見た看護師さんと、顔立ちも体型も服の色も同じ人だったのです。

看護師さんは、手早く吸入器に薬品を入れ、酸素に繋ぎ、セットして私に手渡し、去って行きましたが、その間、私には、夢で見た看護師さんと現実の看護師さんとが、目の前で重なり合って見えました。

思わず、私は 「神様は此処におられる!」 と思いました。

独りぽっちで、この病院で病と戦っていたのではなく、イエス様が共にいてくださったのだと、大感謝をしました。

後で思い返すと、夢で見た看護師さんは、御使いが看護師さんの姿・形をとって私に現れたのだと思います。

聖書にありますように、主の御使いは、ペテロが牢獄に入れられ鎖に繋がれ、4人一組なる四組の見張の兵卒の中にいた時に救い出し、またパウロとシラスが牢獄に入れられていた時に地震をもって助け出しました。-使徒行伝12:4~19 同16:223~4- 主は福音伝道のために使命のある者に対し、御使いを遣わして助け出してくださるのだと思います。

イエスの証は即ち預言の霊なり とあります。 -黙示録19:10下半句-

主は、御自身が将来行われることを予め御存じで、私たちにそれを御霊によって示し、証と為して下さいます。

聖書の世界は、まさに預言と、成就の世界です。

パトモス島で主イエス・キリストが使徒ヨハネの前に現れ、見せて下さった壮大な黙示は、世界と人類に関わる預言であり、その一部は既に成就し、一部は今現在行われつつあり、またその大部分はこれから後に成就していくものです。

今現在、私たちが、多くの恵まれた証を頂けるのも、予め凡てを知り給う主の御霊の導きと働きによるものであると思い感謝します。 ハレルヤ!





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