クリスマスに寄せてだと思いますが、このブログにも通常の金曜日の2倍程、大勢の訪問者が来られました。感謝です。
遠き地にいらっしゃる牧師先生からはクリスマスの御祝詞と共に、激励のメールを頂き、これまた大感謝でした。
クリスマスカードを送って下さった先生方、ありがとうございます。
これは皆、イエス様あってのことです。
私たちには誇ることは、一つもありません。
誇る者は主によりて誇るべし-コリント後10:17- 十字架のほかに誇る所あらざれ、-ガラテヤ6:14- とある通りです。
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今日は、今年最後の安息日礼拝を行ないました。そして一年を振り返って素晴らしい証が沢山あった年だと思い、感謝に堪えません。合わせて感謝祭を行ないました。
A兄弟の証の中で十一献金の祝福の証がありました。
昨年のクリスマスの頃に、車で外出した際、近郷の峠道で道路がアイスバーン状態の個所があり、徐行して通ろうとしましたが、スリップして運転不能となりました。あっと言う間に道路際の雪山に乗り上げ、滑り落ちて車が横転しました。
運転席が下になったので脱出できずにいた所、通りがかった車の人たちに助けられ、助手席側のドアから外に出されました。通報で救急車が駆けつけて来ましたが、体は無傷なので、とにかく家に帰ってきたのですが、車屋さんは、この車の修理代は100万円以上かかるというし、保険金なら70万円出るというので、高齢でもあるので(もう車はやめよう)と思い、保険金を選びました。
そして、与えられた保険金70万円の中から十一献金の7万円を神様にささげました。
すると、車屋さんから「保険金が7万円増えました」と言って、十一献金をした分のお金が与えられました。十一献金の恵みとはこういうことだと初めて知り「ありがたい事だ」と思い、そのまた十一献金をささげました。
一度は止めようと思った車ですが、普段の祈り場が郊外にある畠の中の小屋なのです。そこでは誰憚ることなく大声を出して祈れます。だが、そこへ行くには矢張り車が必要となので、祈っていましたら、神様の恵みによって、ちょうど良い軽自動車が与えられました。今は、これに乗って楽しく教会に集ったり、買い物に行ったりしています。ハレルヤ!
主は、十一献金をする方には、天の窓を開いて容るべきところなきまでに恵みを注ぐと約束されています。生活が神様によって保障されるのですからありがたいことです。
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汝ら常に主にありて喜べ、我また言ふ、なんぢら喜べ、凡ての人に汝らの寛容を知らしめよ、主は近し。何事も思ひ煩ふな、ただ事ごとに祈をなし、願をなし、感謝して汝らの求を神に告げよ。さらば凡て人の思にすぐる神の平安は汝らの心と思とをキリスト・イエスによりて守らん。-ピリピ4:4~7-