道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2016年01月

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                      無限 43番   筆者蔵
 

イエスこの世を去りて父に往くべき己が時の來れるを知り、世に在る己の者を愛して極みまで之を愛し給へり。 -ヨハネ13:1-

愛する一人の画伯、江川 博さんが天に召されました。78歳でした。

御家族からの葬儀の依頼を受けて、御自宅に近い市内の葬儀会館で司式をさせて頂きました。

お若い時から抽象画一筋に進んでこられた方です。気骨のある方でした。

生涯に何度か画風を変えています。いつも新しいものを求めて、そこに行きつくと決して後戻りはしない方でした。

画集の中で、「自分本来のものがまとまってくるのは70あたりを超えるころだろう。誰でもそんな年ごろから、本物になってくるらしい。・・・」 と書いておられますが、丁度そのお年頃に、ご病気を通して作風が一変し、「無限」という題名の連作になりました。

その頃頂いたお手紙の中に「年を重ねて万物の限りがあること、無限への希望と憧れを強く感じている」と記されてありました。

主題となる画面の中心から、上下左右へ、周囲へ手足のように伸びる線は、この先に続きがあるのだと物語っています。正に「無限」の世界を求めているように見てとれます。

昨年から、上掲の絵の朱色の部分が、ウコン<鬱金>という黄色になりました。まるで黄金のようで、天国の色のように思えます。

今、イエス・キリストによって永遠の生命を頂いて天国へ行かれた江川さん。この絵の主題「無限」は、まさに「永遠」を描いているのではないでしょうか。

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これ汝らが信仰のはたらき、愛の労苦、主イエス・キリストに對する望の忍耐を、我らの父なる神の前に絶えず念(おもふ)に因りてなり。 -テサロニケ前1:3-

私の若き日に、母教会では1月1日に新年礼拝を行ない、少し間を開けて1月中旬に新年聖会が昼夜二、三日に亘って聖会の形で行われていました。 (※霊讃歌に 85番 新年礼拝と、86番 新年聖会という二曲の讃美がありますが、元々はこのように区別されていたと解釈しています) 

それで、話を戻しますが、新年聖会の講師として招かれたA先生の御用の中で 「信仰は働きまで、愛は労苦まで、希望は忍耐まで」 と題する説教があったのを思い出します。

「信仰は行動に移さなければ生きない。愛も神のため、人のために骨身を惜しまず尽そう。希望も神が与えて下さる時までまで、祈りつつ待ち望むべきだ」というお勧めでした。

私の心には、信仰と、愛と、希望という、コリント前書13:13節にも書かれている限りなく存(のこ)る三つの者と重なり合って、大切な聖句として残リ、読むたびに新鮮な輝きを放っています。

テサロニケ前書と、同じく後書読むときに、テサロニケに始めて伝道が行われた使徒行伝17章1~15節の記述も同時に思い返されます。

この伝道は、始めパウロたちの予定にはないものでした。外の地方へ行こうとしていたところ、イエスの御霊許し給わず、「マケドニヤに来たりて我らを助けよ」という幻を見て、主の御旨はマケドニヤ伝道にあり、と定め、船出してピリピに行き、更にテサロニケに導かれたのでした。ですからパウロには、この伝道は人の思いによらず、神自ら先立って進ませ給う伝道であるという確信があったと思います。  

パウロは、同労者シラス(ラテン名シルアノ)と二人でテサロニケを訪れ、ユダヤ人の会堂に行き、三つの安息日にわたり聖書に基づき、イエス・キリストの死と甦りとに就いて語り 『わが汝らに伝ふる此のイエスはキリストなり』 と証をしました。

ここでパウロの語る言葉を、人の語る言葉とはせず、神の言葉として受け、信仰が与えられるに至ったユダヤ人や敬虔なギリシャ人、婦人方など神に選ばれた人たちがいましたが、一方で、頑迷なユダヤ人は、主イエスの教えがこの町に伝えられたことに立腹し、しかも信ずる者が多い事に妬み心を起こして、市の無頼者を扇動し、群衆を集めて騒乱を起こし、二人を受け入れたヤソンの家を囲むなどして、群衆や町司まで巻き込んで大騒動に発展しました。

救われた兄弟たちは、パウロとシラスを匿い、ベレヤに送り出しました。二人はそこでもユダヤ人の会堂に入って、主イエス・キリストの事を宣伝えます。ベレヤの人たちは、テサロニケの人たちとは違って善良であり、二人の語ることが真実であるかどうか、日々聖書を調べたので多くのユダヤ人やギリシャ人が救われました。

ところが、テサロニケのユダヤ人がこれを聞き付け、やってきて群衆を騒がせ、伝道を妨害したので、兄弟たちは、シラスとテモテをベレヤの残して、パウロをアテネに連れて行ったとあります。

彼は己の国に来たりしに、己の民はこれを受けざりき。されど之を受けし者、即ちその名を信ぜし者には、神の子となる権をあたへたまへり。とありますが、己の民なるユダヤ人は目が開かれず、常に主イエス・キリストと之に付き従う者に対して反旗を掲げてきたのです。

パウロにとっては、テサロニケは迫害者の巣窟でありましたが、しかし、それ以上に大切であったのは、そこには聖霊の働きと導きによって救われた多くの敬虔な聖徒たちがいたことです。主の血によって購われた群れを見過ごすことはできません。

パウロ自身は、何度かテサロニケに行こうとしましたが、サタンに妨げられたという如く、行けませんでしたが、テモテを代りに派遣し、信仰を堅うし、勧め、励まし、時を経て、その信仰や愛に基づく行動が広くマケドニヤやアカヤの教会の模範と言われるまでに成長しました。

パウロ自身は、テサロニケお教会に二度に亙って手紙を送り、励まし、教え、矯正しています。これらは、新約聖書の最初の書簡と言われています。

嘗ては偶像に仕える身であった人々が、それを離れ、聖霊に満たされて、神を喜ばせようと生きることを勧め、主の再臨を待ち望むように勧めています。

常に喜べ、絶えず祈れ、凡てのこと感謝せよ。 -5:16

御霊を熄(け)すな、預言を蔑すな、凡てのこと試みて善きものを守り、凡て悪の類に遠ざかれ。 -5:19~22- 

信仰の基本がここに書かれてもいます。

神の御意は、ただ一人の亡ぶるをも望み給はず、凡ての人の悔改に至らんことを望みて、汝らを永く忍び給ふなり、とあります。 -ペテロ3:9-

言葉を換えますと、神は、ご自分が作られた人が皆救われて欲しいと願っておられるのです。

創世の時代に、神は天地の全てを創造し、最後に人を造ってエデンの園に置いて下さいました。そこには生命の樹の実がありました。この実を食べ続ければ、人はいつまでも生き続けることができました。一方同じ園に善悪を知る樹があって、その実を食べると死ぬと神は言われました。 結果として、人は神の誡めを聞かず、サタンの誘惑に負けて善悪を知る樹の果を食べ、エデンの園から放逐される道を辿りました。

そのために、人は真の神を離れて偶像を拝し、邪悪な道に走り、様々な苦役を味わい、病に苦しみ、戦争をし、飢饉に遭い、地獄のような生き様をしなければならなくなりました。

これは、神の望むことではなく、人を救う愛のゆえに救主イエス・キリストを世にお遣わしになりました。

主イエス・キリストが為さったことは、聖書に預言されているごとく罪人のために生命(いのち)に至る道を完成することでした。誕生から十字架まで只管、救いの道を切り開いていかれました。

そしてその間に大切な真理を説いて下さいました。その真理は助主である聖霊が証してくださいます。

聖霊とは何でしょうか。論ずるまでもなく、主が言い給うた「父の許より我が遣さんとする助主、即ち父より出づる真理の御霊」であります。-ヨハネ15:6- 

そしてまた大切なことは、「神は御子の御霊を我らの心に遣して 『アバ、父よ』 と呼ばしめ給ふ-ガラテヤ:4:6- とあって、御子の御霊を受ける者は、神の実子になるということです。 故に聖霊は我らが愛くべき嗣業の保証であると言っています。-エペソ1;14-

主は、私たちの罪を贖うために十字架に架り、尊い御血を流してくださいました。そして復活された後、ご自身が流された御血を携えて天に昇り、天の至聖所にある祭壇に捧げられました。そして10日の後、即ちペンテコステの日に聖霊降臨があったのです。

主が、われ實(まこと)を汝らに告ぐ、わが去るは汝らの益なり、我さらずば助主なんぢらに來らじ、我ゆかば之を汝らに遣さん-ヨハネ16;7- と語られた約束が成就しました。

今や後の雨の時代で、主の御再臨も近く、救いの完成を急いでいる時代です。何方でも主に祈り求めるならば聖霊を頂ける幸いな時代となりましたが、聖霊を崇め、導きに従う教会に属さねば、御霊の実を結ぶことができません。

イエス之御霊教会は、主御自身が興された真の教会ですので、集われると幸いに思います。ハレルヤ!

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い闇の世に光が現れました。その名は主イエス・キリスト。

バプテスマのヨハネからヨルダン川で洗礼を受けると、荒野で試練を受けた後、伝道を始めました。第一声は「なんぢら悔改めよ、天国は近づきたり」です。

その声に応じて人々が集まリ、神の國の福音を聞き、病の癒しや奇蹟、不思議が為され、主を信じる大勢の弟子ができました。

主は、その中から十二使徒を選び、伝道に遣わして、言われました。

「何れの町、いづれの村に入るとも、その中にて相応(ふさは)しき者を尋ねいだして、立ち去るまでは其処に留れ。人の家に入らば平安を祈れ。その家もし之に相応しくば、汝らの祈る平安は、その上に臨まん。もし相応しからずば、その平安は、なんぢらに帰らん・・・。」と。 -マタイ10:11,12-

主の伝道は着々と進みました。次は七十人の弟子たちを二人一組で遣わすに先立って、前と同様に言われました。

「・・・いづれの家に入るとも、先ず平安この家にあれと言え。もし平安の子、そこに居らば、汝らの祝する平安はその上に留らん。もし然らずば、其の平安は汝らに帰らん・・・」と。 -ルカ10:5,6- 

主は、私たちに対し、人々が神からの平安を受けるように祈れと仰っておられます。 

私たちが導かれて行く所に 平安の子 がいるならば、主はその人の心を開き、福音を受け入れて救いに至らしめて下さいます。

ラザロ、マルタ、マリヤの家族は 平安の子 でした。テモテや、ルデアもそうです。プリスキラとアクラの夫婦もそうでした。私たちが伝道に行った先の家で、出会った人々の何人かが平安の子になりました。
 
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そして、最後の晩餐の食卓についたとき、主は語られました。

「われ平安を汝らに遺す、わが平安を汝らに與ふ。わが與ふるは世の與ふる如くならず、汝ら心を騒がすな、また懼るな」と。 -ヨハネ14:27-

主が「わが平安」と言われたのは、私たちにとってみれば、26節にあるように助主なる聖霊による平安であります。言い換えるならば、聖霊を受けて、イエス様を私たちの内に住まわせ、イエス様と一つになるということであります。斯くする時に、主の平安が内に満ちるのです。

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復活された主イエスは、弟子たちに現れて「平安なんぢらに在れ」と言われました。

弟子たちが、ユダヤ人を怖れて戸を閉じていたのに、主はどこからともなく中に入られて声をかけられたのです。そしてその手と脇の傷を見せて、復活したことを示しました、弟子たちが喜ぶと、また「平安なんぢらに在れ」と言われて「父の我を遣し給へる如く、我も亦なんぢらを遣す」と言われ、更に息を吹きかけて「聖霊を受けよ。・・・」と言われました。これは、聖霊を受けずしては、主の証人とはなり得ないからです。 -ヨハネ20:19~29-

弟子たちの中には、本当に主が復活したとは信じ難く、霊をみているように思った人がいました。その人たちには、主は「霊には、肉も骨もなし、我にはあり」と言われ、「ここには何か食物があるか」と尋ね、捧げられた魚を食されたのでした。彼等はそれを見て納得し、本当に主が復活されたことを知るに及んで喜び、平安を得たのでした。 
-ルカ24:36~43-

願くはキリストに在る汝ら衆(すべて)に、平安あらんことを -ペテロ前5:14-

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みよ我はヱホバなり すべて血氣(いのち)ある者の神なり 我に爲す能はざるところあらんや       エレミヤ記32:27

道央イエス之御霊教会に、主が与えてくださった今年の聖言です。

預言者ヱレミヤは、神に祈って云いました。

嗚呼(あゝ)主ヱホバよ 汝はその大なる能力(ちから)と伸たる腕をもて天と地を造りたまへり 汝には爲す能はざるところなし 汝は恩寵(めぐみ)を千萬人に施し 又父の罪を後の子孫の懐に報いたまふ 汝は大なる全能の神にいまして 其の名は萬軍のヱホバとまうすなりと・・・、

それに応えて、主自らが、

みよ我はヱホバなり すべて血気ある者の神なり 我に爲す能はざるところあらんや

と言われたのです。

私たちは、それぞれ神に対する祈りがあり、願いがあります。

そして、祈る時に、天地萬物と私たち人間とを創造された能力(ちから)ある神にできない事があるだろうか、いや、決してない。神は、必ず自分の祈りに応えて下さると、確信をもって祈ることができます。

今年も、エルサレムのために平安(やすき)をいのれ エルサレムを愛するものは榮ゆべしの聖言(みことば)のように、教会を愛し、主が定められた安息日礼拝を守って、ヤコブの産業をもて養われ、また十一献金を主に捧げて、天の窓を開いて容るべきところなきまでに恵みを注いでいただき、水と霊との福音を宣べ伝えて、霊魂の救われることを喜びとなし、主に喜ばれる日々を重ねて行きたいと思います。

年頭に当たって、主に向かって祈り、主に従って進もうと心を定めたところです。


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