神の人・・・枝を切り落として其処に投入れてその斧を浮かしめ 汝これを取れと言ければ その人手を伸べてこれを取れり -列王下6:1~7-
預言者の生徒がエリシヤの許に来て言った。「ごらんください。私たちの住む所は、私たちにとって狭くなりました。そこでお願いがあるのですが、私たちをヨルダンに往かせて、そこの材木を取って、そこに私たちの住むべき建物を建てさせてください」と、エリシヤが 「行きなさい」 と答えると、一人が 「先生も一緒に行ってください」 と頼んだので、「では、私も行こう」 と言って同行した。
ヨルダン川の辺は、肥沃な土地で、樹木が沢山あった。預言者たちは銘々用意した道具をもって木を切り倒した。
所が、そのうちの一人が、木を切り倒そうとした弾みに、手にしていた斧がすっぽ抜けて、ヨルダン川の中に落ちてしまった。彼は大声で 「大変だ!あゝ主よ、これは借り物です!」 と叫んだ。
エリシヤが 「斧はどこに落ちたのか?」 と尋ねると、彼は 「あの辺です」 と指差した。 川は濁っていて底は見えなかった。
だが、エリシヤが、一本の木の枝を切り取って、川の中に投入れると、不思議や斧が浮かび上がってきたではないか。奇蹟だ!あの重い鉄の斧が水面に浮いたのである。 「さあ、取りなさい」と 言うと、彼は手を伸ばして斧を取った。 神のお蔭で一件落着となった。感謝!!
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これに似た出来事が、出エジプト記16:22~25に書かれている。
シュルの荒野を歩いていたイスラエルの民は、三日間水がなかった。もう限界だと思った時、水があった。しかしその水は苦くて飲めなかった。そこでその地はメラ(苦い)と名付けられた。
民はモーセに何を飲ませるのかと迫った。モーセが神に呼ばわると、一本の木が示されたので、これを水に投げれると、なんと甘くなったのである。
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その木とは何か? いな誰か? 言うまでもなくイエス・キリストであり、十字架である。 人には為し能わねど、神には全てのこと為し得らるるなりと、どれ程難しい問題であっても、私たちの内にイエス・キリストが入って下されば、解決されぬことはなく、為し得ぬことは一つもないのである。救いと信仰が大切な訳がここにある。