大阪城
「富める者の天国に入るは難し。富める者の神の国に入るよりは、駱駝(らくだ)の針の孔を通るかた反って易し」
「さらば誰か救はるることを得ん」
「これは人には能はねど、神は凡ての事をなし得るなり」
マタイ伝19章に書かれているイエス様と弟子たちの対話である。
金持ちの若者が主の許に来て「師よ、われ永遠の生命をうる為めには如何なる善き事を為すべきか」と問うた。
主が「汝もし生命に入らんと思はば誡命(いましめ)を守れ」と答えると、彼は「いずれを」と尋ねた」。
主が「殺すなかれ、姦淫するなかれ、盗むなかれ、偽証を立てるなかれ、父と母とを敬え、また己のごとく汝の隣を愛すべし」と答えられると、彼は「我みな之を守れり、なほ何を欠くか」という。
そこで、主が「なんぢ若し全からんと思はば、往きて汝の所有(もちもの)を売りて貧しき者に施せ、さらば財宝(たから)を天に得ん。かつ来たりて我に従へ」と言われると、これを聞いた彼は悲しみつつ去って行った。大いなる資産を持っていたからだという。
そこで最初の対話になるわけだが、金持ちが天国に入るのは、らくだが針の孔を通るよりも難しいと主は言われたのである。
昨日は、礼拝後に喜霊祭が行われた。
故人は始め徹底した唯物主義の無神論者で、そういう意味で天国に入るのは梃子でも動かぬほど大変難しい人であった。
だが、最愛の奥さんの病死によって情勢はがらっと変わった。そこへクリスチャンである息子さんの愛に満ちた熱烈な祈りと伝道があった。
「お父さん、教会に行ってお母さんの身代わり洗礼を受けてください。お父さんも洗礼を受けて救われてください」
その言葉で心が動かされ、教会に来て水と霊の全き救いに与った。
それからの人生は、主の祝福を受けて素晴らしいものになった。
程なくして後妻さんとなるべき人を見つけ、妻に迎え入れて共に楽しい日々を過ごした。
そして、与えられた天寿を全うし、天国に入られた。
喜霊祭では、幾つもの讃美を歌い、聖書の御言葉を開き、過ぎし日の故人を偲んで証を語り、共に祈って御霊による慰めを得た。
喜霊祭は、信者にとっては、天国や主の再臨を意識する場となり、新しい人たちのためには善き伝道の機会であると思う。