道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2016年09月

                           2016-09-21 大阪城 義哉より
                                  大阪城

「富める者の天国に入るは難し。富める者の神の国に入るよりは、駱駝(らくだ)の針の孔を通るかた反って易し」
「さらば誰か救はるることを得ん」
「これは人には能はねど、神は凡ての事をなし得るなり」

マタイ伝19章に書かれているイエス様と弟子たちの対話である。

金持ちの若者が主の許に来て「師よ、われ永遠の生命をうる為めには如何なる善き事を為すべきか」と問うた。
主が「汝もし生命に入らんと思はば誡命(いましめ)を守れ」と答えると、彼は「いずれを」と尋ねた」。
主が「殺すなかれ、姦淫するなかれ、盗むなかれ、偽証を立てるなかれ、父と母とを敬え、また己のごとく汝の隣を愛すべし」と答えられると、彼は「我みな之を守れり、なほ何を欠くか」という。

そこで、主が「なんぢ若し全からんと思はば、往きて汝の所有(もちもの)を売りて貧しき者に施せ、さらば財宝(たから)を天に得ん。かつ来たりて我に従へ」と言われると、これを聞いた彼は悲しみつつ去って行った。大いなる資産を持っていたからだという。

そこで最初の対話になるわけだが、金持ちが天国に入るのは、らくだが針の孔を通るよりも難しいと主は言われたのである。

昨日は、礼拝後に喜霊祭が行われた。
故人は始め徹底した唯物主義の無神論者で、そういう意味で天国に入るのは梃子でも動かぬほど大変難しい人であった。
だが、最愛の奥さんの病死によって情勢はがらっと変わった。そこへクリスチャンである息子さんの愛に満ちた熱烈な祈りと伝道があった。
「お父さん、教会に行ってお母さんの身代わり洗礼を受けてください。お父さんも洗礼を受けて救われてください」
その言葉で心が動かされ、教会に来て水と霊の全き救いに与った。
それからの人生は、主の祝福を受けて素晴らしいものになった。
程なくして後妻さんとなるべき人を見つけ、妻に迎え入れて共に楽しい日々を過ごした。
そして、与えられた天寿を全うし、天国に入られた。

喜霊祭では、幾つもの讃美を歌い、聖書の御言葉を開き、過ぎし日の故人を偲んで証を語り、共に祈って御霊による慰めを得た。

喜霊祭は、信者にとっては、天国や主の再臨を意識する場となり、新しい人たちのためには善き伝道の機会であると思う。


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(それ)光明(ひかり)は快(こころよ)き者なり  目に日をみるは楽し -伝道之書10:7-

安息日の朝、雨が止んで東の空の雲間から日が射し始めた。

今日も兄弟姉妹方が、喜び勇んで安息日礼拝に集われることだと思い、聖書を開くと此の御言葉が目に留った。

思うに、遥か遠い昔、当時21歳であったが、イエス様によって救われる前の私は、暗闇の中にいたと暫し回想した。

心臓発作で倒れ、起き伏しならぬ身となり、かてて加えて物が眩しくて見えぬようになり、昼も夜もじっと目をつぶったまま数カ月を過ごしていたのだった。

霊肉共にアウトの状態だった時に、「それ人の子の来たれるは失せたる者を尋ねて救はん爲なり」
-ルカ19:10-  とイエス様が近づいて来られたのだった。

家の近くにキリスト教の教会ができたという話が耳に入ったとき、心の中で何としてもそこへ行きたいと思いが湧いた。神様がいるならこんな私を救ってくださるだろうと望みを懐いたのだった。

起き上がり、立ち上がり、そして外に出て教会の前を行ったり来たりし始めた。そして間もなく、その教会で村井先生を講師に迎えて特別伝道集会が始まったのである。(そのことは先週も記したが、何度でも証をしたい気持ちである)

そして主は、、その集会に私を導き、村井先生の語る水と霊の福音を聴き、主イエス・キリストこそ真の神であり救主であると信じ、バプテスマを受けて救われたのである。

その日から暗黒の世界から、光明の世界に移され、主を見上げ、主と偕に歩む日が始まったのだった。そして今日の自分がある。

「われは世の光なり、我に從ふ者は暗き中を歩まず、生命(いのち)の光を得べし」 -ヨハネ8:12-

「われ世にをる間は世の光なり」 -同-9:5

「なほ暫し光は汝らの中にあり、光のある間に歩みて暗黒(くらき)に追及(つ)かれぬやうに爲よ、暗き中を歩む者は往方(ゆくえ)を知らず、光の子とならんために光のある間に光を信ぜよ」 -同12:35,36-

「汝らは世の光なり」 -マタイ12:35,36-

主イエス・キリストの御言葉は、脈々と私たちの心に響いてくる。

家に例えるなら、常に信仰の基はキリストであり、柱もまたキリストである。


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               洗礼を受けた日も茜雲だった

兄弟よ、召を蒙れる汝らを見よ、肉によれる智(かしこ)き者おほからず、能力(ちから)ある者おほからず、貴きもの多からず、されど神は智き者を辱しめんとて世の愚かなる者を選び、強き者を辱しめんとて弱き者を選び、有る者を亡さんとて世の卑しきもの、軽んぜらるる者、すなはち無きが如き者を選び給へり。これ神の前に人の誇る事なからん為なり。汝らは神に頼りてキリスト・イエスに在り、彼は神に立てられて汝らの智慧と義と聖と救贖(あがなひ)とに為り給へり。これ『誇る者は主に頼りて誇るべし』と録されたる如くならん為なり。 
-コリント前1:26~31-

この聖句を読んで感じる事は、私自身のことを録してある如く思うことである。

今日9月10日は、私にとって聖霊を戴いた記念すべき日である。もう64年も前になるが、昭和27年9月に主は家の近くの教会で開かれた特別伝道集会に私を導いてくださった。そして講師として招かれた東京イエス之御霊教会の牧師であり教団の初代監督である村井じゅん先生の説教を聞かしめてくださった。

村井先生は、ご自分の受霊体験を語られるや、私たちに聖霊を受けるように勧めてくださった。そして「ハレルヤ」の祈りの中に御霊は静かに私の内に宿ってくださったのである。

その5日後、9月14日には豊平川で、主イエス・キリストの名による洗礼を受けて私は水と霊を以て救われたのだった。

それまでの数年間は、病魔に侵され、夢も希望もなく、何の役にもたたず、正に無きが如き者であった。地の塵にまみれ、見る影もない状態であったのが、主に見いだされ光の中に移され、主の召しに関わる御言葉を聴いて從い、献身して以後教会の中で歩む者にされたのである。

故に、何ら誇る所はなく、凡てが主の恵みと憐みの故だと只々感謝している。ハレルヤ

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                                                      洗礼式を行った川



  『すべて主の御名を呼び求むる者は救はるべし』 とあればなり。 然れど未だ信ぜぬ者を争(いか)で呼び求むることをせん、未だ聴かぬ者を争で信ずることをせん、宣伝ふる者なくば争で聴くことをせん。遣されずば争で宣伝ふることを為ん 『ああ美(うるは)しきかな、善き事を告ぐる者の足よ』 と録されたる如し。… 
  されど我いふ、彼ら聞えざりしか、然らず 『その声は全地にゆきわたり、其の言は世界の極(はて)にまで及べり』
  -ロマ書10:13~15. 18-

 副牧師の義哉師が,ロシア語圏の国へ伝道をと願い、主の導きにより8月23日~31日の9日間、中央アジア・ウズベキスタンのタシケントに伝道に行きました。
 以下の証は、伝道記録のダイジェスト版です。

 札幌で旅行社のHISに手配を依頼しましたら、航空券+現地送迎車+日本語ガイド付きと便宜を計ってくださり、ビザも取得して、準備が完了しました。

 出発日の23日は台風9号が北海道の日高に上陸、新千歳空港を避けてくれたため影響を受けず、大韓航空機は定刻午前8時57分に離陸し、ソウル経由でタシケントへ現地の21時20分に無事に着陸しました(時差-4時間)。

 このたびの伝道は、尋ねる当てもなく行ったので、イエス様に導かれるままに地図を頼りにタシケントで洗礼式ができる川を探しながら、日ごとに場所を変えて川沿いに歩くロシア語での路傍伝道でした。

 ウズベキスタンは、主にイスラム教の国で、ロシア正教もある国です。出会った人たちは、イスラム教のウズベク人が多く、話を聞いてくれても、洗礼を受けるのはできないと断られて、難しい国だなと実感して、日を過ごしていました。

 筑波大学で日本語を学んだというウズベク人のガイドさんが、25日から29日まで別の仕事で砂漠地帯に観光ガイドに行くというので、帰国日の30日までは、一人でロシア語のみで人々との会話になりました。
1992年以降、小樽港に来たロシア人を車の隣に乗せて、教会と往復する間に覚えた片言のロシア語ですが、通じる国です。

 日中の気温はかなり高温でした。何カ所か川沿いに伝道して歩いているうちに洗礼を受けるという人に会ったので、聖霊待望をして受霊し、ちょうど良い深さの川で洗礼をしましたが、急に手を挙げて抵抗したため、やり直しを勧めましたが駄目でした。あとで話してくれましたが、この川には大きな亀がいるので誰も川には入らない場所だそうです。

 夕方ホテルの近くのレストランに行く途中で、松葉杖をついた少年がいたので、声をかけるとお祈りをしてくれて聖霊を受けました。この子は片足が無く、両手も肘から先がありませんでした。夕暮れで川も遠く、残念でしたが洗礼はできませんでした。とても素直な少年でした。

 続けて伝道しているうちに救われる魂が与えられる日がやってきました。川でズボンを洗っている男性がいたので声をかけると、その場で聖霊を受け、洗礼を受けました。55歳の人で仕事が無く、父親がロシア系のウズベク人でした。水と霊の第1号です。主イエス様に選ばれた人は幸いだと思います。ハレルヤ!感謝!

 帰国する30日にガイドさんが、送迎車の運転手さんと一緒にホテルに迎えに来ました。空港に向かう途中、突然目の前に割り込み車があり、急ブレーキをかけて危ふく難を逃れましたが、イエス様がサタンの妨害から守ってくださったので感謝です。

 帰国の空の旅も台風10号が迫っていることをネットで見て心配でしたが、やり過ごしたようで、ソウルから新千歳への大韓航空便は50分遅れで飛び、無事に帰国することができました。 「汝の出ると入るとを守りたまはん」と聖書の約束のように、往復共に台風9号&10号から守られ感謝でした。

 この度のウズベキスタン伝道に際しては、監督先生はじめ多くの方々からご加祷を頂き、魂の救いが為されて感謝しています。ハレルヤ!

 全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣伝へよ。 
-マルコ16:15-


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