道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2016年11月



汝等のうち病める者あるか、その人、教会の長老たちを招け。彼らは主の名により其の人に油をぬりて祈るべし。さらば信仰の祈は病める者を救はん、主かれを起し給はん、もし罪を犯し事あらば赦されん。この故に互に罪を言ひ表し、かつ癒されんために相互に祈れ、正しき人の祈ははたらきて大なる力あり。 
ヤコブ5:14~16


生身の体をもつ私たちは、いつ病に罹るとも分からない。ましてや高齢ともなれば、その頻度も上がろうというもの・・・。

最初にこの世の事とお断りしておくが、先日、札幌の旧制中学・新制高校の同期会に何十年振りかで出席した。嘗てのイガクリ頭の同級生も、社会の荒波を乗り越え、人生の盛衰を味わって、今は皆白髪の美老人になっていた。

戦中・戦後を通じて通った学び舎を卒業して以来、六十何年かになるのに、こうして同期会が営々と続いているのは、偏に幹事諸氏の母校愛・友愛の賜物と感謝しながら、渡された同期生名簿のページをめくった。

四百人以上いた学友も、今では百七十人程が健在で、ほぼ同数が亡くなり、七十人程が消息不明とあった。

それにしても、こういう集いに出席できる人は、年は邁(すす)んでいても気力があり、体力もそれなりにあって実年齢より若く見えるものだとつくづく思った。

反面、欠席者の 「近況報告」 欄を見ると、欠席理由に体調不良を訴える人が半数を占めていた。これも高齢故のやむを得ぬことなのであろうか。

さて、遠回りをしたので本題に戻るが、病気と云うものは、古今東西を言わず付いて回り、人を苦しめる物である。時には命の危機さえ感ぜしめられるものである。

私自身、これで終わりかと思う時を何度か通ったが、神の御手で癒やされ、今日に至っており、感謝の外はない。

また初に肉体の弱さがあった故に神を求め、救われるに至ったという摂理を深く感ずるのである。

癒やしに関わる御言葉を数多く開いて拝読した。神の愛をひしひしと感ずる。

マタイ伝8:1~17  同9:18~38

誠に神癒は、イエス・キリストが私たちに与えてくださる恵みである。

                      P1030950 濃霧


汝らは使徒と預言者との基の上に建てられたる者にして、キリスト・イエス自らその隅の首石(おやいし)たり。
おのおのの建物、彼に在りて建て合せられ、弥増しに聖なる宮、主のうちに成るなり。汝等もキリストに在りて共に建てられ、御霊によりて神の御住(みすまい)となるなり。 エペソ2:20~22

私たちの救いと信仰は、イエスキリストの基の上に建てられている。

高層建築物が、岩盤に杭を打ち、その上に建っているように、私たちの信仰も人によらず、神が据えた基の上に建っていなければならない。

聖書は、使徒と預言者、そしてイエス・キリストが基であり、特にイエス・キリストが最も重要な首石であると教えている。

使 徒

主が弟子たちの中から12人を選んで、権威を授け、使徒と名付けられた者。
シモン・ペテロ、兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、取税人マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダ(タダイ)、イスカリオテのユダ(イエスを売る者となる) ルカ6:12~16、マタイ10:1~4
マッテヤ(イスカリオテのユダに代わって使徒に選ばれた者) 使徒行伝1:23~26
パウロ(異邦人の使徒) 使徒行伝9:15 コリント前9:1,2 同後12:11,12


新約聖書の著者 マタイ(12使徒の一人)、 マルコ(バルナバのいとこ、同労者) コロサイ4:10 、ルカ(医者、パウロの同労者)、 ヨハネ(12使徒の一人) 、パウロ(異邦人の使徒、ロマ書を始め多くの書簡を記す) 、ヤコブ(主の兄弟)、 ペテロ(12使徒の一人)、 ユダ(主の兄弟) 

預言者

モーセ  モーセ5書の著者、神が面を対して知り給える最大の預言者 申命記34:10
歴史書  口伝預言書と言われている。 サムエルは預言者であった サムエル前3:20
詩歌の著者  ダビデ、ソロモン 
大預言書の著者  イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルの4名 
小預言書の著者  ホセア、ヨエル、ァモス、オバデヤ、ヨナ、ミカ、ナホム、ハバクク、ゼパニヤ、ハガイ、ゼカリヤ、マラキの13名
預言者は、バプテスマのヨハネの時まで マタイ11:13

主イエス・キリスト

主は、「凡そ我にきたり我が言を聴きて行ふ者は如何なる人に似たるかを示さん。即ち家を建つるに地を深く掘り岩の上に基を据ゑたる人のごとし。洪水いでて流その家を衝けども動かすこと能はず、これ固く建られたる故なり。されども聴きて行はぬ者は、基なくして家を土の上に建てたる人のごとし。流その家を衝けば、直ちに崩れて、その破壊(やぶれ)甚だし」と言い給うた。 マタイ6:46~49

真の教会は、使徒と預言者の基の上に固く建ち、隅の首石であるイエス・キリストの教えを忠実に実行する者です。そして「聖霊によりて神の御住となるなり」とある如く、水と霊とのバプテスマを受けて主が設けられた全き救いを得ることが大切である。


                         img019 アメリカの地図
        

斯くて新しき歌を謳ひて言ふ 『なんぢは巻物を受け、その封印を解くに相應しきなり、汝は屠られ、その血をもて諸種(もろもろ)の族(やから)・國語(くにことば)・民・國の中より人々を神のために買ひ、之を我らの神のために國民となし、祭司となし給へばなり。彼らは地の上に王となるべし』 -ヨハネ黙示録5:9,10-

11月8日にアメリカ大統領選挙が行われ、ドナルド・トランプ氏が過半数を超える290人の選挙人を獲得し、232人だったヒラリー・クリントン氏を破って、次期大統領に選出されたのはご承知のとおりです。

「予想とは、違った」という声を聞きます。政治家のクリントン氏ではなく、実業家として成功をしたが政治は未経験のトランプ氏を選んだアメリカ国民は、新しい変化を求めているのかもしれません。

日本のテレビや新聞が、日本以外の国の選挙の動静を詳細に報道し、開票速報までしたことは一寸なく、お茶の間にいながら時々刻々臨場感をもって観ましたが、対岸の出来事と思い留まらせぬ、日本のメディアの関心の高さを示すものでした。来年1月から始まる共和党のトランプ政権がどのような政策をとるのでしょうか。

扨て、翻って見るに、私たちは地球上の国に住む者であると同時に、水と霊とのバプテスマを受け、生命の書にその名が記され、天に國籍を持つ者として、神が定めた世々の経綸の中に生きていることに思いを至します。

やがて主イエス・キリストが地上再臨し、「この世の國は我らの主および其のキリストの國となれり。彼は世々限りなく王たらん」と崇められる時がやってまいります。黙示録11:15  

同時に真の教会に属する人々の為に、復活の時がきて、「彼らは生きかへりて千年の間キリストと共に王となれり。(その他の死人は千年の終るまで生きかへらざりき)これは第一の復活(よみがへり)
なり。幸福なるかな、聖なるかな、第一の復活に干(あづか)る人、この人々に對して第二の死は権威を有たず、彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年のあひだ王たるべし。」と記された幸いな時代がまいります。同20:4~6

このように神の御計画は、聖書の中に記され、人の好むと好まざるとに関わりなく、その如く世界は進んでいます。今は末の世であり、神の救いが急がれる時です。

私たちは愈々水と霊の福音宣教のために祈り、その日の近からんことを願って勇み励んでいかねばならないと思います。

ペテロ前書2:9,10  ペテロ後書1:10,11

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                        今日の雪

わが兄弟よ、なんぢら各様(さまざま)の試練(こころみ)に遭ふとき、只管これを歓喜(よろこび)とせよ。そは汝らの信仰の験(ためし)は、忍耐を生ずるを知ればなり。忍耐をして全き活動(はたらき)をなさしめよ。これ汝らが全く、かつ備わりて缼くる所なからんためなり。 ーヤコブ1:2~4ー

試練に耐ふる者は幸福(さいはひ)なり。之を善しとせらるる時は、主のおのれを愛する者に約束し給ひし、生命の冠冕(かんむり)を受くべきければなり。 ー同1:12ー

外国におられる T 姉妹からメールがきました。読んでびっくり仰天!

「1日の夕方、家族で外出したところ、空き巣泥棒に入られました。たまたま2階に義理の父母がいて、不思議な物音に気付き、義母が下に降りてみると、なんと私たちの入り口のガラス戸が割られているのを発見しました。

家の中を窺うと、懐中電灯の光が見えたのを確認したので、「泥棒だー!!」と大声を張上げました。

それを聞いた泥棒が逃げようとしたところ、なんと義母と鉢合わせしてしまい、義母が「盗んだ物を全部置いて行け!!」と怒鳴ると、泥棒は「何も盗んでいない」と答えたそうです。

その後、逃げようとした泥棒を義母が捕まえようとしましたが、あと一歩のところで滑って床に倒れてしまいました。

それと同時に、近所に住んでいるK君が義母の叫び声を聞いて駆けつけ、泥棒ともみ合いになりましたが、義母が倒れているのを見て泥棒を諦めて、義母を助けに行きました。

義母の勇気ある行動のお蔭で、私たちは何一つ取られた物はありませんでした。ただ、侵入する際に割った二重ガラスと、逃げる時に慌てて破った網戸の二つを毀されただけで済みました。

その後、義母のアドレナリンが収まった頃になって、冷や汗がでる思いで愕然となり、夕食を食べず、打ったところの痛みと腫れが残りました。

イエス様に感謝なのは、義母がこの程度で済んだことが先ず第一です。そうでなければ、最近は「泥棒に入られ、格闘となった末ナイフで刺されて死亡」とか、「ピストルで撃たれて死亡」 「首を絞められて死亡」などが絶えません。

そして、助けに来てくれた近所の青年の身の上にも何事もなっかたことをイエス様に感謝しています・・・・」云々。


本当に、使徒パウロが「・・・しばしば旅行して河の難、盗賊の難、同族の難、異邦人の難、市中の難、荒野の難,海上の難、偽兄弟の難にあひ・・・」 コリント後11:26 と記しているように様々な難に遭いますが、イエス様は私たちをその中から救ってくださるので感謝です。

姉妹のメールには、その外色々と書かれてありましたが、今日は集った兄弟姉妹で姉妹とご家族の為に祈り、また兄弟姉妹がそれぞれ抱えている願いや求めが成就するように、心を一つにしてイエス様に祈り、神の働きによって助けられ導かれ、善き証が与えられるようにと祈りました。

視よ われに甚だしき艱苦(くるしみ)をあたへたまへるは 我に平安(やすき)をえしめんがためなり 汝わがたましひを愛して 滅亡(ほろび)の穴をまぬかれしめ給へり -イザヤ38:17-

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