道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2017年01月


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イスラエルよ聴け 我らの神ヱホバは唯一(ただひとり)のヱホバなり 汝心を盡(つく)し 精神を盡し 力を盡して汝の神ヱホバを愛すべし 今日わが汝に命ずる是らの言(ことば)は 汝その心にあらしめ 勤て汝の子等に教へ 家に坐する時も 路を歩む時も 寝る時も 興る時もこれを語るべし 汝またこれを汝の手に結びて號(しるし)となし 汝の目の間におきて誌(おぼえ)となし また汝の家の柱と汝の門に書記すべし 
申命記6:4~9

神の人モーセがイスラエル人をことごとく召して教え聞かせた言葉である。

心を尽し精神を尽し力を尽して神を愛せよという教えは、旧約時代においても、新約時代においても聊かも変わることはない。四六時中いつも覚えよというのである。

「常に喜べ、絶えず祈れ、凡てのこと感謝せよ、これキリスト・イエスに由りて神の汝らに求め給ふ所なり。」とは、私たちの信仰生活の基本である。
 テサロニケ前5:16~18

列王紀略11章、12章を読むと、

神によって智慧を授けられたソロモン王であったが、莫大な富を持ち、異邦人の妻妾を多く持つに至って、彼女らが携えてきた偶像の神々を受け入れ、唯一の神を信ずる信仰から離れて行った時、彼は墓穴を掘ったのであった。

その結果、彼は背信の罪を負い、王国が分裂することになった。そして、ソロモンの死後、その子レハベアムの代になって、家臣ヤラベアムの謀叛により王国がイスラエルとユダに分裂し、偶像に汚されていく件(くだり)が記されている。

その果ては、他国へ捕囚されていくのであるが、歴史が私たちに教えているのは、神を愛する者は祝福されて、繁栄をもたらし、神に叛く者は呪われ、滅亡に陥るということである。

主イエス・キリストの計り知ることができないほどの愛によって救われた私たちは、いよいよ神を愛し、御意を行う者となり、福音の宣教の為に勇ましく進んで行きたく願うのである。ハレルヤ!

一人の教法師、イエスを試むる為に問ふ、『師よ、律法(おきて)のうち孰(いづれ)の誡命(いましめ)か大なる』 イエス言ひ給ふ 『なんぢ心を盡し、精神を盡し、思を盡して主なる汝の神を愛すべし』 これは大にして第一の誡命なり。第二もまた之にひとし 『おのれの如く、なんぢの隣を愛すべし』 律法全體と預言者とは此の二つの誡命に據(よ)るなり』 マタイ22:35~40



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我らは神と共に働く者なり。汝らは神の畠なり、また神の建築物(たてもの)なり。 コリント前3:9

先日、ある牧師先生と電話で話を交わしたのだが、終わり際にその先生から 「お互いに(齢はとったが)神様の為に働きましょう!」 と声をかけられた。

同感である。活き活きとした熱いものが伝わってきて嬉しくもあり、心地よい響きが私の心に残った。

そうだ 「我らは神と共に働く者なり」 だ!!早速聖書を開いて上記の御言葉を読んだ。

復活し昇天なさる前に、主イエス・キリストは使徒たちに言い給うた。『我は天にても地にても一切の権を与えられたり。然れば汝ら往きて、もろもろの國人を弟子となし、父と子と聖霊との名によりてバプテスマを施し、わが汝らに命ぜし凡ての事を守るべきを教へよ。視よ、我は世の終まで常に汝らと偕に在るなり』 と命じ、励まされた。 マタイ28:18~20 更に、

語り終へてのち、主イエスは天に挙げられ、神の右に坐し給ふ。弟子たち出でて、徧(あまね)く福音を宣べ伝へ、主も亦ともに働き、伴ふところの徴をもて、御言を確(かた)うし給へり。とある。 マルコ16:19,20

斯く、主は弟子たちと共におられ、遣わされた故に、その福音の宣教が実を結んだのである。

扨て、私たちの主より与えられた働きの場所はどこか? 「神の畠なり、また神の建築物なり」と記されている。

神の畠とは、種まきと刈り入れの場、即ち伝道である。良き地に種を播けば実を結んで、或いは百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍の実を結ぶものである。 マタイ13:3~9、18~23 詩篇126:5,6

神の建造物とは、神が御血をもて買い給いし教会であって、神の御霊の住み給う聖なる宮の建設を指している。 コリント前3:16

伝道と教会建設とは車の両輪であって、一つを欠くことはできない。

水と霊の全き福音をもって伝道し、救われた群れを牧会して、キリストの体なる教会を正しく導いて行くのが、私たちに課せられた使命である。

その為に働けよと、主は今日も言い給う。

         
           ♪ 勇ましく働け 御国の世嗣らよ
            御霊衷に在せば 我らは主のもの
            利き鎌をとぎ 刈入れをいそげや
            終りをいそげ 畑はみのりぬ
                  霊讃歌31番 勇ましく働け 1節



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         教会前は通学路なのできれいに排雪されました 感謝


それ神はアブラハムに約し給ふとき、指して誓ふべき己より大なる者なき故に、己を指して誓ひて言ひ給へり、『われ必ず、なんぢを恵み恵まん、なんぢを殖し殖さん』と。 へブル6:13,14

初代監督村井じゅん師がよく言われた言葉に 「祝福だに有らば足れり」 がある。

聖書の御言葉を実行する時に、祝福があれば、それは真理であり、イエス様が善しとされた証拠である。

水と霊を受けたら祝福された、安息日礼拝を守り、什一献金をささげ、身代わり洗礼を受け、神癒祈祷をし、病が癒やされる等々、聖書に記されたことを実行すれば、必ず祝福が伴ってくる。

聖書は神の御言葉であるから、教理云々ではなく、先ず從って実行することが大切で、そうするならば御言葉に伴う奇蹟、徴し、不思議が起きてくる。それにより、神が明白に立証してくださるのである。

村井じゅん師は、著書 「聖書神学」 第11章 神の立証 で、次のような表題で詳述されている。

1、常道的祝福
2、神 癒
3、霊肉の祝福
4、什 一
5、日常百般の祝福
6、秩序の祝福

神の教会には、天と地を繋ぐ特権が置かれているので、教会を中心にして歩んで行くならば、主は常に偕にいて祝し恵み、エルサレムを愛する者は栄ゆべしと、その為す所みな栄えしめてくださるのである。






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                 札幌近郷の山々 2014年6月・藻岩山頂より      

われ山にむかひて目をあぐ わが扶助(たすけ)はいづこよりきたるや  わがたすけは天地(あめつち)をつくりたまへるヱホバよりきたる  ヱホバはなんぢの足のうごかさるゝを容(ゆる)したまはず 汝をまもるものは微睡(まどろみ)たまふことなし  視よイスラエルを守りたまふものは 微睡むこともなく 寝(ねぶ)ることもなからん  ヱホバは汝をまもる者なり ヱホバはなんぢの右の手をおほふ蔭なり  ひるは日なんぢをうたず 夜は月なんぢを傷(うた)じ  ヱホバはなんぢを守りてもろもろの禍害(わざはひ)をまぬかれしめ 並(また)なんぢの霊魂(たましひ)をまもりたまはん  ヱホバは今よりとこしへにいたるまで 汝のいづると入るとをまもりたまはん 詩篇121篇

年が明けて教会では祝福祭や感謝祭、聖別祭が続いている。

愛兄姉方の祈りと努力の実が結び、主が祝福してくださったので、車の納車や、運転免許の取得、就職決定などが為され、みな良き証の伴うものばかりであるが、これから先、無事に守られて進んで行けるように主に祈ったのである。

私たちの神は、微睡むことなく絶えず私たちに目を向け、救いの手を差し伸べて下さる。「主よ!」と私たちが叫ぶ時、瞬時にその声は神の耳に届き、救いの御業が為されるのである。即答もあれば、忍耐の時を経るものもあるが、御旨に適うことは必ず聴かれるのである。

祈りが聴かれるということは、水と霊を以て救われた真の信仰者に与えられた特権であり、神自らが証してくださる所である。

神は、昼も夜も変わりなく、私たちを守ってくださる。肉体を持つ私たちは疲れれば微睡むこともあり、休息や睡眠が必要であるが、生命の本源たるなる神には不必要なのだと思う。世界中の否、天界地界を通じて神の子たちや御使いたち、諸々の造られた物たちが献げる讃美の大合唱を常に聴き、絶えることなく誉め称えられ、栄光を顕わしす主で在し給うのである。

私たちは、世が改まれば新天新地に移され、その都は日月の照らすを要せず、神の栄光これを照らし、羔羊(こひつじ)はその灯火(あかり)となってくださるのである。ヨハネ黙示録21:23 同22:5 何と、主の御再臨を待ちわぶることか!

そして主はもろもろの禍害から私たちを守り、霊魂を守ってくださると約束された。その保証は何か?水と霊である。これを受けた者は安泰である。

「ヱホバはとこしへにいたるまで 汝のいづると入るとを守りたまはん。」と主は約束された。。。。今年も大いなる主の御手によって守られ導かれて進んで行かれますように祈念いたします。ハレルヤ!





 img028_ed 2017-聖言 P1040161 元旦 花a


  歡喜(よろこび)とすくひとの聲(こえ)はたゞしきものの幕屋にあり
  エホバの右の手(みて)は いさましき動作(はたらき)をなしたまふ

                                  詩篇118:15


2017年、平成29年を迎え、明けましておめでとうございます。

主イエス・キリストの聖名を称える皆様に、祝福が豊かにありますようにお祈り申し上げます。

この年、最初の御言葉は、詩篇118篇15節です。

今日は、この御言葉を中心に、118篇全体を拝読し、繙きました。

何を置いても聖書は先ず拝読すべきものです。すっと御言葉が心の中に流れ込んでくるような、味わいもするものです。 解釈は、真理の御霊が働いて、自ずと心の中に示されて参ります。

118篇は、神に対する感謝の言葉から始まっています。この神にのみ依り頼む者の幸いさを記しています。四面楚歌のように仇に取り囲まれていても、神が共にいてくださるから大丈夫だと励ましてくださいます。

エリシャがスリアの大軍に囲まれた時、下僕はそれを見て恐れ戦きましたが、エリシャが祈ると彼の目が開かれて、敵の数より多い神の軍勢が、火の馬と火の車となって周囲にいるのが見えました。そのあと大勝利となるのですが、同様に神は私たちにも働いて危急の難から助け出して下さるのです。列王下6:8~23

歓喜と救いの声は、信仰者であり、信仰によれる義人である私たちと共にあって、神の力ある右腕は高く上がって私たちの為に勇ましく働いて下さるので、頼もしいばかりです。神よ、私たちも働かせて頂きますから、大いに働いて下さいとお願いして進んで行きましょう !!

故に死ぬことはない、つらい目に遭おうが何をしようが死に付されることはないというのです。

22節の、工師(いへつくり)のすてたる石はすみの首石(おやいし)となれり・・・・とは、預言であって、主イエス・キリストはイスラエル人には捨てられて死なれたが、教会にとっては一番大切な土台となられたことを示しています。

25節以下の御言葉は、私たちにとっての讃歌です。この篇最後を飾る盛り上がりです。聖書を開き、恵みに浸ってくだきたく思います。ハレルヤ!

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