道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2017年11月



サマリヤのスカルの井戸の傍で、旅路に疲れた主イエス様が一休みしておられた。時はお昼に近く、弟子たちは食物を買いに町に出ていた。そこへ水を汲みに来たサマリヤの婦人と主との会話が始まる。

主が語られた話しの内容は、「活ける水」すなわち聖霊を受ける事に就いてである。イスラエルの先祖ヤコブが掘った井戸水は一時の渇きを癒すのみであるが、私が与える水を飲む者は永遠に渇くことなく、その人の中で泉となり、永遠の生命の水が湧き出てくると言われた。

そのような素晴らしい水ならばぜひ戴きたいと婦人は切望する。

語り合う中に、主がこの婦人の素性を悉く知っておられたので、婦人は驚き、主を預言者と認め、町に出て行って多くの人に「キリストかもしれない」と証したので、皆が集まってきて、主のお言葉を聴きたいと言い、主はここに二日留まって語られたので、多くの人が主を救い主と信じたのである。

一方、食事を買って主の許に返ってきた弟子たちは主に食事を勧めた所、主は「我には汝らの知らぬ我が食する食物あり」と答えられた。その食物とは、

『われを遣し給へる者の御意を行ひ、その御業をなし遂ぐるは、是わが食物なり。
なんぢら収穫時(かりいれどき)の來るには、なほ四月ありと言はずや。我なんぢらに告ぐ、目をあげて畑を見よ、はや黄みて収穫時になれり。刈る者は、價を受けて永遠の生命の實を集む。播く者と刈る者とともに喜ばん為なり。倮諺(ことはざ)に彼は播き、此は刈るといふるは、斯において眞なり。我なんぢらを遣して労せざるしものを刈らしむ。他の人々さきに労し、汝らはその労を収むるなり』 ヨハネ4:34~38

主イエス様の欲する食物とは、御言葉を宣伝えることである。種まきをし、刈り入れをすることを、私たちも喜びとしよう。

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全世界を巡りて凡ての造られし者に福音を宣伝へよ。
 信じてバプテスマを受くる者は救はるべし。
マルコ16:15


安息日礼拝で副牧師からマリ伝道の証を聞いた。

レンタカーの運転手が先ず水と霊を受け、次々に救いがあったと・・・。

主イエス様の働きに感謝する! ハレルヤ!

なんじ御言を宣伝へよ、機(おり)を得るも機を得ざるも常に励め。
 
テモテ後4:2



『わが恩惠(めぐみ)なんぢに足れり、わが能力(ちから)は弱きうちに全うせらるべければなり』   コリント後12:9


使徒パウロは、神によって大いに用いられた人である。常に福音伝道の第一線に立ち、新しい地に入り、教会の発展のために華々しい働きをした。そして、それに相応しい成果を挙げていた。だが、そのために人一倍の苦しみに遭い、迫害にもあった。 同書11章

人は賛辞を贈るだらう。素晴らしい働きだと!

だが、彼は増長するような浅はかな人ではない。「その讃(ほめ)らるゝ所によりて人をためす」のである。 (箴言27:21

むしろパウロは、「もし誇るべくば、我が弱き所につきて誇らん」という。 11:30

更に彼は証として、主の顕示(しめし)と黙示を語る。12:1~4 ここで云う一人の人とは、パウロ自身を指していると言って良かろう。十四年前に第三の天にまで取り去られたりと言う。パラダイスを見てきた体験を語っている。このような経験をしたことを人に語れば、過大に評価されよう。だが、それによって高慢にならぬように肉体に一つの刺(とげ)が与えられている、即ち高ぶることの無いように我を撃つサタンの使なり、と。 5~7

「刺」とは何であったか?明確ではないが、病気と考えられる。 ガラテヤ4:13,14 には、パウロの肉体には他人が見て試練(こころみ)となる者があったのに、卑しめず、嫌わず、神の使いの如く、キリスト・イエスの如く迎えてくれたとある。神様を信じている者にどうしてこのような病があるのだろうということであろう。筆者自らもそのような者だから良く分かる。

彼は悩み、三度まで取り去ってくださいと主に求めたが、主は言いたもう、

『わが恩恵なんぢに足れり、わが能力は弱きうちに全うせらるればなり』 然ればキリストの能力の我を庇はんために、寧ろ大いに喜びて我が微弱(よはき)を誇らん。この故に我はキリストの為に、微弱・恥辱(はづかしめ)・艱難(なやみ)・迫害・苦難(くるしみ)に遭ふことを喜ぶ。そは我よはき時に強ければなり。 9,10

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今月1日~13日、マリ伝道が行われ、6名の先生方が主に遣わされた。副牧師も導かれて感謝。多くの水と霊が為されて帰国する。篤きお祈りに感謝致します!     ハレルヤ!  
(改訂 11:16)



『ゼブルンの地、ナフタリの地、海の邊(ほとり)、ヨルダンの彼方、異邦人のガリラヤ、暗き(くらき)に坐する民は、大なる光を見、死の地と死の蔭とに坐する者に、光のぼれり』 マタイ4:15,16

主イエス・キリストは、ヨハネよりヨルダン川でバプテスマを受けた後、住み慣れたナザレを去って、ガリラヤ湖の邊にあるカぺナウムに移られた。イザヤによって預言されたところである。

この時より教えを宣べはじめられた。『なんぢら悔改めよ、天国は近づきたり』 主が公生涯を始められたのは歳凡そ三十歳のときである。

ガリラヤの海辺でペテロ、ヨハネの兄弟が主の召命に從って弟子となり、ヤコブと兄弟ヨハネも從って弟子となった。

イエス徧くガリラヤを巡り、会堂にて教をなし、御国の福音を宣べつたへ、民の中のもろもろの病、もろもおろの疾患(わづらひ)をいやし給ふ。 23節

主イエス様は先頭に立って福音を宣伝え、御業をなされた。そして、時満ちて十字架の死と甦りをもって救いを完成し、弟子たちに約束の御霊を受けた後、福音を語り証せよと命じられた。

今や末の世、主は、ご自身の贖いの血と御霊をもって清め給いし真の教会を用いて世界に向って福音を宣伝えさせてくださる時である。

私たちも暗きに坐する人々に向って「水と霊」の全き福音を宣伝え、光を与える器とされるよう祈り求めて進み行きたく思う!

この福音は全世界にも及び、果を結びて増々大になれり。 コロサイ1:6

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