サマリヤのスカルの井戸の傍で、旅路に疲れた主イエス様が一休みしておられた。時はお昼に近く、弟子たちは食物を買いに町に出ていた。そこへ水を汲みに来たサマリヤの婦人と主との会話が始まる。
主が語られた話しの内容は、「活ける水」すなわち聖霊を受ける事に就いてである。イスラエルの先祖ヤコブが掘った井戸水は一時の渇きを癒すのみであるが、私が与える水を飲む者は永遠に渇くことなく、その人の中で泉となり、永遠の生命の水が湧き出てくると言われた。
そのような素晴らしい水ならばぜひ戴きたいと婦人は切望する。
語り合う中に、主がこの婦人の素性を悉く知っておられたので、婦人は驚き、主を預言者と認め、町に出て行って多くの人に「キリストかもしれない」と証したので、皆が集まってきて、主のお言葉を聴きたいと言い、主はここに二日留まって語られたので、多くの人が主を救い主と信じたのである。
一方、食事を買って主の許に返ってきた弟子たちは主に食事を勧めた所、主は「我には汝らの知らぬ我が食する食物あり」と答えられた。その食物とは、
『われを遣し給へる者の御意を行ひ、その御業をなし遂ぐるは、是わが食物なり。
なんぢら収穫時(かりいれどき)の來るには、なほ四月ありと言はずや。我なんぢらに告ぐ、目をあげて畑を見よ、はや黄みて収穫時になれり。刈る者は、價を受けて永遠の生命の實を集む。播く者と刈る者とともに喜ばん為なり。倮諺(ことはざ)に彼は播き、此は刈るといふるは、斯において眞なり。我なんぢらを遣して労せざるしものを刈らしむ。他の人々さきに労し、汝らはその労を収むるなり』 ヨハネ4:34~38
主イエス様の欲する食物とは、御言葉を宣伝えることである。種まきをし、刈り入れをすることを、私たちも喜びとしよう。