道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2018年01月


  斯て主の御言(みことば)いよいよ増々ひろまる。  使徒行伝12:24

大寒で寒さ厳しいこの時期に3名の兄弟方が水と霊の救いを受けられた。大感謝である!!

最初に水と霊を受けたA兄弟は、営業の仕事でこられたのである。話が一段落してから、救いのお勧めをすると快く受け入れてくださり、水と霊を受けて大変喜ばれたのである。就職1年生との事、幸いあれとお祈りした。

二人目は予約洗礼である。この日は後志管内の喜茂別で今季全国最低気温のー31.3℃を記録した日で、札幌もしばれて-12.7℃になり、洗礼式場の水は一面氷が張っていた。氷を叩き割って取り除き、準備完了!

約束の時間前に、B兄弟が伝道していた大学生のC兄弟を連れて来られた。世々の経綸を拡げてお勧めをし、聖霊を求めて「ハレルヤ」と言って祈り始めると、瞬時に異言に変わり、御霊に満たされて暫く祈っておられた。受霊されたので洗礼式場で、主イエス・キリストの御名によってバプテスマを施し、洗足をしたのである。喜びの満たされ、晴れやかな顔をして帰られた。

更に一日置いてお導きがあった。お連れになった兄弟は、今春就職が決まったD兄弟の前途に祝福があるように願って導いて来られたのである。同じく世々の経綸を拡げて救いとは何かを説き、聖霊待望をするとすぐに受霊し、直ちに洗礼・洗足を受けられた。水は冷たい筈だが、微動だにしなかった。

主イエス様が働いておられる。私たちも聖霊の助けによって救いの業に用いられることは感謝である。ハレルヤ!!

  「汝の少(わか)き日に汝の造主を記(おぼ)えよ」 伝道之書12:1

  人は水と霊とによりて生れずば、神の国に入ること能はず。 
ヨハネ3:5

                                             



ヱホバは全世界を遍く見そなはし 己にむかひて心を全うする者のために力を顕したまふ   歴代史略下16:9


ダビデより数えて4代目の南王国ユダのアサ王、その41年の治世が歴代史略下14~16章に記されている。

アサの治世の始めの10年は神が安息を賜うて平安であった。王は国中の偶像を取り除き、民に命じて主なる神を求めさせた。その一方で街を建て、石垣を築いて強固にし外敵に備えた。

アサは民に言った。
「我らの神ヱホバを求めしに因りて此の國なほ我らの前にあり 我ら彼を求めたれば四方において我らに平安を賜へり」と。 14:7

時に国難が襲った。エチオピア人ゼラが100万の軍勢、300両の戦車を率いて攻めてきた。迎えるアサの軍勢は、ユダ30万、ベニヤミン28万であった。みな盾を取り弓を弾く大勇士であったが、敵の半数に満たなかった。

アサは神に向って呼ばわった。
「ヱホバよ力ある者を助くるも力なき者を助くるも汝においては異なることは無し 我らの神ヱホバよ我らを助けたまへ 我らは汝に倚り頼み汝の名に託りて 往きて此群衆に敵(あた)る ヱホバよ汝は我らの神にましませり 人をして汝に勝せたまふ勿れと」 14:11

斯くて神はアサの前とユダの前にエチオピア人を撃ち破られたので、彼らは敗走し、ユダは多くの分捕りものを得てエルサレムに帰還したのだった。

ここに預言者オデデの子アザリヤが出迎えて言った
「汝等がヱホバと偕にをる間はヱホバも汝らと偕に在すべし 汝ら若しかれを求めなば彼に遇ん 然れどかれを棄てなば彼も汝らを棄てたまはん・・・然ば汝ら強かれよ 汝らの手を弱くする勿れ 汝らの行為には賞賜(むくいのたまもの)あるべければなり」と  15:1~7参照

アサ王とユダ、ベニヤミンの人々は一つとなってその言葉に從ったので、北王国イスラエルの人々の中で、神がアサと偕に在すを見てアサに降る者が夥しかった。

王と民は契約を結び、心を尽し精神を尽して先祖の神ヱホバを求めたので、神は四方において之に安息をたまい、治世の35年まで続いたのである。

だが、彼の栄えたのはそこまでであった。

36年に北王国イスラエルの王バアシャが攻め寄せて来た時、アサは神に呼び求める事をせず、反ってスリヤの王ベネハダテに倚り頼み、これに神殿の宝物を贈って、イスラエルとの約を絶ち、ユダの味方となるように願い、結果として勝利を収めたのだった。

だが、先見者ハナニがこれを聞き、アサの許に来て預言して言った
「汝はスリヤの王に倚り頼み、神に倚り頼まぬゆえに、スリヤの軍勢は汝の手を脱せり。かの
エチオピア人の大軍と戦車が来た時は神に倚り頼んだため、神は彼をアサの手に渡しにあらずや。ヱホバは全世界を遍く見そなはし己にむかひて心を全うする者のために力を顕したもふ この事においてえ汝は愚かな事をなせり 故に此後は汝に戦争あるべし」と。 16:7~9

アサは、治世の前半は純粋な信仰を持っていて祝福されたが、後半は、神を畏れる事を棄て、人に倚り頼る凡愚な王となり、祝福を失ってしまった。 何故か? いまだ御霊なき時代の故に確たる助け主を持たぬ為とは思うなれど、今日の私たちにとっても全き信仰を持つべきを教える教訓と受け止める必要があると思う。





キリストは萬物の上にあり、永遠(とこしへ)に讃(ほ)むべき神なり。アァメン。      ロマ9:5下半句


使徒パウロは、ギリシャでアテネのアレオパゴスの中に立ち、イエス・キリストを指して語った。

22 『アテネ人よ、我全ての事に就きて汝らが神々を敬う心の篤きを見る。
23 われ汝らが拝むものを見つつ道を過ぐるほどに「知らざる神に」と記したる一つの祭壇を見出したり。然れば我なんぢらが知らずして拝む所のものを汝らに示さん。

24 世界とその中のあらゆる物をとを造り給ひし神は、天地の主にて在(ましませ)ば、手にて造れる宮に住み給はず、
25 みづから凡ての人に生命と息と萬の物とを與へ給へば、物に乏しき所あるが如く、人の手にて事ふることを要し給はず、
26 一人よりして諸種(もろもろ)の国民を造りいだし、之を地の全面に住ましめ、時期の限と住居の界とを定め給へり。
27 これ人をして神を尋ねしめ、或は探りて見出す事あらしめん為なり。されど神は我等おのおのを離れ給ひこと遠からず、
28 我等は神の中に生き、動きまた在るなり。汝らの詩人の中の或者どもも「我らは又その裔なり」と云へる如し。

29 かく神の裔なれば、神を金・銀・石など人の工(わざ)と思考(かんがへ)とによりて刻める物と等しく思うべきにあらず。
30 神は斯る無知の時代を見過しに為給ひしが、今は何処にても凡ての人に悔改むべきことを告げたまふ。
31 曩に立て給ひし一人によりて義をもて世界を審かんために日をさだめ、彼を死人の中より甦へらせて保証を萬人に與へ給へり』
    使徒行伝17:22~31

見得ざる神が肉体を取り、見ゆる神イエス・キリストとなられた。

パトモス島で、主はヨハネに顕れて言い給うた。
今いまし、昔いまし、後きたり給ふ主なる全能の神いひ給ふ 『 我はアルパなり、オメガなり』  黙示録1;8

シナイの神の山ホレブでモーセに現れ、
『 我は有りて在る者なり。我有といふ者 』 と御自身を言い表された御方 出エジプト3:14

預言者イザヤは、主イエスの誕生を預言して言った。
『 その名は奇妙 また義士  また大能の神 とこしへの父 平和の君ととなへられん』 と。  イザヤ9:6

パウロは言う。
我らには父なる唯一の神あるのみ、萬物これより出で、我らも亦これに帰す。また唯一の主イエス・キリストあるのみ、萬物これに由り、我らも亦これに由れり。 コリント前8:6,7

永遠に生き給う者、真の神、唯一の救い主なるイエス・キリストを信じて救いを得よう!

     全き救いは、水と霊!

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律法と預言者とは、ヨハネまでなり、その時より神の国は宣伝へられ、人みな烈しく攻めて之に入る。   ルカ16;16

今は恵みの時代、救いの時代、聖霊時代、教会時代である。

神いひ給ふ『われ恵の時に汝に聴き、救の日に汝を援けたり』と。視よ今は恵のとき、視よ今は救の日なり。   コリント後6:2

主イエス様が救いを完成し、天国に入る道を備えてくださった。

或人いふ 『主よ、救はるる者は少きか』 イエス人々に言ひたまふ 『力を尽して狭き門より入れ、我なんぢらに告ぐ、入らん事を求めて入り能はぬ者おほからん』  ルカ13:23、24

求めよ求めよ、水と霊!と、積極的に救いを求める人は幸いである。

それ主は斯くえ我らに命じ給へり。曰く 「われ汝を立てて異邦人の光とせり。地の極(はて)にまで救いとならしめんが為なり」  
使徒行伝13:47

          ♪ 幸あれ幸あれ イエスの国
            罪の世界を 照らしつつ
            ほろぶる者を 救わんため
            十字の御旗 ひるがえせ ♪
         
       ~霊讃歌30番 救いを得よ 1節~










 
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         2018年の御言葉             


2018年を迎え、明けましておめでとうございます。

今年は、主イエス様の栄光が顕われ、皆様にとって祝福された素晴らしい年になりますようお祈り申し上げます。ハレルヤ!

また、今年は初代監督村井じゅん先生が、大正7年9月8日、岡山県児島湾小蒸気船上で異言の徴の伴う聖霊を受けられてから100年に当たる記念すべき年です。1世紀に及ぶ「水と霊」による全き福音伝道の歩みを回想し、更に今後につなげていくため、祈りと行動を新たにしたいと思います。


                                                    管理人


  


 

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