ヱホバ言ひ給ひけるは爾(なんぢ)の子爾の愛する獨子(ひとりご)即ちイサクを携てモリアの地に到りわが爾に示さんとする彼所(かしこ)の山に於て彼を燔祭として献ぐべし
創世記22:2
「これは主の御告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き從ったからである。」 新改訳聖書 22:16~18
アブラハムは、神の御声に忠実に従い、イサクを献げたのである。そうすることによって彼は大いなる祝福を得た。
パウロは、アブラハムは信仰によってイサクを献げたと言った。それは「イサクより出づる者なんじの裔と称えらるべし」との御言葉を信じ、たとえイサクを屠ったにしても、主は甦えらせて下さると信じたからであると。
へブル書11:17~19
初代監督村井じゅん師は「私は従うことにかけては天下一品」と称しておられた。
上から光が来て、示された真理は断行すべし。そこに祝福が伴い、証しが与えられる。
「主の祝福だに有らば足れり」である。
写真 群馬イエス之御霊教会・献堂式の引出物 昭和60年12月