道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2018年05月


イエス言ひ給ふ 『けふ救はこの家に來れり、この人もアブラハムの子なればなり。それ人の子の來れるは、失せたる者を尋ねて救はん爲なり。』 
 ルカ19:19,20 

エリコの町にザアカイという人が住んでいた。取税人の頭で富める人であったが、その職のために彼は悩んでいた。

取税人は、ユダヤ人がその職に就いていたが、支配者である異教徒のローマ帝国のために、同胞のユダヤ人から税を取り立てる役目を担っていた。ローマからは給料は出ないので、元手が要ることから金持ちが多く、過分な税を徴収して私腹を肥やす者もいたので、ユダヤ人からは売国奴のように思われて忌み嫌われていた。特に宗教家のパリサイ人からは蔑まれ、罪人や遊女と同等に見られていたのである。 

時に、主イエス様がエリコの町に入り、過ぎ行こうとされていた。ザアカイはイエス様の噂を聞いていたので、どういう人なのか見ようとしたが、背が低く、人垣に遮られて見ることができなかった。そこで、主が進み行き給う方向に向かって走り、そこにあった桑の木によじ登ったのである。

主イエス様は、その木の所に来られると、上を仰いで言われた。『ザアカイ、急ぎおりよ、今日われ汝の家に宿るべし』と言われた。 5節 あゝ、主は親しく私たちの名を呼び、過ぎゆかず、あなたの許に宿ると言ってくださるのだ。

ザアカイ桑の木から急いで降り、喜んでイエス様を自分の家に迎え入れた。人々はこれを見て 『かれは罪人の家に入りて客となれり』 と言った。

主は,、取税マタイ(レビ)が弟子になった時、その家で弟子たちと共に食事の席つかれたが、多くの取税人・罪人も同席した。パリサイ人の学者らがこれを見て、弟子たちに 『なにゆゑ取税人・罪人とともに食するか』 と言った。主イエス様は聞いて言われた。 『健かなる者は、醫者を要せず、ただ病ある者、これを要す。我は正しき者を招かんとにあらで、罪人を招かんとて來れり』 と。
 マルコ2:17

扨て、ザアカイ立ちて主に言ふ 『主、視よ、わが所有(もちもの)の半を貧しき者に施さん。若し、われ誣(し)ひ訴へて人より取りたる所あらば、四倍にして償はん』と。ザアカイが四倍にしてと言ったのは、律法に「四の羊をもて一の羊を償ふべし」と定められている故である。 出エジプト22:1

主イエス様は、ザアカイが悔改めに適う信仰を言い表したことを喜ばれて冒頭の御言葉を語られたのである。

この御言葉は、私の大好きな聖言の一つである。なぜならば、私の若き日、失われた如き私を主イエス様は見出してくださり。救いに入れて下さったからである。感謝!ハレルヤ!!




斯く言ひて、息を吹きかけ言ひたまふ 『 聖霊をうけよ。』  
                                                           
 ヨハネ20:22


十字架に架り、死にてのち墓に葬られ、三日目を迎えた一週の初めの日の朝まだき、主イエスは甦り、マグダラのマリヤに現れて語り給ふた。『我が兄弟たちに往きて「我はわが父、即ち汝らの父、我が神、即ち汝らの神に昇る」といへ』と。 17節

マグダラのマリアは往って弟子たちに 『われ主を見たり』 と告げ、云々(しかじか)の事を言ひ給ひしと告げたり 18節

この日、即ち一週のはじめの日の夕、弟子たちユダヤ人を懼るゝに因りて居るところの戸を閉じおきしに、イエスきたり彼らの中に立ちて言ひたまふ 『平安なんぢらに在れ』 斯く言いひてその手と脋(わき)とを見せたまふ、弟子たち主を見て喜べり。イエスまた言ひたまふ 『平安なんぢらに在れ、父の我を遣し給へるごとく、我も亦なんぢらを遣す』 斯く言ひて、息を吹きかけて言ひたまふ 『聖霊をうけよ。汝ら誰の罪を赦すとも其の罪ゆるされ、誰の罪を留むるとも其の罪とどめらるべし』 19~23節

ここで主は弟子たちに『聖霊を受けよ』と命じられたのである。

この時のことを使徒行伝1:4,5にこう記している。

また彼等とともに集りゐて命じたまふ 『エルサレムを離れずしいて、我より聞きし父の約束を待て。ヨハネは水にてバプテスマを施ししが、汝らは日ならずして聖霊にてバプテスマを施されん』 と。

そして五旬節の日を迎えた。弟子たちに聖霊が降り、火の如きものが各々の上に止まった。

彼らみな聖霊にて満たされ、御霊の宣べしむるままに異邦の言にて語りはじむ。
 使徒2:4

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今週も水と霊の救いが行われた。いつも伝道に熱心なS兄弟が、お仕事の関係で知りあったA姉妹に救いのお勧めをしたところ、喜んで受けますと言われたので、時間を合わせて導かれたのである。

また、昨年救われたばかりのB姉妹は、お仕事の関係で東京から来られたK兄弟を導いて来られ、水と霊を受けて救われたのである。

こうして異言の徴の伴う聖霊を受け、主イエス・キリストの御名によって洗礼(浸礼)を受けて救われる方も、また主に用いられて救いに導く方も、共に主の祝福に与るので幸いである。

兄弟姉妹方が救霊の念に燃えて、主の御業に用いられることは、嬉しく感謝な事である。ハレルヤ!



主イエス様が公生涯に顕れ給うた時、多くの人がその為し給う徴をみて御名を信じた。

ニコデモもその一人であった。彼は夜密かに主を訪ねて言った。『ラビ、我らは汝の神より來る師なるを知る。神もし偕に在さずば、汝が行ふこれらの徴は誰もなし能はぬなり』 主は、この問いをきっかけとして、『人は水と霊とによりて生れずば、神の國に入ること能はず』 と、福音の真髄を語られたのである。
 ヨハネ3:1~5

主は、実に多くの大なる徴と不思議を行われた。人の絶対に為し得ぬ、神としての能力(ちから)を顕されたのである。

ガリラヤのカナでの結婚式で水を葡萄酒にする第一の徴を初めとして
(同2:1~11)
王の近臣の病で死なんばかりの子を癒して生かした第二の徴
(4:46~54)
更にプテスダの池で三十八年間病の床に臥していた人を癒して、床を取りあげて歩ましめ
(5:1~9)
五つのパンと二匹の魚をもて五千人を養うなど
(6:5~13)
聖書に記された、主が為したもうた徴・不思議は、枚挙の暇がないほどである。

これによって、主は栄光を顕わし、世の救い主なることを知らしめ、人々をして 『實にこれは世に來るべき預言者なり』 と言わしめたのである。

使徒ヨハネは、彼の福音書を書き終えるに当たり、「此等の事を録ししは、汝等をしてイエスの神の子キリストたることを信ぜしめ、信じて御名により生命を得しめんが為なり。」と述べた。(20:31)

そして主は、十字架に架り、地を流して私たちの罪の贖いの業を成し遂げ、三日目に死人の中より甦り、四十日の間しばしば弟子たちに現れて、神の國のことを語り、『聖霊を愛けよ』 と命じられた。昇天に際しては手を挙げて祝し給うたのである。

その時言われた御言葉は、マルコ伝16:15以下に記されている。

『全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣傳へよ。信じてバプテスマを受くる者は救はるべし、然れど信ぜぬ者は罪に定めらるべし。
信ずる者には此等の徴、ともなはん。即ち我が名によりて悪鬼を逐ひいだし、新しき言をかたり、蛇を握るとも、毒を飲むとも、害を受けず、病める者に手をつけなば癒えん』

語り終へてのち、主イエスは天に挙げられ、神の右に坐し給ふ。弟子たち出でて、遍く福音を宣傳へ、主も亦ともに働き、伴ふところの徴をもて、御言を確うし給へり。

イエス・キリストは昨日も今日も永遠までも變り給ふことなし。
 へブル13:8

主は、建て給いし教会にあって主の器を用い、主御自身の栄光を顕さんがために徴を為し、また私たちを祝福するために常に働き給うのである。
ハレルヤ!




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