道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2019年04月


我らはユダヤ人・ギリシャ人・奴隷・自主の別なく、一體とならん爲に、みな一つ御霊にてバプテスマを受けたり。而してみな一つ御霊を飲めり。 コリント前12:13

主イエス・キリストは、全世界の人々を救わんとして来り給うた。人種・国籍・言語などの様々な壁を超えて、神を信じ、愛する人々を求めておられる。

異邦人であるコルネリオがペテロを招いた時、ペテロは口を開いてこう言った如くである。
『われ今もことに知る、神は偏ることをせず、何れの國の人にても神を敬ひて義をおこなふ者を容れ給ふことを。神はイエス・キリスト(これ萬民の主)によりて平和の福音をのべ、イスラエルの子孫に言をおくり給へり。・・・』
 使徒10:34~

また、斯く言う。
されば記憶せよ、肉におりては異邦人にして、手にて肉に行ひたるかの割礼ありと稱へらるる汝ら、曩(さき)にはキリストなく、イスラエルの民席に遠く、約束に属する諸般の契約に與りなく、世に在りて希望なく、神なき者なりき。されど前に遠かりし汝ら今キリスト・イエスに在りて、キリストの血によりて近づくことを得たり。・・・そはキリストによりて我ら二つのものを一つ御霊にありて父に近づくことを得たればなり。
 エペソ2:11~

水と霊との救いを受けた者同士が一つになり、神の教会となり、互に主イエス・キリストに在って兄弟姉妹と呼び合えるのだ。






イエス言ひ給ふ 『我は復活(よみがへり)なり、生命(いのち)なり、我を信ずる者は死ぬとも生きん。凡そ生きて我を信ずる者は、永遠(とこしへ)に死なざるべし、汝これを信ずるか』 ヨハネ11:25

主イエス・キリストは、ラザロを死後四日目に墓の中から甦らせ、これを見た多くの人が、これこそ救い主であると信じた。

そして、主イエス・キリストは自ら私たちの罪のために十字架に釘けられて死に、葬られて、三日目に復活された。即ち死に勝利し、死人の中から初穂となって復活されたのである。

復活された主はガリラヤに行き、十一使徒も行って主に謁見えて拝した。主は言われた。

『我は天にても地にても一切の権を與へられたり。然れば汝ら往きて、もろもろも國人を弟子となし、父と子と聖霊との名によりてバプテスマを施し、わが汝らに命ぜし凡ての事を守るべきを教へよ。視よ、我は世の終まで常に汝らと偕に在るなり』 マタイ28:18~20

教会は、主の御命令を果たす務めがある。喜びをもって進んで行きたい。



大祭司いふ 『われ汝に命ず、活ける神に誓ひて我らに告げよ、汝はキリスト、神の子なるか』 
イエス言ひ給ふ 『なんぢの言へる如し。かつ我なんぢらに告ぐ、今より後、なんぢら人の子の全能者の右に坐し、天の雲に乗て來るを見ん』
  マタイ26:63,64

総督、問ひて言ふ 『なんぢはユダヤ人の王なるか』 イエス言ひ給ふ 『なんぢの言ふが如し』  同27:11   

主イエス・キリストは、十字架に懸けられる前に二人の審判者による裁きを相次いで受けられた。先なる一人はユダヤ教の大祭司カヤパであり、後なる一人はロマの総督ピラトであった。

二人の尋問に対して主イエス・キリストは的確に答えられた。

大祭司の問いに対して、主はご自身の神性を言い表されたのである。それは何者も犯すべからざる絶対的なものであった。

総督の問いに対しては、ユダヤの民が長い間、待望していたユダヤ人の王であることを宣言されたのである。

これは真理であり、奥義である。

この世の司には之を知る者なかりき、もし知らば栄光の主を十字架に釘けざりしならん。
 コリント前2:8

御子は肉によれば、ダビデの裔より生れ、潔き霊によれば、死人の復活により大能をもて神の子と定められ給へり、即ち我らの主イエス・キリストなり。 ロマ1:3


御國のこの福音は、もろもろの國人に證をなさんため全世界に宣傳へられん、而して後、終は至るべし。  マタイ24:14

今は何の時か、末の世である。罪の故に滅亡に日が迫っているが、同時に神の救いの御業が顕著に為されている時でもある。

教会に於いては、聖霊の働きが為され、水と霊との救いが行われている。その火が燃えさからんことを祈る。


なんぢら時を知る故に、いよいよ然なすべし。今は眠りより覚むべき時なり。始めて信ぜし時よりも今は我らの救近ければなり。夜ふけて日近づきぬ、然れば我ら暗黒の業をすてて光明の甲を著るべし。ロマ13:11,12 

神いひ給ふ『われ恵みの時に汝に聴き、救の日に汝を助けたり』と。視よ今は惠のとき、視よ今は救の日なり。  コリント後6:2

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