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復活された主イエス・キリストは、弟子たちに「聖霊なんぢらの上に臨むとき、汝ら能力(ちから)をうけん、而してエルサレム、サマリヤ、及び地の極(はて)まで我が証人とならん」と言い終えると彼らの見ているうちに天にあげられ、雲に覆われてかれらの目に見えなくなった。

その昇り行き給うとき、彼らが天を見つめていると、傍らに白い衣を着た二人の人が立って言った。「ガリラヤの人々よ、何ゆへ天を仰ぎて立つか、汝らを離れて天に挙げられ給ひし此のイエスは、汝らが天に昇りゆくを見たるその如く復(また)きたり給はん」と。-使徒1:8~11-

主イエス・キリストが再び来られることを「再臨(さいりん)」(the second coming)と言う。

その日は、悪を行う者にとっては、罪に定められる日になるが、神の子たちにとっては、栄光体とされて復活する日であり、天に携挙される歓喜の日である。

再臨については、主イエス・キリスト自らマタイ伝24、25章で語られているが、再臨の兆(しるし)として、偽キリスト・偽預言者の出現、それによる惑い、戦争、飢饉、地震、患難、不法の増すにより人の愛が冷やかになること、憎しみなどを挙げておられる。今やこれらの出来事が地上のあらゆる所で起きており、再臨が近いことを思わしめられる。

茲で、「御國のこの福音は、もろもろの國人に証をなさんとめに全世界に宣伝へられん、而して後、終は至るべし。」の御言が燦と輝き、水と霊の福音を委ねられている我らの伝道心を奮い立たせてくれる! -24:14-

主イエスが預言をされてから2000年は経つ。ある人は「本当に再臨はあるのか」と疑って言う。然しペテロは預言して言った「主の御前には一日は千年のごとく、千年は一日のごとし。主その約束を果たすに遅きは、或人の遅しと思ふが如きにあらず、ただ一人の亡ぶるをも望み給はず、凡ての人の悔改めに至らんことを望みて、汝らを永く忍び給ふなり。」と。-ペテロ後3:8,9-

ソドムが滅んだ時、アブラハムはそこに住む甥のロトと家族の救いを主に求めた。50人から始めて、「ソドムの邑(まち)に若しも10人の義人がいたら滅ぼさないでくださいますか」と、主は「我10人のために滅ぼさじ」と答えられた。 -創世記18:22~33-

再臨はいつあるのか? 誰も知らない。御使いも知らず、子も知らず、ただ父のみ知り給う。盗人が来るように、何時とは教えないが、突然来ると主は言い給う。その準備はできているだろうか? 喜んで新郎を迎えることができるように、灯火が燃え続けるように油を持つ事、即ち聖霊の油を持つことが大切だと主は言われた。 -マタイ25:1~13-

まだであれば用意をしよう。主は、いと優しく救いの保証を与えてくださる。

これらの事を証する者いひ給うふ「然り、われ速やかに到らん。アァメン、主イエスよ、来たりたまへ。 
-ヨハネ黙示録22:20-