シナイ山a
            
              ラス・エス・サフサフェ山とホテル 1989年/撮影
                (シナイ山は、この山の後ろ側にある)
 
         

我らの先祖たちは荒野にて証の幕屋を有(も)てり。モーセに語り給ひし者の、彼が見し式(かた)に循(したが)ひて造れと命じ給ひしままなり。 -使徒行伝7:44-

モーセはシナイ山で、主なる神から幕屋を造れと命じられた。

この幕屋は「集会の幕屋」-出35:21・文語訳-と云い-、又「臨在の幕屋」-新共同訳-と呼ばれた。ステパノは之を「証の幕屋」と称した。

彼等わがために聖所(きよきところ)を作るべし 我かれらの中に住ん -出エジプト25:8-

汝山にて示されし式様(ひながた)にしたがひて之を作ることに心を用ひよ -同25:40-

神は、幕屋の全様を細部に至るまで悉くモーセに示された。そして、ユダの支派(わかれ)のベザレルとダンの支派のアホリアブを名指しで選び、神の霊を満たして工事の役に用いられた。モーセは、見たままを二人に告げて工事に当たらせた。彼等は寸分違わず作り上げたのである。

幕屋の中心に至聖所と聖所が設けられた。至聖所には、契約の箱が置かれ、その上のケルビムの間に神の臨在があった。また聖所には、香壇と、パンの机と、灯台が置かれ、祭司が交代で神に仕えた。

幕屋の前の庭には、祭司が手足を清める水の満ちた洗盤(たらい)が置かれ、更に手前には生贄を奉げる燔祭の壇が置かれた。

庭の周囲は、細布の幕を以って囲われ、入口は東に面して設けられ,刺繍が施された幔(とびら)が下がっていた。

至聖所と聖所とを囲う三方の壁は、アカシヤの木で作られ、内側は金で覆われていた。その金はイスラエルの民がエジプトを出る時に、エジプト人から得たものであって、幕屋作りのために献げたものであった。

幕屋の天井と外側は、幕で覆われていた。内側の見える幕にはケルビムが刺繍され、その上に山羊の毛の天幕が被せられ、更に赤染めの牡羊の皮の天幕で覆い、外側にじゅごんの皮の蓋いが設けられていた。

内側は正に天国を見る様で素晴らしく、外側は雨露を凌ぐに相応しかった。その間の幕は、主の贖いの羔羊の如く、また主の十字架の御血を見るが如く赤かったのである。

しかし、内側を見るには灯りが必要であった。故に聖所の北側の壁の所に、灯台が置かれた。油の燃える灯火によって、ケルビムも黄金の壁も見えたのである。聖霊の輝く處に真理が悉く啓示されるのである。

また、聖所の南側の壁の所には、パンの机が置かれ、日ごとに新しいパンが供えられた。同様に生命のパンなる神の御言葉を日ごとにいただくことが必要である。

そして、至聖所に近い所に香壇が置かれ、香の煙が立ち上っていた。これは祈りの型である。

至聖所と聖所との間には、仕切りの幕が下がっていた。これにはケルビムが刺繍されていた。年に一度大祭司が己と民の罪を贖うために入ることを許された。主イエス・キリストが十字架で死なれた時に、この幕が上から下に裂けて、主を信ずる者の誰もが至聖所に入る道が開かれたのである。

至聖所の契約の箱の中には、三つの品が入っていた。十戒を記した石の板2枚と、アロンの杖、マナ1オメルを入れた壺である。

契約の箱は、純金を以って覆われ、その上に二個のケルブが向かい合わせで置かれていた。その中間が贖罪所であって、神の栄光が輝いていたのである。

この証の幕屋は、教会の型である。

主イエス・キリストが言われたように天国に入る救いの門は「水と霊」である。他から入ることはできない。燔祭の壇である主イエス・キリストの十字架を信じ、洗盤で全身と足を洗い、聖所である教会に入って聖霊の光に照らされて真理を悟り、御言葉を糧として甘きを味わい、霊と真の祈りをささげ、開かれた至聖所である御国に入る日きたらば、喜びて主に見え、キリストの新婦とせれ、再臨の主と共に千年の間王たる身分を与えられるのである。

この幸いを得るために、是非とも水と霊とのバプテスマを受けられよ!