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マサの王レムエルが母から受けた教えが雅歌31:1~9に記されている。

その名レムエルとは、「神に向かう」の意であるという。信仰篤い母は、息子が絶えず心を神に向けて生きて欲しいと願い祈って名付けたことであろう。

母は、王となった息子を諭して言った。

1.力を女についやすなかれ

わが子よ 何を言んか わが胎(はら)の子よ 何をいはんか 我が願ひて得たる子よ 何をいはんか なんぢの力を 女につひやすなかれ 王を滅ぼすものに 汝の途をまかする勿れ -1~3-

母は、愛する息子が女に迷い、放縦に流れ、浮名を世に晒し、国政をないがしろにしてはならないと誡めた。

王という権威に就く者は、何物をも手に取り易い地位にあった。

ダビデ王は、バテシバの美しさに迷い、己の妻にしようとして、夫ウリヤを戦場に送り、敵の手によって討死させ、妻としたが罪を得た。払う代償は大ではないか。

ソロモン王は、イスラエルの王朝の絶頂を極め、富と智慧とを持ち、壮大な神殿を築いたが、その一方で700人の王妃と300人の側室がいた。その多くは異邦人で偶像教徒であった。妻たちは彼の心を迷わせ、他の神々に向かわせたのである。その結果、祝福を失い、彼の息子レハベアムの時代に、王国は分裂し、南のユダと北のイスラエルに分かれ、その果てはバビロンの捕囚となったのである。

2.酒を飲むは王の為すべき事に非ず

レムエルよ 酒を飲むは王の為すべき事に非ず 王の為すべき事にあらず 醇醪(こきさけ)を求むるは牧伯(きみ)の為すべき事にあらず 恐らくは酒を飲みて律法(おきて)をわすれ 且すべて悩むまさるゝ者の審判(さばき)を枉(まげ)ん 醇醪を亡びんとする者にあたへ 酒を心の傷(いた)める者にあたへよ かれ飲みてその貧窮(まずしき)をわすれ 復その苦楚(なやみ)を憶はざるべし -4~7-

私事であるが、和酒・洋酒に限らず、酒を飲まない。その方での出費はゼロである。これは戒律ではなく、自由な意志である。一般社会の冠婚葬祭に出席して、酒席が設けらる場合も、一切口にはしない。

牧師もそうだが、教師、裁判官、公務員など公に仕える人は似かよったところがある。苟も人を教え、指導する立場にある人が、酒に酔って道を違えるならば、社会から大きな非難を受けるのは当然なことで、それではその職に仕える者たり得ない。

いつも目を主に向け、置かれている立場を考え、証のある人生を歩むのが本筋である。

酒に酔ふな、放蕩はその中にあり、寧ろ御霊に満され、詩と讃美と霊の歌とをもて語り合ひ、また主に向ひて心より且うたひ、かつ讃美せよ。凡ての事に就きて常に我らの主イエス・キリストの名によりて父なる神に感謝し、キリストを畏みて互に服へ。 -エペソ5:18~21-

3.貧しき者と窮乏者の訴えを糺せ

なんぢ瘖者(おふし)のため又すべての孤者(みなしご)の訟(うたへ)のために口をひらけ なんぢ口をひらきて義しき審判(さばき)をなし貧者(まづしきもの)と窮乏者(ともしきもの)の訟を糺せ -8,9-
 
王にとって大切な事は、人を見て裁きをなさず、大なる人に対しても、小なる人に対しても何ら差別なく、公平に目を向け、耳を傾け、理に従って裁きを為すべきだと教えた。

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賢 い 妻

10節から31節までは、アルファベットによる詩である。

誰か賢い女を見出すことを得んその價(あたひ)は真珠よりも貴とし その夫の心は彼を恃みその産業は乏しくならじ 彼が存命(ながら)ふる間はその夫に善事をなし悪き事をなさず -10~12-

以下、誠に婦人の鑑と言える価値ある婦人像が記されている。夫婦相和して含蓄あるこの聖書の聖句を読まれるようにお勧め致します。

子をその道に從いて教へよ 然らばその老たる時も之を離れじ -箴言22:6-