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それ神はその獨子(ひとりご)を賜ふほどに世を愛し給へり、すべて彼を信ずる者の亡びずして永遠(とこしへ)の生命(いのち)を得ん為なり -ヨハネ3:16-   

と、主に愛された弟子ヨハネは記した。主によって兄のヤコブと共に「雷の子」と名付けられたヨハネであったが、愛の使徒とも呼ばれるだけに、深く主の愛を悟り、神の愛に関わる主イエス・キリストの御言葉を、筆を執って記した人である。

われ新しき誡命(いましめ)を汝らに與ふ、なんぢら相愛すべし。わが汝らを愛せしごとく、汝らも相愛すべし。互に相愛する事をせば、之によりて人みな汝らの我が弟子たるを知らん -13:34,35-

弟子たちが、また我ら主を信ずる者が「クリスチャン」と呼ばれるようになったのは、アンテオケより始まったとある。それはアンテオケ教会の聖徒らがキリストに從う者になったからである。 -使徒行伝12:26-

ヨハネは、またヨハネ第一書で、神の愛の如何ばかりなるかを説いた。

視よ、父の我らに賜ひし愛の如何に大なるかを。我ら神の子と称へらる。既に神の子たり、世の我らを知らぬは、父を知らぬによりてなり。愛する者よ、我等いま神の子たり、後いかん、未だ顕れず、主の現れたまふ時われら之に肖(に)んことを知る。我らその眞の状(さま)を見るべければなり。 -3:1,2-

主は我らの為に生命を捨てたまへり、之によりて愛といふことを知りたり、我等もまた兄弟のために生命を捨つべきなり。世の財宝(たから)をもちて兄弟の窮乏(ともしき)を見、反って憐憫(あはれみ)の心を閉ずるる者は、いかで神の愛その衷(うち)にあらんや。 -3:16,17-

更に、同書4章7節以下には、我らの罪のために十字架にかかり、宥(なだめ)の供物となられ神の愛を示された主イエス・キリストに倣い、神の愛をもって互に相愛すべきことを教えている。

繰り返して読み、己がものとしたい章節である。

我らに対する神の愛を我ら既に知り、かつ信ず、神は愛なり。 -4:16上半句-