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                     ユダヤの荒野
  

ピリポ走り寄りて、その預言者イザヤの書を讀むを聴きて言ふ『なんぢ其の讀むところを悟るか』 閹人(えんじん)いふ 『導く者なくば、いかで悟りえん』 -使徒行伝8:30,31-

サマリヤでの実り多き伝道を終えたピリポに主が備えてくださった次の道は、『エルサレムからガザに下る道に往け。そこは荒野なり』 であった。 

主の命に従って行くと、馬車に乗った人に出会った。彼はエチオピア(エチオピア)の女王カンダケの高官で、女王の宝物の全てを管理している閹人(宦官)であった。

閹人は、王や女王に仕え、高級官吏として職務を行う者がいたが、彼もその一人であった。ただ違う所は彼が眞の神を信じていたということである。その彼が暫くの暇を戴いて出かけたのがエルサレムでの礼拝であった。   

イスラエルに眞の神あり、との証が周囲の国々に伝えられ、エチオピアにも神の及んでいた事実を知る。ソロモンの時代にも、シバの女王がソロモンの智慧を聞こうとしてやってきた。

我らの語る水と霊との福音も同様に証となって、広く宣べ伝えられていかねばならない。

彼は馬車のなかで聖書を読んでいたが、誰のことが書かれているのか皆目見当がつかなかった。思案している所に現れたのが神に遣わされたピリポであった。

御霊がピリポに『ゆきて此の馬車に近寄れ』と言われ、走り寄ってみるとイザヤ書53章の聖言を読む声が聞こえた。神の導きは何と素晴らしいものか! 時も所も全て救われるべき人のために備えられている。

『なんぢ其の読むところを悟るか』とのピリポの問いに対して、閹人は答えた『導く者なくば、いかで悟り得ん』 そしてピリポに同席して聖書の解き明かしを求めた。 茲に主イエスの福音が語られ、水と霊とによる救いが語られたのである。

幸いに水のある所に来た。ヱホバエレ!である。閹人が言った『視よ水あり、我がバプテスマを受くるに何の障りかある』 そしてピリポと閹人と二人ともに水に下り、ピリポは閹人にバプテスマを授けた。勿論、主イエス・キリストの名によってである。

彼等が水から上がると、主の霊がピリポをその場から取り去ったので、閹人はピリポを見ることがなかったが、大いなる喜びに満たされて其の途に進み往けり、とある。

閹人は、本来ならばヱホバの会に入るべからざる者であった。しかし、異邦人も寺人(閹人)も共に神の祈りの家で楽しませると約束してくださった。今は、誠に恵みの時代であることを感謝する。-イザヤ56:2~8ー

証 = 今週も洗礼式、聖霊待望会、身代わり洗礼、家庭集会が行われ感謝でした。