シモン・ペテロ答ふ 『主よ、われら誰にゆかん、永遠の(とこしへ)の生命(いのち)の言(ことば)は汝にあり。又われらは信じ、かつ知る、なんぢは神の聖者(しゃうじゃ)なり』 ヨハネ6:68,69
清純にして潔い言葉だ。 使徒シモン・ペテロの主イエス・キリストに対する信仰告白である。
この言葉がペテロの口から発せられる経緯(いきさつ)がヨハネ伝6章に書かれている。
主イエス・キリストが五つのパンと二つの魚をもって5千人に分け与え、その余りが十二の籠に満ちた奇蹟である。
翌日、主と群衆との間でカぺナウムの会堂でパンの事に就いて問答が交わされた。
主は 『われは生命のパンなり』 と言われた。そして更に 『我は天より降りし活けるパンなり、人このパンを食はば永遠に活くべし。我が與ふるパンは我が肉なり、世の生命のために之を與へん』 と言われた。
群衆には、主の語る 『我が與ふるパンは我が肉なり』 という言葉の意味が分からなかった。彼らにはパンと言えば、常日頃食べるパンか、昨日食べた奇蹟のパンのことしか思い当たらなかったのである。そこで互に争論になった。
主は皆を静めて更に言われた。
『まことに誠に、なんぢらに告ぐ、人の子の肉を食はず、その血を飲まずば、汝らに生命なし。わが肉をくらひ、わが血をのむ者は永遠の生命をもつ、われ終りの日にこれを甦へらすべし。夫れわが肉は眞の食物、わが血は眞の飲物なり。・・・ 』
多くの俄か弟子たちは、これを聞いていよいよ分からなくなって「この人を食べよとは、どういうことか」と口々に呟いて言った。
主は、彼らの躓いたことを知って言われた。『活かすものは霊なり、肉は益する所なし、わが汝らに語りし言(こと)は霊なり生命なり』 と。
これを聞いて俄か弟子たちの多くはかえり去って、再び主と共に歩まなかった。
主も寂しく感じられたのか、弟子たちに向って 『なんぢらも去らんとするか』 と問われた。
ペテロは、代表し決然として言った。
『主よ、われら誰にゆかん、永遠の生命の言は汝にあり。又われらは信じ、かつ知る、なんぢは神の聖者なり』
誠に主は十字架に架り、神の羔羊となって御体を裂き、贖いの血を流してくださった。この事実を信じ、水と霊とのバプテスマを受ける者は皆救われる。神の子とされ、永遠の生命を約束されるのである。
『まことに誠に汝に告ぐ、人は水と霊とによりて生れずば、神の國に入ること能はず』
ヨハネ3:5
神の御霊を受け、真理を悟った者は皆同じく アアメンと言おう。
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