斯て彼らに言いたまふ 『全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣傳へよ。信じてバプテスマを受くる者は救はるべし。然れど信ぜぬ者は罪に定めらるべし。信ずる者には此等の徴、ともなはん。即ち我が名によりて悪鬼を逐ひいだし、新しき言(ことば)をかたり、蛇を握るとも、毒を飲むとも、害を受けず、病める者に手をつけなば癒えん』
語り終へてのち、主イエスは天に挙げられ、神の右に坐し給ふ。弟子たち出でて。徧く福音を宣傳へ、主も亦ともに働き、伴ふところの徴をもて、御言(みことば)を確ふし給へり 
マルコ16:15~20

これは、復活された主イエス・キリストが、昇天されるに際して弟子たちに語られた御言葉である。と同時に、私たち全てに対して語られた御言葉である

主は先ず、全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣傳へよと言い給うた。何の福音か。水と霊の全き福音である。

主は、人は新たに生まれずば神の国を見ること能はず、人は水と霊とによりて生まれずば神の国に入ること能はず、と言い給うた。ヨハネ3:3,5 而して復活された主は弟子たちに息を吹きかけて言い給うた『聖霊を受けよ』と。ヨハネ20:22 
そして、御昇天後のペンテコステの日の聖霊降臨を待ち望めと言われたのである。

バプテスマ

バプテスマのヨハネは、悔改めのための水のバプテスマを施したが、主イエス・キリストのバプテスマは、聖霊と火とによってバプテスマを施し、かつイエス・キリストの名に由る罪の赦しを与える水のバプテスマを施されたのである。これは、完璧な救いであり、神の愛と憐みに基づく賜物である。

主は、信じてバプテスマを受くる者は救わるべし、然れど信ぜぬ者は罪に定めらるべしと言われた。故にバプテスマを受けることは、救いに必要なことであって、イエス之御霊教会の信者は皆主の御言葉に從い、感謝して受けているところである。

信ずる者には此等の徴、ともなはん。

・我が名によりて悪鬼を逐ひいだし、

偶像教には悪霊が付き物である。偶像に手を合わせる人は知らずして悪霊を拝んでいるのである。何か良いことがあれば、ご利益だと言って愈々深みに嵌まり込んでいく。世に言う宗教は、これを利用して無知な人々からお金を絞り取るのである。

これから、抜け出る方法はただ一つ、水と霊を受けて、牧師に主イエス・キリストの名によって偶像の聖別をしてもらえば、綺麗さっぱりするのである。救われて初めてイエス様が真の神様だと知るのである。

・新しき言(ことば)をかたり、

聖霊を受けると、徴として異言を語らせられる。ペンテコステの日に120人の弟子たちが聖霊を受け、異なる国言葉を語ったように、異言が口から出て、聖霊が内住したことを証される。
使徒行伝2:4,33 10:44~46 19:6 コリント前12:10 同14:15

・蛇を握るとも、毒を飲むとも、害を受けず、

パウロがマルタ島で難破後、柴を火にくべたとき、熱によって蝮(まむし)が出て手についたが、何の害も受けなかったとある。使徒28:3~6
沖縄の教会ではハブに噛まれたが、助かったという証を聞いた。

間違いで子どもが毒を飲み、あわてて教会に飛び込み、お祈りしてもらったら助かり、これが機縁で家族中が救われた証がある。また信者なのに人生問題に悩んで毒を飲んだが、異言の祈りが出てきて、それと共に胃の内容物が吐き出され、信仰に立ち返った証を聞いた。

・病める者に手をつけなば癒えん

使徒行伝には、弟子たちによって多くの癒しの業がなされた証が記されている。

教会では、癒しを求める信者方に牧師がオリーブ油を塗り、頭に手を按き、主イエス・キリストの御名によって神癒祈祷を行っている。イエス様が癒やしの御業を行ってくださる。

主も亦ともに働き、伴ふところの徴をもて、御言を確うし給へり

昇天された主は、天の處から弟子たちの伝道をご覧になり、地にて繋ぐところは天において繋ぎ、地にて解くところは天において解き、天と地が相呼応して、福音の発展がなされていった。
私たちの伝道も同じく、主が奇蹟・不思議・徴を行って押し進められていくものである。