下役ども答う
『この人の語るごとく語りし人は未だなし』 ヨハネ7:46

主イエス・キリストが御在世中のこと、毎年7月15日から7日間、「假蘆(かりいほ)の祭」が行われていた。これは、イスラエル人がエジプトを出た後、40年の間、荒野で天幕を張って暮らしたことを記念する祭であった。7日を終えた翌日の安息日は「祭の終りの大いなる日」と呼ばれていた。


主イエスは祭の半ば頃にガリラヤから来られて、都に着くや否や、宮に立って御言葉を教えられた。ユダヤ人は皆怪しんで言った。「この人は学びしことなきに、如何にして聖書を知るか」と。

主イエスと民と祭司長・パリサイ人との間で暫し論争が繰り拡げられた。群衆のうち多くの人々がイエスを信じて「キリスト来たるとも、此の人の行いしより多く徴を行わんや」と言った。この言葉がパリサイ人の耳に入るや、彼らはイエスを捕えようと下役を遣わした。

そして、祭の終りの大いなる日、安息日を迎えた。主イエスは宮に立って大声で呼ばわり言われた。

『人もし渇かば我に来りて飲め。我を信ずる者は、聖書に云へるごとく、その腹より活ける水、川となりて流れ出づべし』 これは彼を信ずる者の受けんとする御霊を指して言ひ給ひしなり。イエス未だ栄光を受け給はざれば、御霊いまだ降らざりしなり。 7:37~39

此れは、聖霊を受けた人たちが、御霊に満たされて、その口から異言が滔々と流れるが如く語らされ、また霊歌が謳わしめられることを指して言っている。

主の大説教を聞いた人々は口々に言った。『これ眞にかの預言者なり』 『これキリストなり』と。

一方、出自に就いて「この人は、ガリラヤのナザレの人だ。聖書にキリストはダビデの末裔で、ベツレヘム生まれだとあるではないか。だからキリストではない」と訝しがる者もいた。こうして群衆の間に紛争が起きた。

祭司長やパリサイ人の許に下役が戻ってきた。「なぜ彼を捕えぬか」と言うと、下役が答えた。「この人の語るごとく語りし人は未だなし」と。

パリサイ人は、これを聞いて下役を嘲ったが、世の智者、学者には、主イエスが何方であるか、眼に覆いが被されて見えなかった。幼子の如く素直ならずば、神の国を見ることはできない。下役のように心が謙らなければ、神の声を聞きわける耳は開かれはしない。