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(ここ)にイエス答へて言ひたまふ 『をんなよ、汝の信仰は大なるかな、願のごとく汝になれ』 娘この時より癒えたり。 マタイ15:28

主イエス様がツロとシドンの地方へ行かれた時のこと、ここは地中海に面したフェニキュアの都市であり、從って異邦人の町であった。思うに、主はここにも救いを求めるイスラエル人がいるのではないかと思い伝道に行かれたのではなかろうか。

すると、この地に住むカナン人の女が出てきて、イエス様に叫んで言った 『主よ、ダビデの子よ、我を憐み給へ。わが娘、悪鬼につかれて甚く苦しむ』と。

お腹を痛めて生んだ娘が、悪鬼に憑かれてしまった。発狂状態で、まともに生きて行くことはできない、どうしたものかと思い、悩んでいるときに、主イエスが来られたと聞き、助けて欲しいの一念で駆けつけてきたのである。

然し、イエスは一言も答え給わず、取り合おうともされない。弟子たちが来て 『女を帰したまへ、我らの後より叫ぶなり』と請うた。

主は、弟子たちに答えて言い給うた 『我はイスラエルの家の失せたる羊のほかに遣されず』 

主のお言葉のごとく、福音は、神によって祝福を約束されたアブラハムと、その子孫であるイスラエル人のために備えられたものであった。主は先ず己の国にきたり、己の民を救う目的で来られたのである。異邦人は蚊帳の外であった。

女がきて主を拝して何度も言った 『主よ、我を助けたまへ』 主は答えて言われた 『子供のパンをとりて、小狗(こいぬ)に投げ與ふるは善からず』

子供とは、選民であり、先祖の故に神に愛されたイスラエルの人々である。その人々のために備えられた神の祝福を、異なる異邦人である神々を拝み、これに仕える小狗のごとき卑しく汚れた異邦の者に投げ与えるのは、道に外れていると言われたのである。

女は言った 『然り、主よ、小狗も主人の食卓よりおつる食屑を食ふなり』

彼女は、自分は神の恩寵を受けるに値しない異邦人の女であることを知っていた。それでも、おこぼれでも良いから恵みに与りたいと願ったのである。

その信仰が主の心を打ち、ゆり動かした、感動させたのである。信仰なくしては神に悦ばるること能はずである。

爰にイエス答へて言ひたまふ 『をんなよ、汝の信仰は大なるかな、願のごとく汝になれ』 娘この時より癒えたり。