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また自ら敬虔を修業せよ。體の修業も聊かは益あれど、敬虔は今の生命と後の生命との約束を保ちて凡ての事に益あり。 テモテ前4:7,8


パウロが若き弟子テモテに贈った言葉である。取りも直さず先輩から信仰の学びの中にある次代を担う人々への進言であると思う。

修業というと、或る人々が行っているように滝に打たれるとか、断食するとかして身を苦しめ、自身を極限に追い込んで活路を見出そうとする姿を連想するが、パウロの目からすれば 「体の修業も聊かは益あれど」 であって、一定の範囲内に止まるものである。

敬虔を修業するとは、精神性の向上とは異なり、そこには神が存在し、神によって救われた者が愈々神を求め、神を愛し、神を知ることに心を尽して行くことであって、現世に留まらず来世に続く信仰によれる無限の修業なのである。

水と霊とを受けて救いを得た私たちは、その恩寵の価値を知り、千分の一でも良いからお返ししたいと心を定め、日々神と偕に歩む生活をすべきである。

パウロはテモテに告げた。
汝これらの事を命じ、かつ教へよ。
なんぢ年若きをもて人に軽んぜらるな、反って言にも、行状にも、愛にも、潔にも、信者の模範となれ、
わが到るまで、読むこと勧むること教ふる事に心を用ひよ。
なんぢ長老たちの按手を受け、預言によりて賜はりたる賜物を等閑にすな。
なんぢ心を傾けて此等のことを専ら務めよ。汝の進歩の明らかならん為なり。
なんぢ己とおのれの教とを慎みて此等のことを怠るな、斯くなして己と聴く者とを救ふべし。
                                              テモテ前4:11~16
敬虔を修業するとは、斯くある事である。