さらば何を食ひ、何を飲み、何を著んとて思ひ煩ふな。是みな異邦人の切に求むる所なり。汝らの天の父は凡てこれらの物の汝らに必要なるを知り給ふなり。
まづ神の國と神の義とを求めよ、然らば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦労は一日にて足れり。 マタイ6:31~34

私の母は、救われる以前は心配性だった。よく言っていた言葉に「今年の餅をついたら、来年のもち米の心配をする」がある。だから積り積もって「母さんみたいに苦労する者はいない」といつも言っていた。

私がイエス様によって救われた後、家族が次々救われたのだが、母を教会に導いていく前の日に、私は妹に「母さんが聖霊を受けたら、あの口癖は言わなくなるよ」と言ったのだが、本当に聖霊を受けた日から母は喜びに満たされて、口癖を言わなくなったのである。そして直に洗礼を受けて救われたのだった。それからは見違えるほどに人柄が変わって、教会に熱心に通い、家ではいつも祈り、近所の人たちや親戚の人たちなどを廻って、会う人毎にイエス様を証し、伝道を続けたのである。

主イエス様は言われた。
凡て労する者・重荷を負う者、われに来たれ、われ汝らを休ません。我は柔和にして心卑(ひく)ければ、わが軛(くびき)を負ひて我に学べ、さらば霊魂(たましひ)に休息(やすみ)を得ん。わが軛は易く、わが荷は軽ければなり。 
マタイ11:28