レタックス daishi 
                                     
過日、島根教会の牧師H先生が召されたとの報をいただいた。暫し厳粛な気持ちになって瞑目した後、異言をもって主に祈った。
告別式に出席はできなかったが、弔電を認めてお送りし、哀悼の意を表した。

嘗て、2001年3月に道央教会の二度目の献堂式が挙行された時、参列された多くの牧師先生方聖徒方の中にH先生がおられた。それに気付いたのは、お祈りの時であった・・・。

250人程の出席者御一同で教会の祝福を異言でお祈りし、その祈りが鎮まった時、お一人の牧師先生の上に御霊が臨み、一きわ声高く霊歌を歌い、預言をされた。目を留めるとH先生であった。
神からのメッセージであると察知したので、即座に私は紙とペンをとって、その言葉を書き記した。

 『教会は祈りの家なり、とこしえに我は守らん』 と。

    「わが家は祈りの家と称へらるべし」 
マタイ21:13

そのこともあって、何が起ろうとも教会は主によって固く守られていると私は信じている。
あの日、主は教会の未来に希望の光を与えるべく御霊の器を送り、預言者として用いてくださったことを感謝している。正に、「預言する者は人に語りて其の得を建て」また「預言する者は教会の徳を建つ」と記されている如くである。 コリント前14:3,4

イエス之御霊教会教団は、キリストの体なる教会である。教会の首はキリストであり、私たちは肢である。皆一体となる為に一つ御霊をにてバプテスマを受けたのである。故に一つの肢が苦しむならば、諸々の肢が共に苦しみ、一つの肢が尊ばれなば、諸々の肢が共に喜ぶのである。
 コリント前12~27参照 
大聖会や献堂式など、教団の行事に集う時、主の御霊によって一体とされていることを強く感じるのである。