兄弟よ、我マケドニヤの諸教会に賜ひたる神の恩恵(めぐみ)を汝らに知らす。即ち患難の大なる試練のうちに彼らの喜悦(よろこび)あふれ、又その甚だしき貧窮(まづしき)は吝(をしみ)なく施す富の溢るるに至れり。  コリント後8:1,2

先日、副牧師が会堂を綿密に点検したところ、庭の植え込みにある門柱や外壁に取り付けられている照明器具に不備が見つかった。会堂建設以来18年経っているので、永年風雪に晒されて劣化したり、接触不良を起こしたり、点灯されなかったり等々。これではいかぬと手直しをしたが、業者の手を借りなければならない破損カ所があったのでお願いし、新品と交換した。

すると、思いもかけぬ所から、現金書留郵便で献金が送られてきたのである。上書きには某県〇〇市と住所、電話番号が書かれているが、お名前は「ハレルヤ」と記されてあった。

開封して見ると、多額の献金に添えて1枚の書状があって、
   大聖会、教会の為に用いられたら感謝です。
                   ハレルヤ
と記されていた。

「汝らの父は求めぬ前に、なんぢらの必要なる物を知りたまふ。」 正にそれであった。

イエス様に大感謝の祈りをした後、副牧師が受取の知らせをせねばと電話でお礼の言葉を申し上げたが、お名前は明かしていただけなかったと言うのである。主が祝福し、善きものを以て報い給うように祈るのである。

一切は主が知り給う。照明器具に寿命が来ていたことも、修理費用が要ることも、献金をさげる事に用いられた方が何方なのかも、全て人知を超えた主より出たことなどで、主は全て知り給う。ハレルヤ!

9 汝らは我らの主イエス・キリストの恩恵を知る。即ち富める者にて在したれど、汝等のために貧しき者となり給へり。これ汝らが彼の貧窮(まづしき)によりて富める者とならん爲なり。

12 人もし志望(こころざし)あらば其の有(も)たぬ所に由るにあらず、其の有つ所に由りて嘉納せらるるなり。

汝らは一切(すべて)に富みて吝なく施すことを得、かくて我らの事により人々、神に感謝するに至るなり。 コリント後9:11