バプテスマのヨハネは語った。

『我は汝らの悔改のために水にてバプテスマを施す。されど我より後にきたる者は、我よりも能力あり、我はその鞋をとるにも足らず、彼は聖靈と火とにてバプテスマを施さん」
 マタイ3:11

この預言が成就するのは、主イエスが我らの罪のために十字架に磔り、死にてのち甦り、天に挙げられて後の五旬節の日であった。

五旬節の日となり、彼らみな一處に集ひ居りしに、烈しき風の吹ききたるごとき響、にはかに天より起りて、その坐する所の家に満ち、また火の如きもの舌のやうに現れ、分れて各人のうへに止まる。彼らみな聖靈にて満され、御靈の宣べしむるままに異邦の言にて語りはじむ。
 使徒2:1~4

時に敬虔なユダヤ人が天下の国々から来てエルサレムに住んでいたが、この音を聞いて来てみると、群衆はおのおの己が國語で使徒たちが神の大なる御業を語るのを聞いたのである。

驚き、惑う彼らにペテロは、ヨエルの預言を引いて「末の世に至りて、我が靈を凡ての人に注がん…」と語り、主イエス・キリストの福音を告げ、更に「イエスは神の右に挙げられ、約束の聖靈を父より受けて汝らの見聞する此のものを注ぎ給ひしなり」と語ったのである。 

「見聞する此のもの」とは何か、聖霊を受けた時に徴として語らされる「異言」の事である。

聖書を読むと、受霊の唯一の徴は「異言」であると明記している。下記の2聖句を見よ。 


ペテロ尚これらの言を語りをる間に、聖霊、御言をきく凡ての者に降りたまふ。ペテロと共に來りし
割礼ある信者は、異邦人にも聖霊の賜物のそそがれしに驚けり。そは彼らが異言をかたり、神を崇むるを聞きたるに因る。 
使徒10:44~46 

パウロ手を彼らの上に按きしとき、聖霊その上に臨みたれば、彼ら異言を語り、かつ預言せり。 
同19:6

聖霊のバプテスマを受ける事はキリストを信ずる者にとって必須条件である。何とならば、「キリストの御霊なき者はキリストに属する者にあらず」 ロマ8:9 である。