ヱホバその寳(たから)の藏(くら)なる天を啓(ひら)き
雨をその時にしたがひて汝の地に降(くだ)し
汝の手の諸(もろもろ)の行為(わざ)に祝福(めぐみ)をたまはん
申命記28:12
私たちの目に見える物と見えない物とが存在する。
天国は肉眼では見えないが、主が霊眼を啓いて下されば見させていただけるものである。
水と霊とをもって救われ、神の子となる特権を与えられた者は、天国は汝の心にありとされ、御国の心地を味わっているのである。
全能の主なる神は、天には無尽蔵の宝が納められた蔵があると言われる。誰のための宝の藏か。神の世継ぎである私たちのためである。
ヤコブは、旅路で石を枕にした夢の中で、天に達する階段を御使いたちが昇り降りするを見た。神はその上に立たれてヤコブと子孫に祝福を与え、その裔ーイエス・キリストーによって天下の人々は幸いを得ると約束された。
ヤコブは目を覚まし、神がこの処にいますに我知らざりきと、此の処は神の殿、天の門なりと言い、翌朝、枕にしていた石を立て柱とし膏をその上に注ぎ、その地の名をベテル(神の家)と名づけ、神に誓って言った。
「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、安らかに父の家に帰らせて下さるなら、主をわたしの神といたしましょう。またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなてにささげます」と。 創世記28:20~22
神はヤコブを祝し、約束し給いしことを一つも欠けることなく成就された。イスラエルの十二支族は彼より出た。彼は多くの牛、羊、駱駝と、僕、婢を持った。ヤコブも神に誓いしことを尽く行った。彼は祖父アブラハムの信仰に倣い、神の前に忠実に歩もうとしたのである。
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