兄弟よ、われは既に捉へたりと思はず、唯この一事を務む、即ち後のものを忘れ、前のものに向ひて励み、標準(めあて)を指して進み、神のキリスト・イエスに由りて上に召したまふ召にかかはる褒美を得んとて之を追い求む。されば我等のうち成人したる者は、みな斯のごとき思を懐くべし。 ピりピ3:13~15

パウロは、先ず救われる以前の己が姿に就いて列挙する。

生後八日目に割礼を受けた、イスラエルの血筋、ベニヤミンの族、へブル人から出たへブル人、律法に就いてはパリサイ人、熱心については教会を迫害した者、律法によれる義については責むべき所なき者であったと言う。典型的な律法主義者であった。

それが故に、イエス・キリストの教えに敵対するを良しとし、クリスチャン迫害の先頭に立った人物であった。

だが、ダマスコにいるクリスチャン迫害の出かけた時、光の中にイエス・キリストの御声を聞き、回心せしめられたのである。アナニヤによってバプテスマを受けるや、百八十度変わってイエス・キリストを宣伝える伝道者となった。そのため昨日の仇は友となり、昨日の友は仇となった。

彼は言う。過去の益たりし事は、キリストにあって損であった、過去の凡てを失ったが、キリストを知った今は塵芥のごとく思うと。

律法の義ではなくして、キリストによる義を得た。イエス・キリストの復活と力とを知り、それに倣って進んで行くのだと指針を得た。

成長するクリスチャンの姿をここに見る。