道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

カテゴリ: 2018-聖言・証



されど我らの國籍は天に在り、我らは主イエス・キリストの救主として其の處より來りたまふを待つ。彼は萬物を己に服はせ得る能力によりて、我らの卑しき状の體を化へて己が榮光の體に象らせ給はん。 ピリピ3:20

『なんぢら心を騒がすな、神を信じ、また我を信ぜよ。わが父の家には住居おほし、然らずば我かねて汝らに告げしならん。われ汝等のために處を備へに往く。もし往きて汝らの為に處を備へば、復きたりて汝らを我がもとに迎へん、わが居るところに汝らも居らん爲なり。汝らは我が往くところに至る道を知る』
トマス言ふ『主よ,何處へゆき給ふかを知らず、争(いか)でその道を知らんや』
イエス彼に言ひ給ふ『我は道なり、真理なり、生命なり、我に由らでは誰にても父の御許にいたる者なし』

ヨハネ14:1~6

先週、一人の愛する兄弟が天に召された。今日は聖言を記すに止め、証詞は後日に譲ろうと思う。  




大によばはりて聲ををしむなかれ 汝のこゑをラッパのごとくあげ わが民にその愆(とが)をつげヤコブの家にその罪をつげしめせ イザヤ58:1
 
なんぢ御言を宣傳へよ、機を得るも機を得ざるも常に励め。 テモテ後4:2


先日、中学・高校時の同期会があり、案内を戴いたので出席した。

札幌第二中学校(旧制)では五年間学び、高校三年となった。(その辺りの事は、「御霊の声」に記してある。)

同校には、札幌二中・札幌二高・札幌西高・定時制を含めた同窓会があるが、一方、同期会は旧友との交流の場所であり、昔日を思いだしながら、人それぞれに長い人生を歩んできて、積み上げられた大きな物を持っておられると感銘し、互いに気遣い温めあう変わらぬ友情を感じて一服の清涼剤を飲んだような心地がしたのである。

出欠はがきに、「ちょっと一言」という欄があり、近況を書くようになっていたので、胆振東部地震の直後に当地で大聖会が開かれ、多忙だったと証を記入したが、嘗ての紅顔の少年達も今は米寿を迎え、老春を謳歌する元気な方あり、一方、ご自身またはご家族に病の方あり、それぞれの思いを包まずに記してあった。

開催当日は記念撮影から始まって、配布されたプログラムに從ってスピーチや余興など幹事さんの巧みな司会により粛々と二時間に亘り進行し、最後は皆さん互いの健康と幸せを願って「万歳三唱」で終わったが、「ハレルヤ!」と叫びたい気分であった。

この度はこういうことで外出と相成ったが、福音を証するためには、家に留まっていてはならない。外に出ることだと思う。人に接し、何らかの接点を得る必要がある。お互いに心の琴線に触れあう所から始めれば良いのかなと思う。そこから「ハレルヤ」が始まり、救いに進むのだと思う。何事も主と偕に進もうと祈りつゝ。ハレルヤ!






バプテスマのヨハネは語った。

『我は汝らの悔改のために水にてバプテスマを施す。されど我より後にきたる者は、我よりも能力あり、我はその鞋をとるにも足らず、彼は聖靈と火とにてバプテスマを施さん」
 マタイ3:11

この預言が成就するのは、主イエスが我らの罪のために十字架に磔り、死にてのち甦り、天に挙げられて後の五旬節の日であった。

五旬節の日となり、彼らみな一處に集ひ居りしに、烈しき風の吹ききたるごとき響、にはかに天より起りて、その坐する所の家に満ち、また火の如きもの舌のやうに現れ、分れて各人のうへに止まる。彼らみな聖靈にて満され、御靈の宣べしむるままに異邦の言にて語りはじむ。
 使徒2:1~4

時に敬虔なユダヤ人が天下の国々から来てエルサレムに住んでいたが、この音を聞いて来てみると、群衆はおのおの己が國語で使徒たちが神の大なる御業を語るのを聞いたのである。

驚き、惑う彼らにペテロは、ヨエルの預言を引いて「末の世に至りて、我が靈を凡ての人に注がん…」と語り、主イエス・キリストの福音を告げ、更に「イエスは神の右に挙げられ、約束の聖靈を父より受けて汝らの見聞する此のものを注ぎ給ひしなり」と語ったのである。 

「見聞する此のもの」とは何か、聖霊を受けた時に徴として語らされる「異言」の事である。

聖書を読むと、受霊の唯一の徴は「異言」であると明記している。下記の2聖句を見よ。 


ペテロ尚これらの言を語りをる間に、聖霊、御言をきく凡ての者に降りたまふ。ペテロと共に來りし
割礼ある信者は、異邦人にも聖霊の賜物のそそがれしに驚けり。そは彼らが異言をかたり、神を崇むるを聞きたるに因る。 
使徒10:44~46 

パウロ手を彼らの上に按きしとき、聖霊その上に臨みたれば、彼ら異言を語り、かつ預言せり。 
同19:6

聖霊のバプテスマを受ける事はキリストを信ずる者にとって必須条件である。何とならば、「キリストの御霊なき者はキリストに属する者にあらず」 ロマ8:9 である。

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共に食事の席に著きたまふ時、パンを取りて祝し、擘(さ)きて與へ給へば、彼らの目開けてイエスなるを認む、而してイエス見えずなり給ふ。かれら互に言ふ『途にて我らと語り我らに聖書を説明し給へるとき、我らの心、内に燃えしならずや』  ルカ24:30~34

主イエス・キリストが復活された一週の初の日に、主の御使いが先ずマグダラのマリヤに現れ、次いで他の女たちに現れて主の甦り給いしことを告げ、その後主御自身がマグダラのマリヤに現れ給うた。

その日の午後、主はエマオ途上で、主の甦りのことを訝しげに語り合いつつ歩む二人の弟子に近づき現れ給うた。然し彼らの目は遮られてイエスたるを認めることができなかった。

主が彼らに「歩みつつ互に何を語りあっているのか」と尋ねられた時、返答は「主が復活されたと聞いたが信じられない」という言葉であった。この二人に対して主は歩きつつ聖書の預言を挙げて懇懇と説き示し給うたのである。

遂にエマオに着き、留らんとして、食事の席についた時、主がパンを取って祝し、擘きて与え給うと、瞬時に彼らの目が開かれ、単に旅の道連れと思っていた人が、さにはあらず主イエス・キリストであった事実を見せられたのである。

私たちも主の聖餐に与ることによって主イエス・キリストに触れ、より深く主を知り、福音の奥義を悟らされるのである。

そこで二人はエルサレムへ急遽帰りみれば、十一弟子や共なる人々が「主は実に甦り、シモンに現れられた」と喜びの真っ最中。二人も証して今道にてありし事柄と、パンを擘き給うによりてイエスを認めし事とを述べた。

そこに主イエスが忽然として現れ、すっくと中に立ち「平安なんぢらにあれ」と言い給うた。

霊をみているのではないかと恐れる弟子たちに、主は「我が手わが足を見よ、これ我なり。我を撫でて見よ、靈には肉と骨となし、我にはあり、汝らの見るごとし」と言われたのである。

歓喜と驚愕と不信に包まれた弟子たちを前にして、主は炙りたる魚一切れを食し給うたのである。

何と不思議な主のお体であろうか。これこそ、永遠に活きる「榮光體」である。

パウロは、コリント前書15章35節以下に記して斯く述べた。即ち「死人いかにして甦るべきか、如何なる體をもて來るべきか」と問い、「死人の甦りもまた斯くのごとし。朽つる物にて播かれ、朽ちぬものに甦へらせられ、卑しき物にて播かれ、光榮あるものに甦へらせられ、弱きものにて播かれ、強きものに甦えらせられ、血気の體にて播かれ、靈の體に甦へらせられん。血気の體ある如く、また靈の體あり」と。

我ら水と霊のバプテスマをうけた者は、主と同じく、甦りの日には、血気の體ではなく、靈の體に甦えらせられるのである。 感謝すべきかな、ハレルヤ

されど我らの国籍は天に在り、我らは主イエス・キリストの救主として其の處より來りたまふを待つ。彼は萬物を己に服はせ得る能力によりて、我らの卑しき状の體を化へて己が榮光の體に象らせ給はん 
ピリピ3:20,21


また處々に飢饉と地震とあらん、
    これ等はみな産婦の苦難の始めなり。

                                         マタイ24:8

グラグラグラと大きな揺れを感じて目が覚めた。
アー、地震だ!!
どうなることか・・・・・、
寝たまま身を任せる。

ようやく鎮まったのを見計らったのち、起き上がる。
気付くと停電用のオレンジ色の電球が点灯している。
時計を見る。9月6日 午前3時10分頃(正確には午前3時8分)。
家族みんな廊下(広いのでホール)に出て、無事を確かめ合う。

ザーッと見渡して被害がないかどうかを見る。
ある、ある、有った。
リビングには、食器棚からグラスや湯呑み茶碗が落ちて割れ、
私の部屋では、箪笥の飾り棚や本棚の中で写真やCDなどが倒れている。

片付けは、翌朝明るくなってから始めた。大層なことは無かったが、
被害は鐘突堂のタイルが一部剥がれているのが判明したので、
業者に修理を依頼した。(後日フォークリフトを持ってきて修理作業を終えた。)

副牧師たちがメールで信者さん方に連絡を取り、全員の無事を確認した。

この停電の為、テレビは付かず、ネットは繋がらず、
情報らしきものは入らずにいた。
有りがたかったのは水道から水が出、ガスが使えたこと。
それで、食事も温かな物をおいしく頂いた。
地震発生から40時間経った7日の夕刻、漸く電気が復旧され、
明るさが甦り、電灯が灯いた。
 
溜まっていた情報が一気に入ってきた。
北電最大の出力165万Kwを持つ厚真火力発電所が被害に遭い、
連鎖的に他の発電所の機能が阻害され、
北海道全域に亘って298万戸もの大規模停電に至ったという。
一つの島である北海道!出来得る限り自給自足をせねばならない環境に在る。

この地震の為に被害に遭われた方が多くおられる。
震源地の厚真町では、直下型地震のため、山が崩れ、地滑りが起きて、
家ごと押し流されて、多くの方々が亡くなられた。
田畑を失った方も多くおられる。復旧には時間がかかりそうだ。

札幌でも液状化現象が起きて住めなくなった家がある。

厳しい冬の到来を前にして、どのようにして過ごしておられるのかと思うと心が痛む。

 
          ~北海道胆振東部地震から1カ月を経て~  2018,10,8



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『かく録されたり、キリストは苦難を受けて、三日めに死人の中より甦へり、且その名によりて罪の赦を得さする悔改はエルサレムより始まりて、もろもろの國人に宣傳へらるべしと。汝らは此等のことの證人なり。視よ、我は父の約し給へるものを、汝らに贈る、汝ら上より能力を著せらるるまでは都に留れ』 ルカ24:46~49

『エルサレムを離れずして、我より聞きし父の約束を待て、ヨハネは水にてバプテスマを施ししが、汝らは日ならずして聖靈にてバプテスマを施されん』  
使徒行伝1:4,5

『聖靈をうけよ』とは、主の御命令である。 ヨハネ20:23

使徒たちは、主の御言葉に從ってエルサレムに入り、留まりをる高楼に登り、心を一つにして只管いのりを務めいた。

そしてペンテコステの日がやって来た。


五旬節の日となり、彼らみな一處に集ひ居りしに、烈しき風の吹ききたるごとき響、にはかに天より起りて、その坐する所の家に満ち、また火の如きもの舌のやうに現れ、分れて各人のうへに止まる。彼らみな聖靈にて満たされ、御靈の宣べしむるままに異邦(ことくに)の言にて語りはじむ。 使徒行伝2:1~4

主イエス様が斯く言い給い、聖書に斯く記された聖霊を私たちは戴いた。

受霊の徴として異言を語らされるのである。私たちが神の御前に身を低くし、ハレルヤ、ハレルヤと誉め称え、心の中で「聖靈を与えて下さい」と切に願い、祈り求めるならば、主はいとも優しく御霊を注ぎ満たしてくださるのである。

また受霊後の異言の祈りは、御霊による執成しの祈りであって、何事を願うにも異言をもって祈るならば、主はその祈りに聞き応えてくださるとロマ書8:26,27に記されているのである。

我は靈をもて祈り、また心をもて祈らん。我は靈をもて謳いひ、また心をもて謳はん。 コリント前14:15

神は靈なれば、拝する者も靈と眞とをもて拝すべきなり』との主の聖言はここに成就する。
 ヨハネ4:24

主の御前に来たり、父の約し給いし聖霊を戴き、そして正しき洗礼、即ち、主イエス・キリストの御名によるバプテスマ(浸礼)を受けて、全き救いに与ろうではないか。





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                        世界ふれあいひろば2018  JICA北海道


「道央イエス之御霊教会~教会だより」を OCNブログ人で始めたのは、2008年のことでした。

OCNのサービス終了に伴い、2014年9月に Livedoor に移転して、
「道央イエス之御霊教会ブログ」 と改題して今日に至りました。 合わせて10年経ちました。

時間と言うものは、「主の御前には1日は千年の如く、千年は一日のごとし」とペテロ後3:9とあるように、神様が私たちに与えてくださった大切な物だと思います。

この間、ほぼ毎週、記事を更新してまいりました。公開した記事数は如何ほどになりましょうか。

ブログは、自分自身の分身のようなもので、「投稿」のボタンを押す度ごとに子どもを世に送り出すような気持ちが致します。

多くの皆様方が訪問してくださいましたことを感謝しております。

10年間という足跡を刻んできたところで、一区切りが付いたと思いますが、反面、主が導かれるならば、もう少し進んでみようかなという気持もあります・・・。

アクセルを踏んだり、ブレーキをかけだりと、悲喜こもごものブログですが、お付き合いいただければ幸いです。

ここまで歩んで来れたことを主イエス様に感謝致します。

 ハレルヤ!                      管理人 
    2018.9, 28
                                

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