道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

カテゴリ: 2009-聖言

 会堂のエアコンを冷房機から冷暖房機に替えました。床暖房と併用して速やかに且つ至極暖かくなりました。主がその必要を満たしてくださり大感謝!

● マタイ傳:第6章33節

まづ神の國と神の義とを求めよ、然らば凡てこれらの物は加へらるべし。

◎ 2009年最後の安息日礼拝に際し,神の恵みの豊なる年なりしを感謝する。

● ネヘミヤ記:第8章10節(下半句) =《道央イエス之御霊教会講壇の聖言》=

此日は我らの主の聖日なり汝ら憂ふることをせざれ ヱホバを喜ぶ事は汝らの力なるぞかし

● コリント前書:第15章1~11節

わが傳へし福音を更に復なんぢらに示す。汝らは之を受け、之に頼りて立ちたり。

● ロマ書:第8章3~17節

己の子を罪ある肉の形にて罪のために遣し、肉に於て罪を定め給へり、これ肉に従わず、霊に従ひて歩む我らの中に律法(おきて)の義の完うせられん爲なり。(4節) =十字架の意義=                                    

● ロマ書:第7章14~25節

ああわれ悩める人なるかな、此の死の體より我を救わん者は誰ぞ、我らの主イエス・キリストに頼りて神に感謝す、(24節)  =贖主(あがないぬし)の恵みに感謝する=

聖餐式

● マタイ傳:第26章17~30節

クリスマス

● イザヤ書:第9章6,7節 

ひとりの嬰児(みどりご)われらのために生まれたり 我儕(われら)はひとりの子をあたへられたり

● イザヤ書:第7章14節

視よをとめ孕(はら)みて子をうまん その名をインマヌエルと稱(とな)ふべし

● マタイ傳:第1章18節~2章23節

● ルカ傳:第2章(全章)

聖餐式

イザヤ書:第53章(全章)  ● コリント前章:第11章23~26節

愛餐会

● ヨハネ傳:第17章2~3節

汝より賜はりし凡ての者に、永遠の生命を與へしめんとて、萬民を治むる權威を子に賜ひたればなり。 永遠の生命は、唯一の眞の神に在す汝と汝の遣し給ひしイエス・キリストとを知るにあり。

●  箴言:第16章9節

人は心におのれの途(みち)を考へはかる されどその歩履(歩み)を導くものはヱホバなり

● ヱレミヤ記:第10章23節

ヱホバよわれ知る人の途は自己によらず且歩行む人は自らその歩履を定むること能はざるなり

聖餐式

● コリント前書:第5章7,8節 ● 同書:第10章16,17節 ● 同書:第11章23~26節

テモテ後書:第4章2節(上半句)

なんぢ御言を宣傅へよ、機を得るも機を得ざるも常に励め、

● テモテ前書:第2章1~4節

然れば、われ第一に勸む、凡ての人のため、王たち及び凡て權を有つものの爲におのおの願、祈祷(いのり)、とりなし、感謝せよ。(1節)

神は凡ての人の救はれて、眞理を悟るに至らんことを欲し給ふ。(4節)

● 創世記:第18章16~33節  <アブラハムの執り成しとロトの救い>

● ペテロ後書:第3章8~13 節

ただ一人の亡ぶるをも望み給はず、凡ての人の悔い改めに至らんことを望みて、汝らを永く忍び給ふなり。 (9節)

聖餐式

● ペテロ前書:第2章21~25節

木の上に懸りて、みずから我らの罪を己が身に負ひ給へり。 これ我らが罪に就きて死に、義に就きて生きん爲なり。 汝らは彼の傷によりて癒されたり。

エペソ書:第1章3節~5節 

世の創の前より我等をキリストの中に選び、(4節下半句)

● ピリピ書:第1章8節

その證をなし給ふ者は神なり。(下半句)

● マルコ傳:第5章21~42節

『娘よ、なんぢの信仰なんぢを救へり、安らかに往け、病いえて健かになれ』

● マタイ傳:第8章5~13節

『ただ御言のみを賜へ、さらば我が僕はいえん』・・・『ゆけ、汝の信ずるごとく汝になれ』

● ルカ傳:第17章5~6節

使徒たち主に言ふ 『われらの信仰を增したまへ』 主いひ給ふ 『もし芥種一粒ほどの信仰あらば、此の桑の樹に 「抜けて、海に植れ」 と言ふとも汝らにふべし。

● ヘブル書:第12章1~3節

信仰の導師また之を全うする者なるイエスを仰ぎ見るべし。

聖餐式

● イザヤ書:第63章16節

汝はわれらの父なり アブラハムわれらを知ず イスラエルわれらを認めず されどヱホバよ汝はわれらの父なり 上古(いにしへ)よりなんぢの名(みな)をわれらの贖主(あがなひぬし)といへり

● エペソ書:第4章1~32節

されど汝らは斯の如くならん爲にキリストを學べるにあらず。 汝らは彼に聞き、彼に在りてイエスにある眞理に循ひて教へられしならん。

● コリント前書:第10章1~13節                                           

みな雲と海とにてバプテスマを受けてモーセにつけり。 而して皆おなじく靈なる食物を食し。みな同じく靈なる飲物を飲めり。 これ彼らに随ひし靈なる岩より飲みたるなり、その岩は即ちキリストなりき。 (2~3節)

汝らが遭ひし試煉は人の常ならぬはなし。 神は眞實なれば、汝らを耐へ忍ぶこと能はぬほどの試煉に遭はせ給はず。 汝らが試煉を耐へ忍ぶことを得んために、之と共に遁るべき道を備へ給はん。 (13節)

聖餐式

● ルカ傳:第22章1~23節

● コリント後書:第5章17節

人もしキリストに在らば新に造られたる者なり、古きは既に過去り、視よ新しくなりたり。

● 申命記:第10章12~13節

今汝の神ヱホバの汝に要(もと)め給ふ事は何ぞや 唯是のみ 即ち汝がその神ヱホバを畏れ その一切の道に歩み 之を愛し心を盡し精神を盡して汝の神ヱホバに事へ 又我が今日汝らに命ずるヱホバの誡命(いましめ)と法度(のり)とを守りて身に福祉(さいはひ)を得るの事のみ 

● ヨハネ傳:第13章34~35節

われ新しき誡命を汝らに與ふ、なんぢら相愛すべし。 わが汝らを愛せしごとく、汝らも相愛すべし。 互いに相愛する事をせば、之によりて人みな汝らの我が弟子たるを知らん

● ルカ傳:第10章25~37節

或るサマリや人、旅して其の許にきたり、之を見て憫み、近寄りて油と葡萄酒とを注ぎ傷を包みて己が畜(けもの)にのせ、旅舎(はたごや)に連れゆきて介抱し、・・・・・

   油=聖霊  葡萄酒=御血  旅舎=教会

聖餐式

● ヨハネ傳:第6章47~59節

イエス言ひ給ふ 『まことに誠に、なんぢらに告ぐ、人の子の肉を食らはず、そんの血を飲まずば、汝らに生命なし。

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