道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

カテゴリ: 2009-聖言

● 詩篇:第133編1節 

視よ はらから相睦(あひむつみ)てともにをるはいかに善(よく)いかに樂きかな

● 箴言19章:第21節  

人の心には多くの計畫(かんがへ)あり されど唯ヱホバの旨のみ立べし

● 詩篇:第50編1~2節

かみは美麗(うるはしき)の極(きはみ)なるシオンより光をはなちたまへり

● 詩篇:第16編5~6節

準縄(はかりなは)はわがために樂しき地におちたり 宜(うべ)われよき嗣業(ゆづり)をえたるかな

聖餐式

● 詩篇:第49編6~9節

おのが富をたのみ財(たから)おほきを誇るもの たれ一人おのが兄弟(はらから)をあがなふことあたはず 之がために贖價(あがなひしろ)を神にさゝげ 之をとこしへに生存(いきながら)へしめて朽ざらしむることあたはず(靈魂(たましひ)をあがなふには費(つひえ)いとおほくして此事をとこしへに捨置ざるを得ざればなり)

● ピリピ書:第4章6~7節 ・13節

何事をも思ひ煩ふな、ただ事ごとに祈をなし、願をなし、感謝して汝らの求を神に告げよ。 さらば凡て人の思にすぐる神の平安は汝らの心と思とをキリスト・イエスによりて守らん。 我を強くし給ふ者によりて、凡ての事をなし得るなり。

● 詩篇:第119編14節

我もろもろの財貨(たから)をよろこぶごとくに 汝のあかしの道をよろこべり

● イザヤ書:第60章1節  

起きよひかりを發て なんぢの光きたり ヱホバの榮光なんぢの上に照出たればなり           

聖餐式

● コリント前書:第11章23~26節

  霊讃歌109番4節

● ロマ書:第8章27節下半句

また 御靈は神の御意に適ひて聖徒のために執成し給へばなり。

● マタイ傳:第7章1~5節

なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり。 己がさばく審判にて己もさばかれ、己がはかる量にて己も量らるべし。

聖餐式

● コリント前書:第5章6~8節  同書:第10章14~17節  同書:第11章23~26節

● マルコ傳:第16章15節~19節

全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣傳へよ。

弟子たち出でて, 遍く福音を宣傳へ、主も亦ともに働き、伴ふところの徴をもて、御言を確うし給へり。

● コリント後書:第4章3~13節

光,暗(やみ)より照り出でよと宣ひし神は、イエス・キリストの顔にある神の栄光を知る知識を輝かしめんために我らの心を照らし給へるなり。

聖餐式

● ルカ傳:第22章7~23節

● 傳道之書:第3章1~15節

天が下の萬の事には期あり 萬の事務には時あり・・・・・語るに時あり・・・・・神の爲したもふところは皆その時に適ひて美麗しかり・・・・・

● マタイ傳:第9章16~17節

また新しき葡萄酒をふるき革嚢に入るることは爲じ。 もし然せば嚢はりさけ、酒ほどばしり出でて、嚢もまた廢たらん。 新しき葡萄酒は新しき革嚢にいれ、斯て兩ながら保つなり』

● ヨハネ傳:第6章60~69節

シモン・ペテロ答ふ 『 主よ、われら誰にゆかん、永遠の生命(いのち)の言は汝にあり。又われらは信じ、かつ知る、なんぢは神の聖者(しょうじゃ)なり 』                                          

聖餐式

● コリント前書:第5章6~8節  同書:第10章16~17節  同書:第11章23~26節

● 使徒行伝:8章31節

『導く者なくば、いかで悟り得ん』

● 出エジプト記: 第34章22~24節

年に三回汝の男子みな主ヱホバ、イスラエルの神の前に出べし

参照 = 出エジプト記: 第23章14~17節

聖餐式

● コリント前書:第11章23~26節

● 詩篇:第121編1~8節     -S姉宅、近隣の火災から守られ、感謝の証に思う-

ヱホバはなんぢを守りてもろもろの禍害(わざはひ)をまぬかれしめ 並(また)なんぢの靈魂(たましひ)をまもりたまはん 

● ダニエル書:第3章24~27節

此人々の身は火もこれを害する力なかりき またその頭の髪は燥(や)けずその衣裳(きもの)は傷ねず 火の臭氣(におい)もこれに付ざりき (27節中程から)

● イザヤ書:第43章1~2節

なんぢ水中をすぐるときは我ともにあらん 河のなかを過るときは水なんぢの上にあふれじ なんぢ火中をゆくとき焚るゝことなく火焔(ほのほ)もまた燃つかじ

● ヨハネ傳:第9章1~41節  =盲目(めしひ)の癒し=

弟子たち問ひて言ふ『ラビ、此の人の盲目にて生まれしは、誰の罪によるぞ、己のか、親のか』 イエス答へ給ふ『この人の罪にも親の罪にもあらず、ただ彼の上に神の業の顕れん為なり』(2,3節) ・・・・・・『ただ一つの事を知る、即ち我さきに盲目たりしが、今見ゆることを得たる是なり』(25節) ・・・・・・『なんぢ彼を見たり、汝と語る者は夫(それ)なり』(37節)

聖餐式

● コリント前書:第11章23~26節

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