道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

カテゴリ: 2014-聖言・証

                          ななかまど

ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め』 乃ち右の手を執りて起ししに、足の甲と踝骨(くるぶし)とたちどころに強くなりて、躍り立ち、歩み出して、且あゆみ且をどり、神を讃美しつゝ彼らと共に宮に入れり。 -使徒行伝3:6~8-

斯てその御名を信ずるに因りてその御名は、汝らの見るところ識るところの此の人を健(つよ)くしたり。イエスによる信仰は汝等もろもろの前にて斯る全癒を得させたり。 -16節-

エルサレムの美麗(うつくし)の門に、生まれつき足の不自由な人がかかれて来て、宮に入る人々より施しを乞うていた。彼には最早、健常者のように働く意欲はなく、日々施しを乞う以外に食を得る手段はないと思っていた。

それがである。彼の前に突然現れた二人の人=ペテロとヨハネ=が、彼に目を注(と)めて、『我らを見よ』と言ったのである。何を呉れるのかと、二人を見つめた時に、ペテロが語ったのが。『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め』であった。

何という神の大なる愛と、圧倒的な能力がこの人の上に注がれたことであろうか。恐らくこの時、宮に集まった人たちの中で彼は一番困窮していた人で、救いを必要としていた人ではなかろうか? 慈愛の神はこの人に目をとめられた。その神の思いがペテロに伝わり、声をかけたのである。

この人が癒され狂喜する様を見て驚嘆した人々が馳せ集ってきた。ペテロはその人たちに向かい、ここぞ!とばかりに、イエス・キリストの福音を語ったのである。

その場に居合わせた多くの人々は、イエス・キリストを十字架につけることに組した人たちであった。それが間違いであることをペテロは説き、悔改めて神より祝福を受けべきだと宣伝えたのである。これを聞いて主を信じた者は男の数5000人となった。

二人は主イエスの御名の故に捕えられるが、翌日、大祭司の面前で福音を語る機会が与えられ、ペテロは聖霊に満たされて大胆に主イエス・キリストを証したのである。

一人の名もなき人に語ったことから始まって、大いなる奇跡が行われ、多くの人が主を信じ、福音が天地を揺るがす程、一挙に宣伝えられるなど、誰が予想したであろう。正に神の一人舞台である。我らもまた斯く主の御用に用いられたいと願うのだ。

他の者によりては救を得ることなし、天の下には我らの頼りて救はるべき他の名を、人に賜ひし事なければなり。 -4:12-

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   お知らせ   FC2ブログ「御霊の声」に、証-41 会堂建設 を載せました。


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汝の糧食(くいもの)を水の上に投げよ 多くの日の後に汝ふたゝび之を得ん -伝道之書11:1-

風を伺う者は種播くことを得ず 雲を望む者は刈ることを得ず -4節-

汝朝(あした)に種を播け 夕べにも手を歇(やすむ)るなかれ 其はその實る者の此れなるか彼なるか又は二者(ふたつ)ともに美(よく)なるや 汝これを知らざればなり -6節-

伝道之書11章には、種蒔きのことが記されている。

私たちにとって福音の種播きをすることは大切なこと。私たちが今日救われているとするならば、それは他の誰かが福音を伝えてくれたからである。同じように次の人に福音を伝える役割が私たちにはある。

今日の写真は、セダム。教会の庭に生えている多肉草である。

どこからか知らぬうちに胞子が風に運ばれてきて、庭に根付いて殖え広がった。雑草の居場所がない程、ただいま増殖中! 小さな植物ではあるが、その生命力は計り知れない。

イエス・キリストの福音は、死より復活する永遠の生命である。「水と霊」という形で、この福音は私たちに託された。次の人が救われるように福音を伝えよう。

若きA先生が、道央教会で行っている小樽港でのロシア人伝道を体験しようと遥々遠方からやって来られた。開拓伝道をしてみて、矢張り結論として必要なことは、「水と霊」の福音を宣伝えることが第1義だと思い、積極的に伝道をしている教会を訪ねて、実際にどのように伝道を行っているのか見て、知って、味わいたいと思われてのことであった。

当日は、生憎と救われる選びの民はおらず、空振りに終わったが、その夜の集会でA先生は、得るところが多かったと語られ、翌日喜んで帰って行かれた。

また言ひたまふ『神の國は、或人、たねを地に播くが如し、日夜起臥しするほどに、種はえ出でて育てども、その故をしらず。地はおのづから實を結ぶものにして、初めには苗、つぎに穂、ついに穂の中に充ち足れる穀なる。實、熟れば直ちに鎌を入る、収穫時(かりいれどき)の到れるなり』
 -マルコ4:26~29-

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なんじらの中たれか百匹の羊を有(も)たんに、若しその一匹を失はば、九十九匹を野におき、往きて失せたる者を見出すまでは尋ねざらんや。遂に見出さば、喜びて之を己が肩にかけ、家に帰りて其の友と隣人とを呼び集めて言はん「我とともに喜べ、失せたる我が羊を見いだせり」 -ルカ15:3~6-

暫く消息が分からず、案じていた兄弟姉妹のご一家が、一枚の記録票を頼りに探していくうちに見つかり、教会に来られるとの返事を戴いた。

主イエス様は、一匹の羊を探し求めておられる。先に救われた私たちもまた、主と偕に羊を尋ね求めて行くのが、主の御意である。

今週は、中学生の姉妹が、同じ学年の生徒を二人教会に導き、水と霊のバプテスマが為されて救われた。親の手に頼らず地下鉄に乗って連れてきた。近くもう一人を導いて来るという嬉しい証である。。

今日は、礼拝のあと、一人の姉妹が親戚の人のために、身代わり洗礼を受けた。

失われた霊魂(たましい)が、こうして一人々々救われてくるのは幸いである。

まことに誠に汝らに告ぐ、我は羊の門なり。すべて我より前(さき)に來りし者は、盗人なり、強盗なり、羊は之に聴かざりき。我は門なり、おほよそ我によりて入る者は救はれ、かつ出入りをなし、草を得べし。・・・わが来たるは羊に生命(いのち)を得しめ、かつ豊かに得しめん爲なり。 
-ヨハネ10:7~10-

            ぶどう a

人々その教えに驚きあへり。その言(ことば)権威ありたるに因る。・・・これ如何なる言ぞ、権威と能力(ちから)とをもて命ずれば、穢れし悪鬼すら出で去る。 -ルカ:7:31~37-

ヨハネによってバプテスマを受けた主イエス・キリストは、聖霊に満たされ、御霊の能力をもて伝道を開始された。主の教えは、学者のごとくではなく、権威ある者のごとく語られ、神の御業が為されたのである。 そして主は弟子たちを世に遣わして伝道を為さしめ、主イエス・キリストの御名の持つ力を顕わし給うた。

七十人よろこび帰りて言ふ『主よ、汝の名によりて悪鬼すら我らに服す』 イエス彼らに言ひ給ふ『われ天より閃く電光(いなづま)のごとくサタンの落ちしを見たり。 視よ、われ汝らに蛇・蠍(さそり)を踏み、仇の凡ての力を抑ふる権威を授けたれば、汝らを害ふもの絶えてなからん。然れど霊の汝らに服するを喜ぶな、汝らの名の天に録されたるを喜べ』 -ルカ10:17~20-

更に主は、昇天に際して、『我は天に手も地にても一切の権を與へられたり。然ればなんじら往きて、もろもろの國人を弟子となし、父と子と聖霊との名によりてバプテスマを施し、わが汝らに命ぜし凡ての事を守るべきを教へよ。視よ、我は世の終まで常に汝らと偕に在るなり』-マタイ26:18~20- と言い給うた。

使徒たちは、主のご命令に従って福音を宣伝えた。主は御霊となって彼らの内に住み給い、彼らは皆御霊に満たされ、権威と能力を与えられて怖れることなく福音を語って行ったのである。

末の世の今日、主は日本にイエス之御霊教団教会を興して、初代キリスト教会と等しく権威と能力を与え、「水と霊」の真の全き福音を宣伝えることを委ねられておられるのである。この使命の故に感謝する!

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先週の台風18号に続き、今週も台風19号が日本列島を襲うとの報道。各地の諸教会の安否は如何にと思い、祈らされることです。主が守り給うように!  
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  お知らせ 御霊の声に 証ー40「母の預言」を載せました。
           http://dooh-imk.info より

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兄弟よ、召を蒙れる汝らを見よ。肉によれる智き者おほからず、能力(ちから)ある者おほからず、貴きもの多からず。されど神は智き者を辱しめんとて世の愚かな者を選び、強き者を辱しめんとて弱き者を選び、有る者を亡さんとて世の卑しきもの、輕んぜらるる者、すなはち無きが如き者を選び給へり。これ神の前に人の誇る事なからん爲なり。汝らは神に頼りてキリスト・イエスに在りて、彼は神に立てられて汝らの智慧と義と聖と救贖(あがなひ)とに爲り給へり。これ『誇る者は主に頼りて誇るべし』と録されたる如くならん爲なり。 -コリント前1:26~31-

士師記の6~8章にギデオンの事が記されている。
ミデアン人を怖れて酒榨(さかぶね)の中で麦を打っていたギデオンに神の使いが現れて「剛勇丈夫(ますらたけを)よ」と呼びかけ、「汝この汝の力をもて行き ミデアン人の手よりイスラエルを拯ひいだすべし 我汝を遣すにあらずや」と言われた。

彼は「わが家はマナセのうちの最も弱きもの 我はわが家の最も卑賤(いやしき)ものなり」と答えたが、主は「我かならず汝とともに在ん汝は一人を撃つがごとくにミデアン人を撃つことを得ん」と約束し給うた。

ギデオンは、彼と語るお方が神である証拠を幾つもの徴をもって示して戴いたのである。人は弱い者であって、明確に神の業を見せて頂かなければ、信じようとしないものである。その徴の一つに、羊の毛を禾場(うちば)に置き、これのみ夜露に濡れて、地面が乾いているならば徴としようと言ったところ、果たしてそうなった。では、次の日には羊の毛は乾いていて、地面が濡れていたら徴としようと言ったら、これもそうなった。こうして彼は確信を持たせて戴いたのである。

ギデオンの許に集まった民は3万2千人であった。主なる神は言われた。民の数は多すぎる。恐らくは民は神に向かって誇り、我らの手によって勝利したのだと言うだろう。だから命の惜しい者は帰り去らせよと。2万2千人が帰り、残ったのは1万人であった。

神はまたギデオンに言われた。民の数はまだ多い、水辺に連れて行き水を飲ませよ。膝を折って水を飲む者は帰し、手を口に当てゝ犬のように水を舐める者を別けよと。その数は300人であった。我ら真のキリスト者も神の篩に掛けられた選民である。

こうして神に選ばれた勇者は3組に分けられ、手に手にラッパと、燈火の入った空壜(からつぼ)を持って敵の陣営を襲い、ラッパを吹き、空壜を割って燈火を掲げ、「此れエホバのためなり ギデオンのためなり」と叫んで攻め入った。この戦いの結果、ミデアン人の軍勢は逃げ走り、イスラエルの人々は大勝利を得たのである。

「神もし我らの味方ならば、誰か我らに敵せんや」である。我らの主なる神は、「疲れたる者には、力をあたえ、勢いなきものには強きをまし加え給う」お方である。-ロマ8:31-、-イザヤ40:29-

我らの福音のための戦いは激しい。世との戦い、肉との戦い、妨げる者との戦い、敵サタンとの戦い、そのどれにも勝利しなければならない。主の御名のために!

もろもろの國に宣つたへよ 戦争の準備を為し 勇士をはげまし 軍人をことごとくちかより來らしめよ  汝等の鋤を剣に打かへ 汝らの鎌を槍に打かへよ 弱き者も我は強しと言へ 周囲の國々の民よ 汝ら急ぎ上りて集まれ エホバの勇士を彼処に降したまへ -ヨエル3:9~11-

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然れど聖霊なんぢらの上に臨むとき、汝ら能力(ちから)をうけん、而してエルサレム、ユダヤ全國、サマリヤ、及び地の極(はて)にまで我が証人とならん -使徒行伝1:8-

聖霊を受ける以前の使徒たちの様は、どうであったかとみるに、主イエス・キリストに見いだされ、「我に從ひきたれ、然らば汝らを人を漁る者となさん」との御声を聴き、従い歩んできたが、まだ信仰に乏しく、能力に欠け、御旨を悟らず、しばしば主を嘆かけさせる者たちであった。 主に従い歩むうちに、その為し給う御業にただ驚き、感嘆し、この人は誰ぞ?と驚異の眼で主を見つめていたのだった。

斯く稚拙であった使徒たちに、主は権威を与えて二人一組にして世に送り出された。実地訓練である。彼らは見よう見まねで、常日頃主が奇跡・不思議をなさっているように、主イエスの名を用いて病を癒し、悪鬼を追いだした。この訓練は三年余り続いた。然し使徒たちはまだ全きには至っていなかった。

主イエス・キリストが十字架にかかり、死にて葬られ、復活された時も、使徒たちは、まだ夢みるごとき状態だった。 主が天に昇らんとするとき、使徒たちを呼び寄せて前述の御言葉を語り、福音を宣伝えるように命じられたのである。

そして、五旬節の日が来て、約束の聖霊が使徒たちの上に臨み、聖霊のバプテスマを受けた。その時彼らは一変したのである。もはや単なる人ではなかった。内に御霊を宿した能力ある神の器とされたのだった。 我らはどうか? 聖霊を受けた我らもまた同じく能力を与えられて主に用いられる器をされたのである。

異邦人の使徒パウロは、ロマ人への書1章でこう言っている。 我はギリシャ人にも夷人(えびす)にも智き者にも愚なる者にも負債(おひめ)あり。・・・我は福音を恥とせず、この福音はユダヤ人を始めギリシャ人にも、凡て信ずる者に救を得さする神の力たればなり。と・・・。 パウロは、主に敵対する者であったが、主に選ばれ聖霊を受けて一変し、主の証人となり、能力を得て福音を宣伝える器とされたのである。

我らもまた、与えられた道程において主を力強く証して行く者でありたい。

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汝の謀略(みはかり)は大なり 汝は事をなすに能力(ちから)あり 汝の目は人のこどもらの諸々の途をみそなわし おのおのの行いに循(したが)ひ その行為(わざ)の果によりて之に報いをたまふ  -エレミヤ32:19-

人の歩みは神によります。神に導かれて歩むことが祝福の途です。
神は計画を持っています。それを成し遂げるために私たちは用いられます。「主の用なり」と喜んで御用を果たしましょう。 

主にありて受けし職(つとめ)を慎みて盡せ 
-コロサイ4:17-

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